暖かい日曜日。゛
社協へつとめている姪ッ子ちゃんが、日曜出勤で小学生達と老人ホームへ行った帰りに寄ってくれた。
少し前、私が彼女の泣いている夢をみて、気にかかり、メールしたので、元気な顔を見せに来てくれたのだ。
社協へ努めて5年目、日曜祭日出勤の多い地域福祉のボランティア係に配属され、フレッシュぶりを発揮している。
今年辺りそろそろ配置替えがあるかもね。
ロボタン牧師の今日のメッセージは、キリストの十字架について。
興味のある人がいるかも知れないので、コピーしてみよう。
2014/3/16 【今夜の説教】
1、私たちクリスチャンにとって信仰の「中心」はイエス・キリストの十字架です。それで、十字架は古くから教会のシンボルとなりました。教会には、十字架が立てられ、十字架の装飾が施されました。胸で十字を切る習慣も生まれました。
2、そうやって教会は十字架を大切にしてきました。ところが「エホバ」の証人(ものみの塔)は十字架という言葉を嫌悪します。新約聖書に十字架という言葉が沢山出てきます。しかし、彼らが用いている聖書は、そのギリシャ語を翻訳する時に「十字架」と訳さず「杭」とします。真っ直ぐの一本の棒です。
3、これは直ちに誤訳というわけではありません。元々このギリシャ語の言葉(スタウロス)は、棒、杭という意味です。大昔、死刑執行の道具として最初に用いられたのは、罪人を縛りつける単なる一本の柱であったと思います。そういう柱を指す言葉でした。
4、しかしこの死刑の道具は歴史と共に発展します。ローマでは、そこに横棒が付けられて十字架形に変化しました。考古学者の研究によると、主イエスが処刑された刑具は、まず間違いなく十字架の形だったと言われています。
5、しかし「エホバの証人」は、あくまでこれは「杭」だったのだと主張します。何故、そんな事にこだわるのでしょうか。その理由は、クリスチャンが十字架をとても大切にしたからです。愛したと言ってよい。彼らはそれを否定したかったのです。
5、「エホバの証人」の教科書の中に、十字架を重んじているクリスチャンに対する批判が書かれてありました。「もし親しい友人が偽りの訴えによって処刑されたなら、あなたはどう感じますか。処刑に使われた刑具の複製を作りますか。それを大切に持っているでしょうか。むしろ、触れたくもないのではないでしょうか」。
6、これはなるほどと思わせます。確かに、十字架は処刑道具です。最も暗いものです。しかし、ある瞬間、その意味が逆転してしまう。この上なく明るいものになる。どうしてそんな事が起こったのでしょうか。誰がその十字架におかかりになったかという事で、その十字架の意味が全く変わってしまったのです。
7.神の子イエスが十字架について下さった。その瞬間、闇であるものが光に変わってしまった。死臭に覆われたものが、命の望みを迸り出す泉に変わってしまった。最も汚れた醜いものが、限りなく聖き美しきものに変わってしまったのです。
8、使徒パウロは言いました。「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです」(コリント第1の手紙1:23-40)。
9、主イエスの十字架は、ユダヤ人と異邦人、つまり全人類を躓かせ、愚かなものとしか理解されなかったと言われるのです。そうであれば、「エホバの証人」の人々の方がまともなのです。しかし、非常識にも、その元刑具十字架を私たちが教会の頂に掲げるとしたら、私たちの心に一体、何が起こってしまったのでしょうか。
10、主イエスが死なれる時、昼の12時であったのに太陽が光を失い真っ暗になったと書いてあります(マタイ27:45)。この闇を絶望の闇と見ることが出来ます。更に、主イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(27:46)と叫ばれました。
11、主イエスが、この十字架は人からだけではなく、神から見捨てられる絶望だと感じておられるのです。この後、教会の敵対者たちは、この主イエスの言葉を必ず取り上げて、教会を攻撃しました。こんな悲鳴をあげて非業の死を遂げた者が、神の子であるはずがない。神から見てられる神の子がどこに存在するか、と言って。
12、熱心なルター派の信徒であったバッハは『マタイ受難曲』の中で、主イエスの言葉が歌われる時、必ず、真に気高いイメージを与える為に弦楽器による合奏を随伴させてきました。これは「光背」と呼ばれ、宗教画によく用いられる手法です。聖人の背後や頭におかれる御光(オーラ)のことです。それをバッハは音楽に応用しました。『受難曲』に登場する主イエスは常に神の子の光を弦楽器の合奏という形で背後に輝かせておられるのです。
13、しかしバッハは主イエスの言葉でただ一箇所だけ、その「後光」を消しました。それこそ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉の時です。
14、どうしてバッハはこう作曲したのでしょうか。それは主イエスはここで徹底的に人間になられたということを表現しようと考えたからに違いありません。いえ、単に人間になられたのではなく、罪人になられたということです。罪人の叫びだから、後光はささないのです。
15、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。これは、本来私たち罪人の悲鳴なのです。罪人は神に見捨てられる。当然のことだと思います。罪人とは、自分の方から父なる神などいらないと、神を捨てた者のことだからです。
16、その私たちが負わなくてはならない神の裁きを、キリストが代わって負って下さった。罪人の恐れと痛みを全て担って下さった。そして闇の中、底の底まで、陰府にまで降って下さった。しかし、その十字架の贖いによって、私たちは光を見たのです。
17、「また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った」(27;52)。生命が回復する。主イエスが光背を失った時、その御光を私たちが受け取ったと言ってよいのです。神の御子が罪人となって下さった時、私たちの方は、その十字架によって、神の子にされたのです。こんな感謝なことはありません。
18、主イエスが十字架で息を引き取られた時「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(27:51)という出来事が起こりました。神殿の構造は、一番外側には異邦人の庭という広場があって、ここまでは誰でも入れます。その奥に婦人の庭があって、ユダヤ人の婦人はここまで入って良い。異邦人はもう入れません。そして次に階段を上がりますと、男子の庭があります。ユダヤ人の男子だけがここまで入れます。そして、又、階段を上ると、神殿中央に祭司の庭があります。ここは祭司だけです。そして、更に上ると、とうとう聖所に出ます。
19、ここで祭司たちは祭儀を司どるわけですが、まだもう一つ奥があります。そこが至聖所と言われます。「本殿」です。この至聖所にかつて「契約の箱」が置かれていました。神聖この上なき場所です。
20、ここに入れるのは大祭司だけです。「神殿の垂れ幕」とは、この聖所と至聖所を隔てるカーテンのことです。大祭司だけがこの布をくぐり神様との深い交わりが出来るただ一人の人でした。神様はそれほど私たち罪人にとって、近寄りがたい聖なるお方だと考えられていたのです。
21、その隔ての布は、十字架によって切り裂かれたのです。以来、教会という新たなる至聖所に誰もが入ることが出来るようになりました。ですから十字架を教会に掲げるとは「私たちの教会に敷居はありません。隔ての布はもうありません。弱い人も、罪を犯した人も、誰でも、この聖域に入って下さい。ずんずん奥まで進んで下さい。」そういう主イエスの招きの言葉を示すためです。
21、百人隊長や一緒に主イエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子であった』と言った。」(27:54).百人隊長はローマ人ですから異邦人です。神殿でも異邦人の庭までしか入れない、神から遠く隔てられていると思われた者が、しかし、地震の直後、真っ先に、信仰を告白するのです。
22、主イエスはかつて、主を讃美する弟子たちを制したパリサイ派に対してこう言われました。「もしこの人(弟子)たちが黙れば石が叫びます」(ルカ19:40)。この預言の通り、弟子たちを始めとするユダヤ人、その神の民が十字架に躓き、沈黙した瞬間、地震によって岩が裂けました(マタイ27:1)。
23、それは、異邦人の石の頑固な心が、閉ざされた口が、十字架の大地震によって、開かれてしまう。そして叫び始める。「本当に、この人は神の子だだった」(27:54)と、そう言われているのです。
24、その時の十字架のキリストの姿、首を垂れて私たちの方に身を寄せて下さる姿は私達への愛の姿です。私たちの人生も暗いと思われる時があるかもしれません。しかしイエス・キリストが首うな垂れるようにして、私たちの闇の中に入ってきて下さった。その時、十字架の意味も絶望の刑具から、望みの象徴に変えられました。十字架の主イエスこそ、真の神の子キリストです。
横の線は人間同士のつながりを示し、縦の線は神様と私達の関係を表しているとも聞いたことがあるが‥‥。
