お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

2012年11月08日 | 聖書、信仰
先日、朝、外が濃い霧につつまれました。



真っ白な世の中を描いた映画としては思い出せるものは『ミスト』か。
『ホワイト・ブラインド』なんてのもあった気がします。

この朝、(もしもこのまま世の中が真っ白に包まれたままだったら・・・)

と空想せずにはいられませんでした。

青空のない世界。
光の遠い世界。

たぶん人類は病んでしまうでしょう。

古代宗教の信仰対象の多くが「太陽」だったのには納得できます。
古代人のほうが現代人よりも太陽のありがたみは解っていたでしょうね。

あとは「雷」。
古代人にとってカミナリの音、光・・・・・・
しかも現代のようにコンクリートで密閉された屋内ではなく、ほとんど野外と変わらぬ屋内です。
どれほどの脅威だったでしょう。
まさに自然の神なる力。その象徴ですね。

昔の人のほうが、神様を肌で感じ、信じられたことでしょう。

現代人は科学の進歩を得て、信仰を失いました。

僕が宗教に目覚めたのが30代になってから。
キリスト教への入信がなんと今年、なんと42歳になってから。

僕の場合、古代人と違い、頭で考えて考えてのち信仰を得ましたので、
動機がその分不純かもしれません。
神なる力を肌で感じたわけでなく、頭で理解したのですから。

宗教に目覚めてからキリスト教に入信するまで、じつに10年の歳月が必要でした。

何故か?

答えは簡単。 宗教戦争への疑問・疑念が解けなかったからです。
クリスチャン=人殺しじゃないか、と。

今はある程度その問題は(自分の中では)解決しています。
だから信仰を得られたのです。

おっとっと。 話がそれた。
今日はこれくらいで。
アーメン

美しくも恐ろしいGOBLINの音楽が好き