守破離って、聞いたことありますか?
『守破離(しゅはり)とは、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。』 参考文献 Wikipediaより
【守破離】について以下、私の見解デス。
【守】何事においても、最初の段階では型を教わって、基本形、基礎をしっかり築きあげることって本当に大切。
これ無くして応用は絶対にあり得ない、それくらい大事。一言一句、一挙手一投足、お手本を真似ていく時期。
スポーツでいうと体力づくり、足腰を鍛える時期。しかも、一番馬力が必要な時期、苦しさも伴う時期でもありますね。
転ぶ痛さや恥ずかしさなど含め「凄くしんどい・苦しい時期」って人はどこかイメージしているからか、チャレンジすることに躊躇する人が多いのかもしれないなぁ~と。
「楽したい、痛い思いはしたくない、損したくない」のが人の本質でもありますしね。
私は、好奇心旺盛で結構チャレンジャーな方かと思います。
「やって後悔・やらずに後悔」やらずに後悔したくないっ!って思いが強いんです。
経験を積み重ねることで「思ったより転ぶことでの痛みや苦しみ恥ずかしさってないものなんだなぁ☆」って体感すると同時に、
【経験していないからこその不安】、知らないから恐怖に繋がるんだなぁ~、って思うようになりました。
そして、上手くいきそうだからチャレンジするのではなく「好奇心がまさった」タイミングでチャレンジしたくて仕方ない状態になった時にチャレンジしてる気がします(笑)。
そう。がんばって何かに「チャレンジしなくてはいけない」って思わないこともひとつのポイントのような気がしてます。
チャレンジの時期って自然に来るものかもしれませんからね☆ご縁ですよね☆
【破離】基本形は大事ですが、初心者をずーっと続けるものではないと思ってマス。卒業のタイミングがきて、次ステージへ。
応用の時期でもあり、自分の中で咀嚼し消化吸収していくことで、自然と成長しているものなのですね。
成長とは、生まれたての赤ちゃんが成人するまで自然と身体が大きくなるように、(成長を)止めなければ勝手に伸びるもの。
卒業の時期なのに【守】を続けていたり、思考が強すぎたり頭で考え過ぎたりして心の声や身体の感覚・サインを見逃すと、
なかなか卒業のタイミングに気づくことが出来ないかもしれません。
もっと五感に敏感になれるよう、感覚に気持ちを向けること、心や身体が繊細であることを知って気づくことですね。
あなたの【守破離】に対する見解は、どうですか?
是非コメントで教えてくださいね☆ ※コメント欄、復活してます^^
今日もこのブログを読んでくださいましてありがとうございました☆ミッキーハッピー☆