日 時 :2013年12月8日(日曜日) 曇り
場 所 :三ツ峠山みつとうげやま(1785.2M) & 西湖いやしの里根場さいこいやしのさとねんば
山梨県南都留郡富士河口湖町三ツ峠 & 山梨県南都留郡富士河口湖町西湖
当日のコースとタイム(自家用車)
自宅(3:00)→富士河口湖町三ツ峠 三ツ峠山(10:00~13:20)→富士河口湖町西湖 西湖いやしの里根場(14:30~15:40)→北駿地方ほくすんちほうの宿(16:50) 移動距離575 ㎞
◆ 三ツ峠山 ◆ 別名:開運山かいうんざん 三つ峠みつとうげ
パーティ :二人
コースとタイム(山行形態:登山口からのピストン)
西川ルート登山口(10:10)→堰堤えんてい(10:20)→第一ベンチ(10:50)→三ツ峠山荘(11:20)→三ツ峠山(11:40~11:45)→三ツ峠山荘(12:00~12:15)→木無山けなしやま1732㍍(12:20)→西川ルート登山口(13:10)
西川ルート登山口の様子(トイレ有り)
登山口近くに設置された三ツ峠案内板
カラマツ林が綺麗な登山道
登山道両脇に出来た霜柱
もみの木に囲まれた休憩所の第一ベンチ
主稜線上に建つ三ツ峠山荘
四季楽園手前から見た電波塔が林立する三ツ峠山
三ツ峠山へは四季楽園前を通ります
富士見山荘前から見た黒岳1793㍍(左手の山)と釈迦ヶ岳1641㍍(中央奥の凸)
三ツ峠山への最後の登り
三ツ峠山々頂から望む中央自動車道と丹沢山方面
ロッククライミングで賑う三ツ峠山南斜面の屏風岩
三ツ峠山荘前の富士山ビューポイントから見た富士山(チョッとだけよ!)
下山時気づいた 沢が凍りついた堰堤
天気がいいときの三ツ峠山々頂からの富士山(この景色が見たかった)
当日の三ツ峠山案内図
当日の様子
中央自動車道も谷村やむらPAを過ぎると、雲の切れ間からドッカーンと富士の姿が目の前に跳び込んで来ました。オー!スゴーィ!山頂も見えるー。河口湖の遊覧船乗場前で休憩後、左手に湖畔を見ながら御坂峠みさかとうげ方面へと向かいます。三ツ峠登山口バス停前では団体の登山者が賑やかでしたが そのまま奥へと進みます。トイレが設置された西川ルート登山口にも沢山の登山者がいます。身支度を整え いよいよ入山開始です。雑木林の中 緩やかな坂道を登って行きます、ミズナラにカラマツ林の多いつづら折りの坂道がしばらく続きます。幅の広い登山道には至る所に霜柱が出来ていました。やがて正面に三ツ峠山荘が見えて来ました、山荘前の富士山ビューポイントからは 曇り空に富士の裾野が見えるだけでした。山荘の裏手に続く道を進むと 右手に電波塔が林立する三ツ峠山の山頂が見えてきます、登山者の姿もチラホラ見えています。四季楽園前を通過し、右手の坂を登ると三ツ峠山々頂です。三角点標石に方位盤と山名碑 設置の山頂は登山者が多いせいか狭く感じられました。生憎の曇り空と賑やかな山頂を後に、誰もいない三ツ峠山荘前に戻り休憩です。エネルギーを補給しながら のんびり富士山を眺めます、この日は雲の切れ間からチョッと顔が覗けただけの富士でした。ザン!ネーン!。下山は尾根を南に向かい 登山道の一部の様な木無山々頂を経由し往時を辿ります。雲が広がって来たこの日は徐々に寒い一日となり、何時かまた天気のいい日に訪ねてみたいとの思いが膨らむ山歩きでした。
来た道(469㎞)
自宅発(3:00)→国道4→国見IC 東北自動車道→岩舟JCT 北関東自動車道→高崎JCT 関越自動車道→鶴ヶ島JCT 圏央道→八王子JCT 中央自動車道→大月JCT→河口湖IC→県道707→国道137→県道708→三ツ峠西川ルート登山口(10:00) 時間は途中 仮眠・休憩3回にコンビニ買出しを含む
◆ 西湖いやしの里根場 ◆
日本の原風景が今、蘇る。ここはかつて日本一美しい茅葺の集落でした。霊峰富士と神秘の森青木ヶ原樹海を望む西湖の地に今、21世紀の茅葺の里が“いやしの里”として蘇りました。里に足を踏み入れれば、昭和の時代にタイムスリップ。ゆっくり腰かけて、とびっきりの富士を望むこころ癒される空間。いやしの里 根場では、風景だけでなく個々の建物で紙漉き、つるし雛作りなどの体験やお食事、各種企画展も開催、冬場を中心とした炭焼き、酪農の代わりにやぎを飼育、おばあちゃんのいる田舎へ帰ってきたという暖かな雰囲気も醸し出しています。
いやしの里根場への入口
いやしの里根場全景
いやしの里根場正面入口
それぞれがテーマパークの古民家(全て復元)
二胡の演奏に聞き入る観光客
見事に立ち並ぶ茅葺の古民家
どこか なつかしい つるし柿の古民家
晴れていればこの先に富士山が見える
春の花見に最適な いやしの里根場
西湖いやしの里根場とは → Saiko 'Iyashi no sato NENBA'
西湖の西北に位置する旧足和田村根場(ねんば)集落には「かぶと造り」の茅葺民家が並んでいた。しかし、1966年(昭和41年)の台風26号の集中豪雨により集落は土石流に襲われ、死者94名を出した。この結果、集落は壊滅し、住民は西湖対岸に集団移転した。2003年(平成15年)に南都留郡の河口湖町・足和田村・勝山村が合併し、富士河口湖町が誕生すると、合併を契機に根場集落の復元・展示事業が開始され、2006年に第一期オープンとなった。その後、段階的に整備され、現在は20棟の茅葺民家がある。
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