朝方から雨が降り続いている今日の奈良です。夜が明ける前に配られる新聞が、雨除け袋に入っていませんでした。夜中に降っていたら必ず入れられているんですが、夜明けまでは降っていなかったということでしょう。雨はその後強さを増して、一時は強い風を伴って横殴りでしたが、今は風は落ち着いています。でも、夕方まで雨が続くようで、農作業はできず、休養日です♪
午前中に、母を連れて、かかりつけ医に行ってきました。母は2週間に一度、私は月に一度の、定期的な診察と薬の処方です。いずれも体調に問題はなく、常用の薬と花粉症の薬をもらってきました。
母とは、9時前に、「10時に家を出てかかりつけ医に行こう」と話したんですが、そこから母のあたふたした行動が始まりました。すでにトイレや洗顔は済ませていたんですが、そのあと、トイレ、手洗い、入れ歯洗いを3度繰り返しました。トイレは、大きい方が出にくいときなどに何度もトイレに行くことがあるのですが、どうやら特に催しているわけではなく、「出かける前に済ませておかないと!」という強迫観念のようなものが出てきて、しかも行ったことをすぐに忘れて(認知症ですのでね)、それを繰り返しているようでした。手洗いと入れ歯洗いも同様のようです。ただ、歯を洗うときは、入れ歯だけでなく、口の中もガシャガシャと歯ブラシでこするので、口の中を切りかねません。気がつけば歯ブラシを使っているので、私が思わず「また磨いてるのか。口の中、切れて、血ぃ出るで!」と言うと、何か言い咎められた(いちゃもんをつけられた)と思うのか、眉間にしわを寄せて「もう~!」と言います。私も、やり過ごせばよいものを、つい口を出してしまいます。
どうやら私は、母のそういう行動に、漠然とした不安を感じているようです。母本人は「出かける前にちゃんとしないと!」と思って行動しているだけなんですが、30分も1時間も前からあたふたと同じ行動を繰り返す姿は、異様に見えて仕方がありません。物忘れ外来で「中程度の認知症です」と診断を受けてからは「こういうものなんだな」と思えるようになってきましたが、やはり「異様であってほしくない」という気持ちが、そういうあたふたした行動を無意識に拒否しているんだと思います。理性的に母を見ている気持ちよりも、そういう感情が勝ってしまうんでしょう。やはり、家族は家族であって、クライアントにはなかなか見えません。
ただ、今日考えたのは、以前の母(いわゆる“常識的”な行動ができている母)ではない母を“異常”と感じている自分のことについてです。もちろんそれは、私たちが今営んでいる生活を“正常”とすれば“異常”な行動ですが、その“異常”が当たり前になった時には、その生活が“正常”なはずです。でもそれは、今までの“正常”な生活を維持したい自分にとっては、受け入れたくない生活なのです。認知症で変わっていく母を受け入れることに加えて、それによって自分の生活感覚を変えざるを得なくなることが受け入れられずに(今を維持したくて)、感情的になってしまうのかもしれないなぁ、と思ったのです。母の変化によって、今の自分の生活の安定的な精神状態を捨てなければならないことが嫌で、ストレスが高まり、不安が生まれてきているのではないか。認知症の家族の介護というものは、変わっていく家族を受け入れられるかどうか、に加えて、それに合わせて自分の精神の安定をいったん捨てて違う状態になることができるか、を突き付けられることだという気がします。
自分は自分の安定した生活がしたんだけど、それはムリなことなのかなぁ…
母は、いったん車に乗ったら、もう落ち着いていて、医者に行ってからあとはずっと穏やかに過ごしています。今は、リハビリの先生が来てくださって、肩や腕の運動などをしています。これから、指の運動に新聞のコラムの書き写しをします。その前に、先生と一緒に「リンゴの唄」や「青い山脈」を歌っています。いろいろと工夫しながら機能回復を試みていただいてます。ホントにありがたいです♪
お昼ご飯は、カレーオムライスと大根の甘酢漬けでした。美味しかったです♪
雨は降り続いているので、今日はケチャップで雨傘を描きました。ちょっとほつれている傘ですね(笑)。