Tシャツとサンダルの候

悠久の時を刻む古城を行く

「竹田の岡城が、NHKで日本一に選ばれたんだって。何でだと思う?」(家内)


「いいや、何で選ばれたと?」

「・・・・何でかは、知らんねんけどな。」

「ししし、知らんのかいな!!」



と、

金鳥のCM風に始めて見た。


NHKのある番組で、岡城が日本一の山城に選ばれたらしい。

我々は、その番組を見ていない。

こうなったら、何の日本一かを確かめるべく、豊後竹田の岡城址まで行くしかなかろう。


日本一の城ともなると、入場券だって巻物なのだ。


小高い山に、他を圧する様に聳えたつ石垣。




苔むす石垣。

なんてったって、この城は《荒城の月》の舞台なのだ。

こうでなくちゃ。


大手門跡


西ノ丸跡


石垣越しに見えるのは、九重連山である。

その他、阿蘇五岳、祖母山系等、九州を代表する山々に囲まれるロケーションも、この城の魅力の一つであろう。


西ノ丸御殿礎石跡


岡城はU字型と言うか、J字型の尾根を要塞化した山城だ。

一方の曲輪(西ノ丸)から、谷を挟んで本丸を見通す事が出来るのは珍しかろう。




家老屋敷跡



こちらも家老屋敷跡だ。

山城であったにもかかわらず、城内に家老や殿様が実際に住んでいたのも、珍しいのではなかろうか。


中休所跡

外部からの来訪者は、城代家老の屋敷の前で、城代の許可が下りるまで待たされるのが、決まりだったのだそうだ。


本丸へと続く桜馬場。


急峻な崖に築かれた石垣。

戦国の世、
数万の薩摩軍に包囲された岡城だったが、ビクともしなかったと言うのも頷ける。
むしろ薩軍側が、この城を力攻めしようと言う気になったのが、不思議で仕方がない。

そう、
NHKの番組で、岡城が何を持って日本一に選ばれたのかと言うと、
「日本最強の城」である事らしい。


本丸跡




明治になり、廃城令により、場内の建造物は全て取り壊され、荒れ放題になっていた。

その風景の中、この城跡に遊んだ滝廉太郎により、名曲《荒城の月》は生まれる。


と、パンフに書いてあった。


土居晩翠直筆の、《荒城の月》の詩が書かれた石碑。

学校で習ったものと、2番の詩が微妙に違っている。


木の根で崩れた石段。





帰りは、近戸門から七曲りと呼ばれる急傾斜の坂道を降りた。


折角、竹田まで来たのだ。城下町をぶらりと散策したい。
それに腹も減った。

「竹田の城下町まで降りて、飯でも食おうぜ。」




続く


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