約50年前に廃村になった金山町三更集落と対岸を結んでいた只見川の渡し船が復活。
この地ではかつて生活の足として手漕ぎの渡し船が利用されていた。
夏の朝と夕に霧に包まれ、まるで夢のような景色になることから「霧幻峡」と呼ばれるようになった。
そんな霧幻峡で渡し船に乗った。
残念ながら霧はなかったが、心地よい風と水の音がなんともいい感じだった。
この後は米沢へ移動し、この日の観光は終了となる。
続く
この地ではかつて生活の足として手漕ぎの渡し船が利用されていた。
夏の朝と夕に霧に包まれ、まるで夢のような景色になることから「霧幻峡」と呼ばれるようになった。
そんな霧幻峡で渡し船に乗った。
残念ながら霧はなかったが、心地よい風と水の音がなんともいい感じだった。
この後は米沢へ移動し、この日の観光は終了となる。
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でも、暑い様だったので、水辺の移動は、
本当に氣持ち良かったでしょうね!