【2】へ
ゆるゆると振り向く。と、はたせるかな、そこには迷彩服にヘルメットというものものしい堂上の姿があった。
とっさに逃げ出してしまいたい衝動に柴崎は駆られる。
懸命にそれを押し隠し、「あーあ。見つかっちゃった」と肩をすくめた。
「こんなカッコしてるから誰にも気づかれないと思ったのに」
とマスクを外して舌を出して見せた。
内心の動揺を悟られてはいけない。何があっても。
呼び止めた堂上も、あっけに取られている。もしかしたら自身柴崎本人とは思っていなかったのかもしれない。
「堂上教官。お久しぶりです」
柴崎から敬礼を決めてみた。
「……あ、ああ。柴崎、お前なんでここに」
堂上は反射で敬礼を返す。その目は信じられないものを見るかのように見開かれている。
なんで? そうよね。訊くのも無理ないわ。今日は平日だし。しかもここは武蔵野図書館からははるか離れた海岸沿いの町だ。
なんでという疑問が浮かんでしかるべきだ。柴崎は堂上ににっこりと微笑みかける。
「陣中見舞いに来ました。っていったら信じてくれます?」
「郁のか」
堂上が訊き返す。
そうよね。普通そう思うわよねあたしが言ったら。
納得する一方で寂しく思う自分がいる。
今はそれを封印して、一世一代の演技を続けるしかない。
「そうですよー。どうしてます? 奥方」
「元気だ。ってお前、連絡取り合って落ち合う約束とかして来たんじゃないのか」
あいつ、今朝はそんなこと一言も言ってなかったが。
小声で付け足した一文が、堂上の懐疑を表す。
女心の機微を読み取るのが鈍い堂上でも、さすがに何かおかしいと勘付き始めたか。
柴崎は畳み掛けた。
「抜き打ちお宅訪問っていうんですか。内緒で来ちゃいました。相談したら笠原のことですから心配して止めろって言うんじゃないかと思って。それに足回りもまだ復旧中でいつごろ到着するとか分からなかったもので」
「あいつに今日来ること、話してないのか」
無茶なことを、と目が言っている。
「はい。さっき着いたばかりでメールも何も。先にだんな様に見つかっちゃあ世話ないですね」
堂上教官は哨戒ですかと話題を変えてみる。
「俺は町のお偉方とこれから会議だ。仮説の町役場に行く途中だ」
「お疲れ様です。大変ですね」
「ああ。長丁場だからな。さすがに参ってる連中も多い。……連日連夜働きづめで、息抜く場もないとくれば煮詰まる」
淡々とした話しぶりだが、却って現場の苦悩を聞かされた気がして柴崎は身につまされる。
そこで堂上はようやく思い出したかのように無線機を取り出した。
「本部に連絡してやろう。お前がはるばる来たとなると、士気も上がるってもんだ」
スイッチを入れるのを慌てて止める。無線機を素手で押さえ込んだ。
「ちょ、教官。それはちょっとお待ちを」
「な、なんだ」
面食らう堂上。
「ここらはまだ携帯の中継基地がうまくなくて、電波が不安定なんだ。無線のほうが」
だからそーゆー問題じゃなくて!
