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「おはよー」
子供達の元気な声が官舎の朝に響いていた。
いつも通りの光景である。
「おはよう」
「おはよう」
郁の元気な声に、麻子はにっこり答えた。
事件から、一週間経っていた。
親同士相談の上、晃と彩は学校を三日休ませる事にした。警察の事情聴取等も
あり、親子共々の精神面を労る意味でもあった。
しかし、子供達が飽きた。
大団円で終わったせいか、恐怖に震えて眠れないなどの後遺症は全く見られな
い二人であった。
二日目の朝、それぞれが親に要求した。多分、こっそりと打ち合わせていたの
だろう。
「どうせ休むんなら、ディズニーランド行きたい。皆と一緒に!」
甘いと言われようが、叶えてやる他無かった。
「大したお子さん達ですよ」
その日の午後、玄田に和田刑事が連絡を寄越した。
「とてもじゃないけど、小さな子の行動力とは思えないですよ。誘拐犯の車をタ
クシー使って追跡するなんて。咄嗟にそんな判断を二年生が出来たなんて、自分
が関わってなければおよそ信じられない話ですよ」
「うちの特攻隊長達の娘だからな」
ニヤリと、玄田は電話口で笑った。
「それに、晃君という男の子。あの子も大したもんだ。あれだけ冷静なお母さん
に育てられてるんだから、テンパった大人の女が喚き散らしたら、それだけでシ
ョックを受けて萎縮してしまうのが普通なのに、女の子がぶたれそうになったら
大喝して身代わりに殴られるなんて。小さいながらも男ですねえ」
何故か羨ましそうな声音だった。和田自身、男の子の父親なのかも知れない。
「まさかお宅は、隊員の子供達まで訓練をさせている訳じゃないですよね?」
そう軽口を叩く和田に、玄田が本気とも付かない口調で切り替えした。
「いいアイディアだな。地域の安全の為、子供を対象にした防衛訓練でも行うか。何なら警察と合同で」
勘弁して下さいよと、ほうほうの体で和田は電話を切った。
話は戻り、ディズニーランドへ皆揃って遊びに行った時の事である。
様々なアトラクションを効率的に回り、植え込み前のベンチで休憩を取ってい
る時だった。
トイレに行くという堂上一家に晃を任せ、手塚と麻子が二人並んでベンチに残
った。
息子の後ろ姿を、不安を隠した瞳で追う妻の手を手塚はぎゅっと握り締めた。
「そんなに怖がるな。堂上三監も一緒だ」
「ん…」
無理に笑おうとする妻に手塚は続けて言った。
「それに、晃は大丈夫だ。気休めや希望的観測じゃない。危機に直面した場合、
人間には二通りの種類がある。恐怖で固まるか、咄嗟に体が動くか。晃は後者だ
。彩ちゃんもな。そういう人間は強い。本能で活路を見出だし、生存に向けて全
力で動く」
「…びっくりしたわ。晃が、彩ちゃん庇ってそんな大声出すなんて」
あの大人しい晃が。
ふふっと、麻子のくちびるに今度こそ本物の笑みが浮かぶ。
「光の子ねえ。あたしに似てたらきっと固まってた」
「違うだろ。お前だって叫んで俺を呼べた。お前も後者だ。だから、どっちに似
たって晃は大丈夫だ」
賑やかな園内の様子とはまるで違うムードが、ベンチの二人を包んだ。
ふと、空気を変えるように手塚が話題を変えた。
「言う必要は無いって小牧三監に口止めされたんだが、やっぱり教えとく」
ん? 顔を上げた妻を見ながら手塚は説明した。
「パトカーが駆け付けて何人もアパート前に集まった時だよ。野次馬も沢山いた
な。手錠を架けられた水島がパトカーに乗せられようとした寸前、辺り一帯に何
かのチラシみたいなもんが撒かれた。犯人は小牧三監だ。で、その内容が」
水島の顔写真で合成された、えげつない猥褻写真であった。
「放心状態だった水島が、ひっと呻いて固まってたよ」
その水島に向かって、にこやかに小牧は詫びた。
「ああごめん。手が滑っちゃった」
そして笑いながら、落ちた写真の一枚をじりじりっと踏み躙った。写真の顔付
近が、黒い靴痕で汚された。
「嫌だよね、こんなこと。女の人なんだから、もっとよく考えようね?」
「怖わ~!」
言いつつ、麻子は吹き出していた。
「さっすが小牧教官ねえ! あの人だけは敵に回したくないわ~」
やっと、いつもの調子を取り戻した妻の様子に手塚も笑った。
「あの人だけじゃない。俺はお前だって怖いぞ。実際、水島は本当に整形してた
んだからな」
そう。麻子の水島整形説は当たっていた。
