「歌仙の愉しみ」大岡信、岡野弘彦、丸谷才一、岩波新書。始めと終わりだけ読んだ。
丸谷才一の前書きに謂う。連句の発句を独立させ文学芸術に変容させた。正岡子規の否定論のせい、でその娯楽性遊戯性が捨てられて日本近代文学がつまらなくなったと。 難しいことはわからないが連歌、俳諧の愉しみが庶民凡人から奪われたことになる。子規に睨まれただけで連歌俳諧が廃れるとは当時の宗匠名人のなんとだらしないことか。ぬるま湯につかり革新できないほどレベルが下がっていたのだろうな。
丸谷才一の前書きに謂う。連句の発句を独立させ文学芸術に変容させた。正岡子規の否定論のせい、でその娯楽性遊戯性が捨てられて日本近代文学がつまらなくなったと。 難しいことはわからないが連歌、俳諧の愉しみが庶民凡人から奪われたことになる。子規に睨まれただけで連歌俳諧が廃れるとは当時の宗匠名人のなんとだらしないことか。ぬるま湯につかり革新できないほどレベルが下がっていたのだろうな。
正岡子規の「古池の句の弁」に有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の真価を知るには俳諧史を知るにしかず、俳諧史を説かんとするにはまず連歌を説かざるべからず。といへり、と。発句だけ残して俳句になったと。歴史について少し触れているところがあった。衰退した理由がわかったような気になった。
3人が巻いた歌仙を二つばかり読んだが面白そうでもありばかばかしくもあり。仲間内が集まって一巻上げるその過程はそれはそれで楽しいに違いない。蕎麦屋の二階で巻いたのなら酒などをいただきながらだろいから楽しいに違いない。
あのような親父ギャグや連想ゲームみたいなものでも前後がつながっていればいいなら庶民凡人でも十分やれそうと思う。新聞や週刊誌に短歌俳句川柳のたくさんの読者と作者がいるのだからちょいと音頭をとるものがいたら愉しい遊びが増えるかもしれない。絶滅させてはいけない日本の伝統文藝ではないかと思うが。
あのような親父ギャグや連想ゲームみたいなものでも前後がつながっていればいいなら庶民凡人でも十分やれそうと思う。新聞や週刊誌に短歌俳句川柳のたくさんの読者と作者がいるのだからちょいと音頭をとるものがいたら愉しい遊びが増えるかもしれない。絶滅させてはいけない日本の伝統文藝ではないかと思うが。
八 親方、近頃新しい道楽にはまってるンだってね
親方 おう、むかしは飲む、打つ、買う、だったが今じゃ 飲む、打つ、巻くってんだ
八 なんですその「巻く」ってのは、管でも巻くんすか?酒癖悪いから
親方 なんだとお!、巻くったってな管巻いたり手巻きずし巻くんじゃねえんだ。
蓮歌を巻くんだ覚えとけ
八 あんな硬え物(レンガ)が巻けるんですかい
親方 あたりめえよこんこんちきめ、頭が柔らきゃ、難だって巻けんだ。
おかみさん 驚いたよお、わけのわからないものを巻くようになったらこの 頭が柔らかくなっちまってこないだなんか豆腐の角に頭ぶつけたら頭がへこんでるんだよ、干瓢で鉢巻きしたらくびれてるんだよ。近頃では角が取れて人間が柔らかくなったねえなんて言われんのさ。
八 尖んがってる角も取れますか
親方 おお取れるとも、おめえのドラ息子にやらせてみろ、連歌を巻けばあおり運転もしないし戦争して島捕り返そうなんて言わなくなるかもしれねえぞ
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