柴崎は笑顔を作ったままこわばる口を必死で動かす。
「確かに士気は上がるでしょうけど、今はちょっと……。できれば、笠原にもあたしが着いたことは内密にしていただきたいんです」
とうとう堂上ははっきりと疑念に顔を曇らせた。
「どうしてだ? 折角来たのに」
柴崎は無線機から手を放す。笑顔が翳っていなければいい。いつもどおり、あでやかに笑っていられるといい。
ばれないで。
柴崎は少しだけ高い位置にある堂上の目を見つめた。
まっすぐな瞳。笠原と少しも変わらない。
郁に似ていると思うと少しだけ心が楽になった。だから口を開いた。
「実はお願いがあります。堂上教官。あたしを、その仮設の町役場に一緒に連れて行ってくれませんか……?」
柴崎にとって、堂上に見つかったのは不運だったかもしれない。
当の郁だったら、あるいは小牧あたりだったら。
短い邂逅の間でも、普段の柴崎との違和感を覚えていただろう。
それがこの被災地の現状を目の当たりにした衝撃のせいだけではないということにも気づいていたはずだ。
柴崎の来訪の本当の目的。
その男の許に連れて行って会わせてやることまでは及ばなくても、手塚の話を振って彼女の反応を見るぐらいは会話に紛れ込ませたに違いない。
けれども、堂上は柴崎の発言を額面どおりに受け止めた。
疑いもしなかった。
だから柴崎に請われるままに、彼女を町役場まで連れて行った。
荒れた道を行きすがら、柴崎は言った。
「ボランティアをしたいんです。帰る前に」
「ボランティアか」
「はい。あたしでもできることがあれば、何かしていきたい。少しでも。……登録とか、紹介とか、町役場まで行ったら窓口が機能してますよね」
「ああ。確かあったと思う。――それより、いいのか」
「まとまった休みを取ってきたので。大丈夫です。一応、働ける格好もしてきましたし」
堂上は歯切れ悪い。言い辛そうだ。
「でもお前、その、そういう経験とかないんだろう? 炊き出しとかはいいほうで、飛び込みボランティアには被災所の掃除、特にトイレ周りが不衛生になってるところが多いから、そういう仕事に回されると聞いたぞ」
堂上の懸念のポイントが少し的外れで柴崎は笑った。
でも、自分を気遣ってくれていることは伝わった。ありがたかった。
「大丈夫です。むしろそういうお手伝いができるんなら幸いです」
横を歩く柴崎の顔を堂上は見つめた。
「意外ですか?」
「ああ……いや」
どっちつかずの返事。でも、ばればれだ。
「あたしがボランティアするような人間には見えなかった、とおっしゃりたいんでしょう」
「や、それは、だな」
言葉を濁す。ひどーい。と柴崎は眉を吊り上げて見せた。
「あたしだってね、今回の震災には色々考えさせられること、あるんですよ」
だいぶはしょった説明だったが、本音を少し織り交じらせることができた。
堂上は「ああ」と腑に落ちたようにあごを引いた。前方に目を向ける。
軍靴は歩くごと、土ぼこりを舞い上げ、白く汚れる。
「そうだな。……みんな、そうだよな」
穏やかな相槌。それが信じられないくらい柴崎を救う。
堂上が意識したわけではなかったが。
柴崎は目の奥が熱くなった。堂上に気づかれないようにそっとウインドブレーカーの袖でそれを押さえた。
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ゆるゆると振り向く。と、はたせるかな、そこには迷彩服にヘルメットというものものしい堂上の姿があった。
とっさに逃げ出してしまいたい衝動に柴崎は駆られる。
懸命にそれを押し隠し、「あーあ。見つかっちゃった」と肩をすくめた。
「こんなカッコしてるから誰にも気づかれないと思ったのに」
とマスクを外して舌を出して見せた。
内心の動揺を悟られてはいけない。何があっても。
呼び止めた堂上も、あっけに取られている。もしかしたら自身柴崎本人とは思っていなかったのかもしれない。
「堂上教官。お久しぶりです」
柴崎から敬礼を決めてみた。
「……あ、ああ。柴崎、お前なんでここに」
堂上は反射で敬礼を返す。その目は信じられないものを見るかのように見開かれている。
なんで? そうよね。訊くのも無理ないわ。今日は平日だし。しかもここは武蔵野図書館からははるか離れた海岸沿いの町だ。
なんでという疑問が浮かんでしかるべきだ。柴崎は堂上ににっこりと微笑みかける。
「陣中見舞いに来ました。っていったら信じてくれます?」
「郁のか」
堂上が訊き返す。
そうよね。普通そう思うわよねあたしが言ったら。
納得する一方で寂しく思う自分がいる。
今はそれを封印して、一世一代の演技を続けるしかない。
「そうですよー。どうしてます? 奥方」
「元気だ。ってお前、連絡取り合って落ち合う約束とかして来たんじゃないのか」
あいつ、今朝はそんなこと一言も言ってなかったが。
小声で付け足した一文が、堂上の懐疑を表す。
女心の機微を読み取るのが鈍い堂上でも、さすがに何かおかしいと勘付き始めたか。
柴崎は畳み掛けた。
「抜き打ちお宅訪問っていうんですか。内緒で来ちゃいました。相談したら笠原のことですから心配して止めろって言うんじゃないかと思って。それに足回りもまだ復旧中でいつごろ到着するとか分からなかったもので」
「あいつに今日来ること、話してないのか」
無茶なことを、と目が言っている。
「はい。さっき着いたばかりでメールも何も。先にだんな様に見つかっちゃあ世話ないですね」
堂上教官は哨戒ですかと話題を変えてみる。
「俺は町のお偉方とこれから会議だ。仮説の町役場に行く途中だ」
「お疲れ様です。大変ですね」
「ああ。長丁場だからな。さすがに参ってる連中も多い。……連日連夜働きづめで、息抜く場もないとくれば煮詰まる」
淡々とした話しぶりだが、却って現場の苦悩を聞かされた気がして柴崎は身につまされる。
そこで堂上はようやく思い出したかのように無線機を取り出した。
「本部に連絡してやろう。お前がはるばる来たとなると、士気も上がるってもんだ」
スイッチを入れるのを慌てて止める。無線機を素手で押さえ込んだ。
「ちょ、教官。それはちょっとお待ちを」
「な、なんだ」
面食らう堂上。
「ここらはまだ携帯の中継基地がうまくなくて、電波が不安定なんだ。無線のほうが」
だからそーゆー問題じゃなくて!
