アンリに滞在日程の快諾をもらい、決定!!と思っていたら、クリスチーヌから泣き?の入った返事が来た。
「17-18だったら、平日だから仕事をもし休めなかったら、一緒に行動できない」と。
私は24日からパリに行くという彼女を考慮して苦渋の決定をしたつもりだった。
そこで「24日からパリでしょ?仕方なかったのよ」というと、
「いや、まだ24日と決定していないし、28日までに行ければいいの」というではないか。
じゃあ、変更するしかない。
では、「25-27でいいか」と、「完璧よ!!一緒に行動できるわ!!」
「こういうこと、どうして早く言ってくれないかな」と思うのだけど、フランス人とのやり取りは本当に骨が折れるのだ。
いろいろ言うと、こんがらがるらしい。
1つずつ、確認しながら行くしかないのだが、つい早く決めたい気持ちが前に出て、この場合、こう、それでもしこうだったら、こう、と一度に言うと、どうもわかりにくくなるらしい。
もしかしたら、パリに戻る日がクリスチーヌのパリ行と一緒になるかもしれない。
そこで、アンリに「ごめんね。悪いけど、変更できる?」と聞いたら、こちらも「いいよ」とのことだった。
そして、リヨンの日仏家族からは、さすがに?日仏なので、こちらの気持ちをよく理解してくれ、「南仏まで会いに行ってもいいのよ。うちに泊まってくれてもいいし、今回はリヨンはスルーするとなっても大丈夫だから、よく考えてね」
その言葉で、パリに戻る日を早めることに決めたのだ。
実は、ニームのアンヌクレールも「アルルを減らしたら?」と言っていたが、日仏家族のブリジットも「アルルは多すぎない?」、アンリも「なぜアルルに5日も?」と同じことを言ってきて、きっとクリスチーヌも同じように思っているだろうから、理由を伝えた。
3ヵ月滞在が実現できなかった今、アルルだけがその小さな夢だった「フランス人の様な生活をして、自分の家のように過ごす。」ということが叶えられる貴重な滞在であると。
「3ヵ月滞在ができていたら、もっとたくさんの地方を訪れることもでき、もっとたくさんの友人に会うこともできただろうに」とも付け加えた。
それで、ブリジットはそういう申し出をしてくれたのだった。
そして、ニームのマダムにも連絡した。上記の理由も添えて。すると、「よく理解できる。私も亡くなった夫とクレタ島でそう言う体験をすることを計画していたの。実現できなかったけど。何時でも都合のいい時間に来てね。」
これで、ほぼ南仏の予定も決まった。列車の予約をしよう。
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