竹田の城下には、趣がある建物が数多く残っている。
銀行の前を通ると、観光客の為に、土日は駐車場を、無料で開放してくれてるんだそうな。
これは、とっても助かる。
乗用車はまだしも、キャンピングカーでの車旅の時など、銀行や役所の駐車場を開放してくれたらと、何度思った事か。
ブラリと散策してみよう。
日曜と言うのに、思ったよりも人通りが少ないようだ。
豊後竹田は、滝廉太郎の他、日露戦争の軍神広瀬武夫や、最後の陸相阿南惟幾を輩出している。
歴史に名を残すような軍人を育む風土でもあるのだろうか。
食事を済ませた後、武家屋敷の方へ行ってみた。
武家屋敷通り。
剥がれかけた土塀が続く。
この建物は、明治期には接収され、法務局として使われていたものだそうだ。
現在は資料館として、無料開放されている。
武家屋敷通りを右に折れ、山手に登って行くと、切支丹洞窟がある。
白い扉が見えるのが礼拝堂跡。
この洞窟は、司祭が住んでいた住居跡だそうだ。
この地を領した大友宗麟は、熱心な切支丹大名である。
城下に信徒が多かったのは間違いない
そうは言っても、切支丹が禁制になった後、代わってここを治めたのは、何の所縁も無い中川氏である。
このような信仰の痕跡が、大っぴらと言っていい状態で、そのまま残せたのは何故だろうか?
城下町に戻って来た。
廉太郎トンネル。
中に入ったと同時に、荒城の月のメロディが流れて来る仕掛けになっている。
トンネルを抜けると、滝廉太郎の旧宅があった。
廉太郎は、その短い人生のうち、最も多感な少年時代の2年半を、ここ竹田で過ごしている。
凝灰岩の岩盤をくり抜いて作られた室。
元々、醤油などの保管庫として使われていたそうだが、廉太郎の父親がこの住宅に移り住んだ頃には、馬小屋として利用されていたとある。
岡城と竹田城下を満喫した一日だった。
それにしてもこの日は、真夏と言っていい気温となった。
汗びっしょりである。
ビール飲みてえ!