お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

あたたかい何か

2012年10月01日 | 日記
好きなブロガーさんの記事を見て、イジケた自分がほんの少し恥ずかしくなった。
そんなわけでこの日記を書き直している!

今日、牧師さんにメールを出しておいた。
一度ちゃんと話したい。 そう思ったから。

旅に出る誘惑は強い。とてつもなく。
本質はエスケイプ。
「どこかにまだ名前の付いてない場所って無いかな?」とU2は唄った。
その気持ち、今の俺にはとても良く分かるのだ。

もうこれ以上生きたくないって気持ちはいつも心にある。
正直、いつもいつも、ある。
愉しく笑ってる時にも、幸せを感じている時でさえ。
昔からのこれはクセだ。
だからいざというときには捨て身になれた。
怖いもの知らずだった。
時に他人はそれを勇気と勘違いした。
時に頭がおかしい、とも言われた。

過去に何度も死にかけた。
病気で。
バイクで。
他人の車で。
他人の不注意で。
自分の不注意でも。

でも何故か死ななかった。
バイク事故の時はみんなが「奇跡だ」と言った。
でも俺には判っていた。 奇跡でもなんでも無いと。
いつも目には見えない「何か」が助けてくれた。

「何か」は伝えてくる。

おまえにはまだまだ課題が有るんだよ。
自分なりに努力して欲しい。
勉強もして欲しい。
生きることが何よりも大事なんだよ。
生きて欲しい。
生き抜いて欲しい。
生き抜くことが、おまえの一番大事な課題なんだよ。

あたたかい「何か」。
いつも助けてくれた。
俺が調子に乗ると必ずしっぺ返しをくれた。
その代わり頑張ると必ず幸せなひと時をくれた。

俺はクリスチャンになって、「何か」を神様と思うようにした。
神様と思うためにクリスチャンになったのかもしれない。

生きるのは苦しい。 つらいことばかり。
他人に馬鹿にされるし、騙されるし、はずかしめを受ける。
もう我慢できないといつも思う。
そのたんびに「生き抜け」と神様は云う。
もう無理だと何回も思う。
それが修行なんだと神様は云う。

疲れ果てて、ぼろきれのようになって。
いつも嫌われて。

でも生きたいと思う。
いつも最後にはそう思う。
生きたいし、他のみんなも生きて欲しい。
俺を嫌う奴らにも生きて欲しい。

死ぬのはいつでもできる。
だからもう少し生きてみよう。
イエスもきっとそう言うと思うから。
生きてみよう。