柴崎は笑顔を作ったままこわばる口を必死で動かす。
「確かに士気は上がるでしょうけど、今はちょっと……。できれば、笠原にもあたしが着いたことは内密にしていただきたいんです」
とうとう堂上ははっきりと疑念に顔を曇らせた。
「どうしてだ? 折角来たのに」
柴崎は無線機から手を放す。笑顔が翳っていなければいい。いつもどおり、あでやかに笑っていられるといい。
ばれないで。
柴崎は少しだけ高い位置にある堂上の目を見つめた。
まっすぐな瞳。笠原と少しも変わらない。
郁に似ていると思うと少しだけ心が楽になった。だから口を開いた。
「実はお願いがあります。堂上教官。あたしを、その仮設の町役場に一緒に連れて行ってくれませんか……?」
柴崎にとって、堂上に見つかったのは不運だったかもしれない。
当の郁だったら、あるいは小牧あたりだったら。
短い邂逅の間でも、普段の柴崎との違和感を覚えていただろう。
それがこの被災地の現状を目の当たりにした衝撃のせいだけではないということにも気づいていたはずだ。
柴崎の来訪の本当の目的。
その男の許に連れて行って会わせてやることまでは及ばなくても、手塚の話を振って彼女の反応を見るぐらいは会話に紛れ込ませたに違いない。
けれども、堂上は柴崎の発言を額面どおりに受け止めた。
疑いもしなかった。
だから柴崎に請われるままに、彼女を町役場まで連れて行った。
荒れた道を行きすがら、柴崎は言った。
「ボランティアをしたいんです。帰る前に」
「ボランティアか」
「はい。あたしでもできることがあれば、何かしていきたい。少しでも。……登録とか、紹介とか、町役場まで行ったら窓口が機能してますよね」
「ああ。確かあったと思う。――それより、いいのか」
「まとまった休みを取ってきたので。大丈夫です。一応、働ける格好もしてきましたし」
堂上は歯切れ悪い。言い辛そうだ。
「でもお前、その、そういう経験とかないんだろう? 炊き出しとかはいいほうで、飛び込みボランティアには被災所の掃除、特にトイレ周りが不衛生になってるところが多いから、そういう仕事に回されると聞いたぞ」
堂上の懸念のポイントが少し的外れで柴崎は笑った。
でも、自分を気遣ってくれていることは伝わった。ありがたかった。
「大丈夫です。むしろそういうお手伝いができるんなら幸いです」
横を歩く柴崎の顔を堂上は見つめた。
「意外ですか?」
「ああ……いや」
どっちつかずの返事。でも、ばればれだ。
「あたしがボランティアするような人間には見えなかった、とおっしゃりたいんでしょう」
「や、それは、だな」
言葉を濁す。ひどーい。と柴崎は眉を吊り上げて見せた。
「あたしだってね、今回の震災には色々考えさせられること、あるんですよ」
だいぶはしょった説明だったが、本音を少し織り交じらせることができた。
堂上は「ああ」と腑に落ちたようにあごを引いた。前方に目を向ける。
軍靴は歩くごと、土ぼこりを舞い上げ、白く汚れる。
「そうだな。……みんな、そうだよな」
穏やかな相槌。それが信じられないくらい柴崎を救う。
堂上が意識したわけではなかったが。
柴崎は目の奥が熱くなった。堂上に気づかれないようにそっとウインドブレーカーの袖でそれを押さえた。
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