玄関で水島と鉢合わせした手塚は、殆ど容貌が変わっていた女を前にして一瞬
だけ別人かと危ぶんだ。
しかし、濃い化粧の中にも微かに面影の残る口許と麻子の整形説を思い出し、
誰彼もせずに水島本人であると結論した。
供述によれば、水島は風俗で稼いだ金で整形をしていたという。別人のように
変貌したのを良いことに、武蔵野第一図書館に通い手塚達の情報収集を行った。
麻子の推測はものの見事に当たっており、捜査官達を唸らせたという。
「あの切羽詰まった状況でそれだけ頭が働くお前も、十分に俺は怖い。まあ、そ
んな人間達が味方にいるんだから心強い限りだよ。勿論、堂上三監も含めてだ。
笠原の場合は正直微妙だがな」
すると、麻子は更に笑った。チェシャ猫もかくやの意味ありげな笑みだった。
「もう一人いるじゃない。味方になったら心強い人が」
無論、慧のことである。
可愛い甥っ子が誘拐され、事後に知らされた怒りと悔しさを慧はどうやら水島
にぶつけることにしたらしい。
電話の向こうで慧は弟に静かに言った。
「安心していいよ。間違いなく十年は出て来れないようにするから」
殺人を犯した訳でもないのに、そんな量刑は本来なら有り得ない。
が、慧ならやるだろう。
いくら優秀であろうとも、図書隊員でしかない人間に裁判に関与する力などあ
る筈もない。だが、法務官僚や大物政治家など、ありとあらゆるコネを使って水
島の短期出所を阻むのだろう。
手塚慧という男なら。
水島の人生を思うとやるせない思いも去来するが、ある意味彼女自身が選んだ
人生だ。それを悲しんでやる程、手塚も麻子もお人好しでは無い。
「まったく、頼もしい限りだよ」
苦笑するしかない手塚の視界に、晃がこちらに向かって元気よく駆けてくるの
が映った。
「…当分、引っ越しは考えられないわね」
どことなく嬉しそうな麻子の呟きは、園内のざわめきに紛れて夫の耳には届か
なかった。
「あたしさあ」
登校中、隣りに並んで歩く晃に向かって、彩は話しかけた。事件以降、二人は
こうして学校に通っている。
「もう、パパが小さいの嫌だとか思うのよす。ちっちゃくてもいいんだ。だって
パパ、すっごくかっこよかったもん。ホントにヒーローみたいだったもん。だか
ら、もう背の事なんて言わないことにした」
「うん」
嬉しげに喋る彩に、晃も笑って答えた。
「彩ちゃんパパもママも、僕のパパもすごくかっこよかったよね」
本当の窮地に自分の親が駆け付けてくれた。そして、鮮やかに助けてくれた。
それは、子供達の胸に絶大なる安心と、真実の誇りを深く刻む。
「晃も、ありがとね。あん時助けてくれて」
ぶたれそうになった時、思わず目をつぶった。
しかし予想された衝撃は訪れず、代わりに晃の大声が聞こえたのだ。
「彩ちゃんが庇ってくれたから、僕だって頑張らなきゃって思えたんだ」
にこにこと、無邪気に幼い二人は笑いあった。
自分達の取った行動がどれほど勇気あるものであったかの自覚はなくとも、本
質的な自分への信頼感として根付き、やがては健やかな心根へ育つ大切な要因の
ひとつになるなどと、幼い二人は勿論かけらも気付いていない。
意識出来る表面には、それぞれが小さな希望を抱いた。
かっこ良かった父親と勇ましかった母はやはり子供と言えど引きはがせない繋
がりなのだと悟った彩は、新たな希望を密かに育むようになった。
(あたし、大きくなったら、絶対パパみたいな男の人と結婚するんだ)
彩を助ける為に体が動いた自分に、晃は父へと続く道を確かに見出だした。
(僕、絶対パパみたく強い大人になる。それで、悪い奴をやっつける)
小さな男女が思い描く未来はあまりにも遠過ぎて、ぼんやりと大人になった自
分の姿しか浮かばない。
互いの姿など、その未来図には影も形もない。
今は、まだ。
やがて思春期を迎えた頃、互いが一人の異性なのだとそれぞれ驚きと共に発見
し意識するようになるのだが、それはまた別の話。
☆☆☆終わり☆☆☆
お付き合い頂きまして、有難うございました。
柴崎や笠原の名称を変えたことに違和感がおありでしょうが、一応子供達が主役
ということで旧姓は使用しませんでした。
終盤、時系列が怪しいんですが、整理しにくかったのであんな風になりました。
雑な出来で申し訳ありません★
MIO
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是非とも、晃クンと彩ちゃんの続きの話を書いてください!!
よろしくお願いします!!
晃と彩の話の続きはまだボンヤリと頭の中を漂っているだけなんですが、そのルックスや性格は結構しっかりと脳内に浮かんでおります。
思春期になり急に背が伸びて食欲旺盛になり、目元が柴崎似だけど、全体的には手塚に雰囲気がそっくりになっていく晃(かなりの美少年となりそう←本人は凄く嫌がってもいそうw)。
彩は郁をも追い越す背丈に育ち、堂上は密かに涙目wでも堂上譲りの知的好奇心の高さで、危なっかしいながらも郁とは違って理論派に育っていく…みたいな感じ。
ここにちょっと年の離れた小毬の子供や緒加(頑張れ!)の子供なんかも交ぜた話が出来上がると良いのですが(笑)
もし実現してお目にかかるような機会がありましたら、またよろしくお願いしますm(__)m
コメント、有り難うございましたv
晃と彩の将来の話しが楽しみです
これからも更新頑張って下さい
こうしてネット上に掲載され、改めて読み返してみるとまあ粗っぽいこと粗っぽいこと(笑)。
ご都合主義は才能の限界なのでやむを得ないとして、随所に説明不足が目立ち、穴を掘って潜り込みたいような気持ちで一杯です(泣)。
こんなにお粗末でロマンの欠片もないSSにも関わらず、掲載して下さったサイト主・安達薫さまに心から感謝申し上げます。
そして、安達さんの素敵作品群に心惹かれ『背中合わせの二人』に通われている皆様、突然の闖入者にさぞや驚かれたことでしょう。本当にすみませんでした。
にも関わらず、拙作に最後までお付き合い下さった方々に、心から御礼申し上げます。有り難うございましたm(__)m
〉たくねこさん
毎回見放さずにコメントを落として頂きまして、有り難うございました!すごく嬉しかったですv たくねこさん家にはホントにかなり前から通わせて頂いておりますが、今度は勇気を出してきちんとご挨拶させてもらいますねv
黒小牧に、えげつない兄…気に入って頂けましたでしょうか(笑)。
実はこの二人、結構近いような気がします。若い頃の小牧なんかかなり野心家の匂いがするし、観察眼は鋭いし、先読みに長けてるしと、小牧には慧になれる才能が備わってると思うんですよね。でも、ご存知のように結果的に全く違う生き方を選んでいる。それはやはり、鞠江という存在が大きかったのだなあ、と。原作にもあるように、鞠江が道を踏み外さないよう、自分が日の当たる道を先導する為に、小牧は現在の生き方を選んだのでしょう(愛だなぁ…)。
でも黒い才能はあるから、怒りが沸点に達すると時々顕になる、と(笑)←「あの子に手を出したら殺すよ?」、最高ですよねwww
〉トトロのめいさん
初めましてv コメント、有り難うございます☆
〉私の中では、堂上家の子供が活発で何かやろうとすると、手塚家の子供が「やめなょッ!」と止めに入り、小牧家の子供はいつもおっとりしてるのに、こういう時に正論をぶちかますww
「やめなょッ!」(笑)!激カワですね!! 語尾が怪しい子供の口調がまざまざと脳内で響きましたv
小牧家の子供が出てこなかったのは、やはり世代が違うだろうと思ったからです(鞠江ちゃんが若いし)。まだよちよち歩きの頃合いかなあと想像し、今回の話では混ぜませんでした。
私の脳内ではいずれ彩と晃は恋仲となるのですが(手塚は複雑そうw)、もし具体的なネタが降臨したら、その時には小鞠ジュニアも登場するかもです。その際はトトロのめいさんに頂いたコメントを参考にさせて貰いますねvvv
…すみませんあださん、また悪い癖が出てしまいました(コメントでだらだら長文を書く前科持ちなんです、私★)。いい加減切り上げます(笑)。
それでは皆様、どうぞ良い御年をお迎え下さい。
有り難うございましたm(__)m
堂上家と手塚家の彩と晃は私の想像している通りの子供でした。
私の中では、堂上家の子供が活発で何かやろうとすると、手塚家の子供が「やめなょッ!」と止めに入り、小牧家の子供はいつもおっとりしてるのに、こういう時に正論をぶちかますww
みたいな感じでした~
とにかく、子ども達の話が読みたかったので、めっちゃ感謝です(`∇´ゞ
どきどきととっても楽しみました!ありがとうございました!!倉庫においでの際は、ぜひ一言、声をかけて下さいねっ!!(来られているというコメントにぎゃ~~と叫んだのは私です(^^;))