やっと列車の予約もいくつか済んだ。
まずはニース ― マルセイユ、そしてマルセイユ ー アヴィニョン
アヴィニョン ― パリの3行程の予約ができた。
アヴィニョンからパリへはクリスチーヌがパリにのぼるため、一緒の列車になる。
お世話になるので、チケットは一緒に買ってプレゼントすると申し出た。
しかし、彼女は会員?なので、往復必要なこともあって自分でとるとのことで、たぶん号車も別になるだろう。
そういえば、2019年の12月もフランソワーズ夫妻とリヨン ー パリが同じ列車だったことが思い出される。
アルルやニームへは近いこともあり、ギリギリでもいいだろうと考えている。
さあ、いよいよだ。
と思っていると、何年ぶりかの懐かしい人から、突然メールが届いた。
まだフランス人の友だちが全くいなかった頃、アヴィニョン郊外のシャンブルドット(B&B)に泊まったことがあった。
その時私はリュベロン地方に行こうと思っていた。
しかし、車なしではなかなか難しく、いくつかの宿にTGV駅までの送迎の可否、そしてリュベロン地方への送迎、本来シャンブルドットには朝食しかついていないが、夕食も付けてもらえるかを尋ねるメールを、10数件の宿に送った。
すると3軒くらいが、これらの要望を満たす返事だった。
その中で選んだ宿が、アヴィニョン郊外のグラブゾン(Graveson)の宿だった。
帰国後も奥さんとたまにメールをしたりすることもあったが、ほとんど連絡という連絡はなくなっていた。
それが、2018年SNSで突然、ムッシュから連絡が入った。「妻のクリスチーヌ(アヴィニョンのクリスチーヌとは別)が亡くなった。あなたが着せてくれた着物の写真は宝物だ。」とその時の写真が添えられていた。
すぐに返事をしたら、いつか日本に行きたいと言っていた。
そのムッシュ、ジャンポールからだった。
何というタイミングだろう。プロヴァンスに行くことを知らせなさいということだったのだろうか。
メールには「いつもあなたたちのことも想っている。クリスチーヌと一緒に日本にいくのが夢だった。もうかなうことはないけれど。私もいつか行きたいと思う、彼女はいないけれど」と書かれ、庭の写真が数枚添付されていた。
ムッシュの元気な姿もその中にあった
すぐに返事を送った。プロヴァンスに行くので、時間が合えば会いたいと。
彼はポワソン・ダブリル(エイプリルフール)のように思ったかもしれない。
どんな返事が来るだろうか。
実はこのムッシュ、今回も不思議なタイミングだが、そう言うことが過去にもあった。
2014年、サルラでアパートを借りた時、アヴィニョン郊外に住むアンリ夫妻が来てくれたのだが、彼らが来る前、このムッシュに偶然アヴィニョンで出会い、私たちのことを尋ねてくれていたと聞いたのだった。その時アンリはムッシュに「実はこれから彼らに会いに行くところなんだ。」と話したそうだ。ムッシュが驚いたことは想像できる。
こんなタイミングが二度もあるのだろうか。
会わずにはいられない。でも、今回なぜ自分のところに泊ってくれないんだろうと思っているかもしれない。
この宿で泊った時を機に、一気にフランス人の友人が増えていったのだ。
そう言う意味でも、忘れられない思い出がある宿でもあり、プロヴァンスなのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます