お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

それが君の恐怖さ

2013年01月16日 | キリスト教会
父トーマス・ウェイン「人はなぜ落ちる?」

子ブルース・ウェイン「・・・・・・・・」

父トーマス・ウェイン「這い上がるためさ!!」

《2005年、アメリカ映画「バットマン・ビギンズ」より》


どこの国で作られたに関係なく、例えどんなジャンルの映画でも、

良い映画には轢かれる部分がありますね。

アメリカには問題も多い、、、

が、

良い部分も確実にあると思います。

本当に「悪い」のは・・・

我等の日本がアメリカの「悪い部分ばかりを真似してしまった」こと・・・。


人を見て、良いところは真似をしよう、悪いところは自らはしないよう努めよう!

アーメン

こんなこともある

2013年01月15日 | キリスト教会
雪、いまだ溶けず、歩きにくし。

何よりも自転車に乗れない!のが痛い・・・痛すぎる・・・!

ま、しゃーーーないな、こんなこともあるわいな♪

急がず、あせらず、やっていきましょう!

アーメン

ゆきゆきて・・・

2013年01月14日 | キリスト教会
はい、北松戸も大雪です。

JRも混乱をきたし、自転車で職場に行くことも出来ませんでした。
ヤル気のある職場だったらいかに無理してでも行く僕ですが、
今のところはねぇ・・・(笑)

サラリーマンのときなんて大雪なんか降れば1日仕事にならない、
なのに「義理立て」のみを理由に無理して行ったもんです・・・。
馬鹿でしたねぇ(苦笑)

というわけで今日は何もありません。
アーメン

親鸞とキリスト教(景教)

2013年01月11日 | キリスト教会
風邪でダウンしてから約1週間、だいぶ良くなりました。
今じゃ不惑の43歳。 ちゅうことは今年は44歳になるという。
「ちゃんと身体を労わりましょうね!」という神様からのメッセージを感じます。

そう、何事も体が資本! 気をつけなけれヴぁ!

ありきたりですが、今年の目標!

◎『聖書の勉強会』を始めます!

教会の先輩I氏と「いっしょにやりましょう!」と話はついています。
場所は恐れ多くも聖歌隊々長のT女史のお宅の一室を借りる手はずです。

あと、これは僕自身の課題として「景教」のことを勉強したいと思います。
昔々、キリスト教の中で興ったネストリウス派は異端視・迫害され、東へ東へと流れていきました。
我が日本にも7世紀に入ってきたと思われ、特に興味深いのは「景教と聖徳太子信仰」が混ざり合ったと思われること。

聖徳太子が「うまやどの王子」と呼ばれたのはイエスが馬小屋で誕生したのと重なります。
聖徳太子信仰は中世において庶民や下層階級にもてはやされたという史実があります。
かの浄土真宗の始祖・親鸞も聖徳太子信仰と密接に繋がっていました。

僕は仏教系の聖人では親鸞がダントツで好きです。
そこで現在でも言われる「浄土真宗とキリスト教」の類似点の謎について、もっともっと知りたいのです!

◎仕事を変えます!

いま住んでいる北松戸と稔台教会の近所で働けるようにしたいです。
そして、いまは夜勤で生きているのですが、これを昼の仕事にしたいのです。
夜勤はやはり人間の根本的な精力を蝕むと思うんですよね~・・・(だって疲れるンだもん)

で、秋口あたりまでには教会の近くに安い賃貸を探して引っ越したいです。
何年かぶりの一人暮らしの再開です!

その際にはネコちゃんを飼いたいニャ~・・・(難しいかニャ?)

なにはともあれ今年は飛躍の年です~
アーメン

2013年01月09日 | キリスト教会
前回の日曜日、わが稔台教会では普段どおりの礼拝後に新年の祝いをやったのです。
みんなで料理を持ち寄って楽しく食べ、かつ飲みましょう!という。

そして、今回の催しでは、昨年洗礼を受けた者が「証」をすることになっていました。
「証」と聞いてもピンときませんよね?
多分、ですが・・・(苦笑)
洗礼を受けて、その前とその後にどんな違いがあったのか・・・表明することだと僕は思いました。

僕はその時に、今まで二人にしか明かしてない事実を、初めて人前で話しました。

僕の別れた奥さんは、一度妊娠したことがありました。
子供は僕は大好きですし、妊娠は望んでいたことだったのですごく喜びました。

ところが奥さんは内心喜んでなかったのでした。
結局、細かい経緯は省きますが、奥さんはその子供を、僕に何の相談もなく、おろしてしまったのです。

僕と彼女が離婚をした原因はとてもひとつには集約できません。
でも、この「子供を僕に相談もなく勝手におろした」という事実は、とても大きな理由になります。

おろしたと知らされた時、僕は、彼女を「人殺し!」とののしってしまいました。
彼女の顔を見ているだけで憎しみが沸きあがり、殴りはしませんでしたが、
その後は彼女を自分と同じ人間とは思わないようになってしまった。
軽蔑してしまったのです。

彼女なりの言い分もあったのです。

彼女は、僕が子供好きであるのを結婚するまえから知っていました。
そして、妊娠したその頃、彼女自身は、僕の愛情が薄れてきている・・・と思っていたようなのです。
「このまま子供を生んだら、この人は子供を溺愛して、自分を捨てるのではないか・・・?」
そんな根も葉もない疑念を、彼女は心の底に抱くようになってしまったようです。

実際にはどうだったのか。

僕は彼女を愛せなくなっていたのでしょうか?
残念ながら、多少それは当たっていたと思うのです。

彼女はお酒を好み、喫煙もしました。それらを自分の楽しみとし、自らをなぐさめていたのです。
特にお酒の量は結婚後には飛躍的に増え続き、ついには毎日必ず1~2本の酒瓶が空くようになりました。
たぶん、彼女は軽いアルコール中毒に侵されていたのだと思っています。

子供を身ごもっているのに、そんなにお酒を飲んで大丈夫なのか・・・・?
妊娠発覚後、僕はそう考え、彼女に「禁酒」をするよう求めました。
子供に障害を与えてしまうじゃないか・・・とかなんとか言って。

今から考えると僕も幼かった。未熟でした。もっと他に言い様、やりようがあった気がします。

結局、奥さんは子供よりもお酒を取った、ただそれだけのことなのです。
そういう選択をさせてしまったのは僕にも責任があると、今では思っています。

これが、この事実が、長らく他人にはどうしても言えませんでした。

怖かったのか。 罪と思っていたのか。 本当によく判りません。
これは両親にも今まで話したことがなかったくらいなのです。
誰にも話せませんでした。僕にはつらすぎる事実でした。
これはひとつの重い重い「しこり」となって、僕の中に居座り続けました。

でも、最近になって、教会に来るSさんご一家の可愛い子供たちと遊んでもらうようになって、
僕の中のこの「しこり」が「溶けて行く・・・」気がしてました。

最初は子供たちにとってはエイリアンだった僕にも時間とともに慣れたのでしょう、
子供たちは僕に甘えてくれるようになりました。

具体的に言えば、僕に身を預けてくれるようになりました。
たぶん、これがどういう常態か、子供をお持ちの方ならば理解してくれるでしょう。
僕があぐらをかいていれば、その上に彼らは乗ってくるようになりました。
最初は僕も驚きましたが、慣れると共に、信頼を得られたという嬉しさが大きくなってきました。

その嬉しさが、しこりを溶かしたのです。
するとどこかからエネルギーが届くようになりました。
それをあえて言葉にすると、

「これでいいじゃないか。君はいま、とても幸せだよね。よかったよね」

という感じの。

これは、もしかしたら自分が作り上げた、幻想かもしれません。
自己催眠のたぐいなのかもしれません。

でもね、それでもいいと思ってるんです。
そういう風に自分を痛めつけるのは、もう止めた僕なのです。

アーメン。。。