湖の北側のほとりから戦争記念館までの広い通りが、アンザック・パレード(Anzac Pde.)。この通りでは、毎年4月25日にオーストラリア、ニュージーランド両軍の協力を記念してパレードが行われるそうです。戦争記念館には、スーダン戦争からマレーシア作戦にいたるまでの戦死者が祀られています。正面入口を入ると、追悼ホールがあります。
@Hall of Memory
われわれは、第1次世界大戦から第2次世界大戦について、小・中・高と学んできましたが、オーストラリアではどのような捉えられ方をしているのか、またどんな教育をされているのか、記念館では日本軍はどんな言われ方をしてるのか?そんなことを考えながら、見学してきました。
こんな巨大な爆弾が空から降ってきてたのかと思うと背筋がゾッとします。どの戦争記念館に行っても独特の雰囲気で、なんか緊張します。
当時を思わせるようなものまでありました。
順路に沿って進んで行くと、第2次世界大戦コーナーがあります。
旭日旗が突如現れます。第2次世界大戦の話になると、日本軍は話の中心になってきます。
かつては、旭日旗を踏ませて入場させていた場所のようです。ニュースにもなりましたね。現在は行われていませんでした。
実際に、日本軍はシドニーとダーウィンを攻撃した記録が残っています。オーストラリアも日本軍の脅威に怯えていたことでしょう。
第2次世界大戦の展示室に入ると、正直、目頭が熱くなります。と同時に周りにいる現地の方々の目線が気になります。現に睨まれるシーンもありましたから。遠足で来ていた小学生の子ども達とは、目を合わせることができませんでした。
「日本軍が凄く残酷な方法で大量に・・・」
「オーストラリアも被害を・・・・」とか先生が小学生に話しているのを耳にすると、心が痛かったです。
日本は戦争に負けることは分かっていたと思います。でも、戦いました。多くの日本人が日本を守る為に命を捨てましたし、犠牲になりました。私たち日本人は、その上に立って生活していることを忘れてはならない。そう思います。
こんな豊かな日本を作ってきたのは、間違いなく日本人であり、過去に戦争で殉職された沢山の日本軍兵士のお陰でもあるのですから。
毎日10:00~17:00(クリスマスデーは休み)。
入場は無料。
AU$2~5の寄付をすることをオススメします。