前回ブログ
5歳の頃のイタイ思い出①↓のつづき
http://blog.goo.ne.jp/mickyhappy/e/ddecd28203e79bdfeff68044aa162d15
当時、
子育てと看護の生活に
追われていた母には
「タクシーに乗る」
という選択肢が
出てこなかったようで。
それは、
お金が無かったのではなく
心に余裕が
全く無くなっていて
タクシーって発想が無かった、
浮かばなかった、とのこと。
先日書いたように
私は従順な子供で、
当時は、
我慢すること・従うこと、
人を優先・自分後回しが
美徳で当たり前、
自分の中での正しいことで、
母を困らせたくないし、
むしろ母を手助けしたかった。
それがすべての
5歳児だったように思う。
なので、
言い返すこととか
有り得ないし、
「弱音文句を言う=手助けできない」
が自分のジョーシキだったので
「言わないこと=良い行い」
くらいに思っていた。
けれど気持ちは奴隷のようで
惨めで心の中で悲鳴をあげ
叫びながら、
現実を諦め
ひたすら歩いたことを思い出す。
受け入れるなんてこともできず
悲痛な思いだけが残って。
その時は終わりのない、
永遠に続く罰のように思えた。
わぁ、
アンバランスも度が過ぎてるよね。
そしてお腹ん中真っ黒、
腹黒だぁ~ワタシ。
そう、
そこに気づけたので、
「言う、出す」
デドックスの練習を
積み重ねている
最中なわけです。
もし私が当時から
「自己主張=美徳」
と思っていたならば、
母もタクシーに乗るという
発想が浮かんだかも
しれないデスよね^^
当時、自己主張=怒鳴る
イメージしかなかった。
で、
怒鳴るのは自分のジョーシキ・
美意識に反していたので
自己主張=ありえないこととして
黙っていたのだろう。
当時の母は情熱的で(笑)
感情的だったため
火に油を注ぐ恐れも
感じていたし。
怒鳴られると
とってもイヤな気分になって
凹んでたので
自ら気落ちすることを
黙秘によって避けたんだと思う。
今考えると
自己防御的からの
黙秘だったのかなと思う。
可愛らしくて
おバカさんで
頑張り屋さんだった5歳の私。
今ではとってもいとおしい
し、とっても笑える~^0^
やっと笑い話になって、
笑って話せるようになった
ので、
この思い出の件、
やっと卒業かな~♪
気づいてなかったけど、
ずっと根に持っていた
かもしれない件、でした。
母に分かって貰えなかった
(と思い込んでた)
悲しさという
ひねくれねじれた
フィルターを通して私は
今まで母と接していたように思う。
この件で、
母と穏やかに
心から笑顔で
会話を楽しめている私に
出会えた。
様々な
考え方からの
葛藤があり
摩擦があって、
感動がある。
一見、
ひっかかりなど
皆無なことが
幸せそうにみえるけど。。
最初から完璧であれば、
感動も何もないよねー
しかも、
皆無であればお役目終了で
あの世に帰ることとなり
この世に人としていないし^^
たくさんの様々な経験をしに
この世に来てるわけで。
経験せずじっとしてたら、
あの世での反省会で
「あなた何しに地球へ行ったの?」
と、やることやってないってことにも。
よく、
生まれた意味や
生きる意味を聞く方、
いらっしゃいますが、
「興味のある様々な楽しそう♪
と思えることにチャレンジする」
ことに尽きるのではないかなぁ
と、ワタシは思ってます。
人である限り経験することが必須で、
それこそがこの世で生きる大きな意味。
ガイドさまからのメッセージでもありますよ☆
しあわせだなぁ☆
5歳の頃のイタイ思い出①↓のつづき
http://blog.goo.ne.jp/mickyhappy/e/ddecd28203e79bdfeff68044aa162d15
当時、
子育てと看護の生活に
追われていた母には
「タクシーに乗る」
という選択肢が
出てこなかったようで。
それは、
お金が無かったのではなく
心に余裕が
全く無くなっていて
タクシーって発想が無かった、
浮かばなかった、とのこと。
先日書いたように
私は従順な子供で、
当時は、
我慢すること・従うこと、
人を優先・自分後回しが
美徳で当たり前、
自分の中での正しいことで、
母を困らせたくないし、
むしろ母を手助けしたかった。
それがすべての
5歳児だったように思う。
なので、
言い返すこととか
有り得ないし、
「弱音文句を言う=手助けできない」
が自分のジョーシキだったので
「言わないこと=良い行い」
くらいに思っていた。
けれど気持ちは奴隷のようで
惨めで心の中で悲鳴をあげ
叫びながら、
現実を諦め
ひたすら歩いたことを思い出す。
受け入れるなんてこともできず
悲痛な思いだけが残って。
その時は終わりのない、
永遠に続く罰のように思えた。
わぁ、
アンバランスも度が過ぎてるよね。
そしてお腹ん中真っ黒、
腹黒だぁ~ワタシ。
そう、
そこに気づけたので、
「言う、出す」
デドックスの練習を
積み重ねている
最中なわけです。
もし私が当時から
「自己主張=美徳」
と思っていたならば、
母もタクシーに乗るという
発想が浮かんだかも
しれないデスよね^^
当時、自己主張=怒鳴る
イメージしかなかった。
で、
怒鳴るのは自分のジョーシキ・
美意識に反していたので
自己主張=ありえないこととして
黙っていたのだろう。
当時の母は情熱的で(笑)
感情的だったため
火に油を注ぐ恐れも
感じていたし。
怒鳴られると
とってもイヤな気分になって
凹んでたので
自ら気落ちすることを
黙秘によって避けたんだと思う。
今考えると
自己防御的からの
黙秘だったのかなと思う。
可愛らしくて
おバカさんで
頑張り屋さんだった5歳の私。
今ではとってもいとおしい
し、とっても笑える~^0^
やっと笑い話になって、
笑って話せるようになった
ので、
この思い出の件、
やっと卒業かな~♪
気づいてなかったけど、
ずっと根に持っていた
かもしれない件、でした。
母に分かって貰えなかった
(と思い込んでた)
悲しさという
ひねくれねじれた
フィルターを通して私は
今まで母と接していたように思う。
この件で、
母と穏やかに
心から笑顔で
会話を楽しめている私に
出会えた。
様々な
考え方からの
葛藤があり
摩擦があって、
感動がある。
一見、
ひっかかりなど
皆無なことが
幸せそうにみえるけど。。
最初から完璧であれば、
感動も何もないよねー
しかも、
皆無であればお役目終了で
あの世に帰ることとなり
この世に人としていないし^^
たくさんの様々な経験をしに
この世に来てるわけで。
経験せずじっとしてたら、
あの世での反省会で
「あなた何しに地球へ行ったの?」
と、やることやってないってことにも。
よく、
生まれた意味や
生きる意味を聞く方、
いらっしゃいますが、
「興味のある様々な楽しそう♪
と思えることにチャレンジする」
ことに尽きるのではないかなぁ
と、ワタシは思ってます。
人である限り経験することが必須で、
それこそがこの世で生きる大きな意味。
ガイドさまからのメッセージでもありますよ☆
しあわせだなぁ☆