社協へつとめている姪ッ子ちゃんが、日曜出勤で小学生達と老人ホームへ行った帰りに寄ってくれた。
少し前、私が彼女の泣いている夢をみて、気にかかり、メールしたので、元気な顔を見せに来てくれたのだ。
社協へ努めて5年目、日曜祭日出勤の多い地域福祉のボランティア係に配属され、フレッシュぶりを発揮している。
今年辺りそろそろ配置替えがあるかもね。
ロボタン牧師の今日のメッセージは、キリストの十字架について。
興味のある人がいるかも知れないので、コピーしてみよう。
2014/3/16 【今夜の説教】
1、私たちクリスチャンにとって信仰の「中心」はイエス・キリストの十字架です。それで、十字架は古くから教会のシンボルとなりました。教会には、十字架が立てられ、十字架の装飾が施されました。胸で十字を切る習慣も生まれました。
2、そうやって教会は十字架を大切にしてきました。ところが「エホバ」の証人(ものみの塔)は十字架という言葉を嫌悪します。新約聖書に十字架という言葉が沢山出てきます。しかし、彼らが用いている聖書は、そのギリシャ語を翻訳する時に「十字架」と訳さず「杭」とします。真っ直ぐの一本の棒です。
3、これは直ちに誤訳というわけではありません。元々このギリシャ語の言葉(スタウロス)は、棒、杭という意味です。大昔、死刑執行の道具として最初に用いられたのは、罪人を縛りつける単なる一本の柱であったと思います。そういう柱を指す言葉でした。
4、しかしこの死刑の道具は歴史と共に発展します。ローマでは、そこに横棒が付けられて十字架形に変化しました。考古学者の研究によると、主イエスが処刑された刑具は、まず間違いなく十字架の形だったと言われています。
5、しかし「エホバの証人」は、あくまでこれは「杭」だったのだと主張します。何故、そんな事にこだわるのでしょうか。その理由は、クリスチャンが十字架をとても大切にしたからです。愛したと言ってよい。彼らはそれを否定したかったのです。
5、「エホバの証人」の教科書の中に、十字架を重んじているクリスチャンに対する批判が書かれてありました。「もし親しい友人が偽りの訴えによって処刑されたなら、あなたはどう感じますか。処刑に使われた刑具の複製を作りますか。それを大切に持っているでしょうか。むしろ、触れたくもないのではないでしょうか」。
6、これはなるほどと思わせます。確かに、十字架は処刑道具です。最も暗いものです。しかし、ある瞬間、その意味が逆転してしまう。この上なく明るいものになる。どうしてそんな事が起こったのでしょうか。誰がその十字架におかかりになったかという事で、その十字架の意味が全く変わってしまったのです。
7.神の子イエスが十字架について下さった。その瞬間、闇であるものが光に変わってしまった。死臭に覆われたものが、命の望みを迸り出す泉に変わってしまった。最も汚れた醜いものが、限りなく聖き美しきものに変わってしまったのです。
8、使徒パウロは言いました。「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです」(コリント第1の手紙1:23-40)。
9、主イエスの十字架は、ユダヤ人と異邦人、つまり全人類を躓かせ、愚かなものとしか理解されなかったと言われるのです。そうであれば、「エホバの証人」の人々の方がまともなのです。しかし、非常識にも、その元刑具十字架を私たちが教会の頂に掲げるとしたら、私たちの心に一体、何が起こってしまったのでしょうか。
10、主イエスが死なれる時、昼の12時であったのに太陽が光を失い真っ暗になったと書いてあります(マタイ27:45)。この闇を絶望の闇と見ることが出来ます。更に、主イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(27:46)と叫ばれました。
11、主イエスが、この十字架は人からだけではなく、神から見捨てられる絶望だと感じておられるのです。この後、教会の敵対者たちは、この主イエスの言葉を必ず取り上げて、教会を攻撃しました。こんな悲鳴をあげて非業の死を遂げた者が、神の子であるはずがない。神から見てられる神の子がどこに存在するか、と言って。
12、熱心なルター派の信徒であったバッハは『マタイ受難曲』の中で、主イエスの言葉が歌われる時、必ず、真に気高いイメージを与える為に弦楽器による合奏を随伴させてきました。これは「光背」と呼ばれ、宗教画によく用いられる手法です。聖人の背後や頭におかれる御光(オーラ)のことです。それをバッハは音楽に応用しました。『受難曲』に登場する主イエスは常に神の子の光を弦楽器の合奏という形で背後に輝かせておられるのです。
13、しかしバッハは主イエスの言葉でただ一箇所だけ、その「後光」を消しました。それこそ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉の時です。
14、どうしてバッハはこう作曲したのでしょうか。それは主イエスはここで徹底的に人間になられたということを表現しようと考えたからに違いありません。いえ、単に人間になられたのではなく、罪人になられたということです。罪人の叫びだから、後光はささないのです。
15、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。これは、本来私たち罪人の悲鳴なのです。罪人は神に見捨てられる。当然のことだと思います。罪人とは、自分の方から父なる神などいらないと、神を捨てた者のことだからです。
16、その私たちが負わなくてはならない神の裁きを、キリストが代わって負って下さった。罪人の恐れと痛みを全て担って下さった。そして闇の中、底の底まで、陰府にまで降って下さった。しかし、その十字架の贖いによって、私たちは光を見たのです。
17、「また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った」(27;52)。生命が回復する。主イエスが光背を失った時、その御光を私たちが受け取ったと言ってよいのです。神の御子が罪人となって下さった時、私たちの方は、その十字架によって、神の子にされたのです。こんな感謝なことはありません。
18、主イエスが十字架で息を引き取られた時「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(27:51)という出来事が起こりました。神殿の構造は、一番外側には異邦人の庭という広場があって、ここまでは誰でも入れます。その奥に婦人の庭があって、ユダヤ人の婦人はここまで入って良い。異邦人はもう入れません。そして次に階段を上がりますと、男子の庭があります。ユダヤ人の男子だけがここまで入れます。そして、又、階段を上ると、神殿中央に祭司の庭があります。ここは祭司だけです。そして、更に上ると、とうとう聖所に出ます。
19、ここで祭司たちは祭儀を司どるわけですが、まだもう一つ奥があります。そこが至聖所と言われます。「本殿」です。この至聖所にかつて「契約の箱」が置かれていました。神聖この上なき場所です。
20、ここに入れるのは大祭司だけです。「神殿の垂れ幕」とは、この聖所と至聖所を隔てるカーテンのことです。大祭司だけがこの布をくぐり神様との深い交わりが出来るただ一人の人でした。神様はそれほど私たち罪人にとって、近寄りがたい聖なるお方だと考えられていたのです。
21、その隔ての布は、十字架によって切り裂かれたのです。以来、教会という新たなる至聖所に誰もが入ることが出来るようになりました。ですから十字架を教会に掲げるとは「私たちの教会に敷居はありません。隔ての布はもうありません。弱い人も、罪を犯した人も、誰でも、この聖域に入って下さい。ずんずん奥まで進んで下さい。」そういう主イエスの招きの言葉を示すためです。
21、百人隊長や一緒に主イエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子であった』と言った。」(27:54).百人隊長はローマ人ですから異邦人です。神殿でも異邦人の庭までしか入れない、神から遠く隔てられていると思われた者が、しかし、地震の直後、真っ先に、信仰を告白するのです。
22、主イエスはかつて、主を讃美する弟子たちを制したパリサイ派に対してこう言われました。「もしこの人(弟子)たちが黙れば石が叫びます」(ルカ19:40)。この預言の通り、弟子たちを始めとするユダヤ人、その神の民が十字架に躓き、沈黙した瞬間、地震によって岩が裂けました(マタイ27:1)。
23、それは、異邦人の石の頑固な心が、閉ざされた口が、十字架の大地震によって、開かれてしまう。そして叫び始める。「本当に、この人は神の子だだった」(27:54)と、そう言われているのです。
24、その時の十字架のキリストの姿、首を垂れて私たちの方に身を寄せて下さる姿は私達への愛の姿です。私たちの人生も暗いと思われる時があるかもしれません。しかしイエス・キリストが首うな垂れるようにして、私たちの闇の中に入ってきて下さった。その時、十字架の意味も絶望の刑具から、望みの象徴に変えられました。十字架の主イエスこそ、真の神の子キリストです。
横の線は人間同士のつながりを示し、縦の線は神様と私達の関係を表しているとも聞いたことがあるが‥‥。