平成12年、団地に住む山好きの人、十数人を集めてちいさなグループをつくりました
リーダーは主人です。月1回の山行です。10年間続きいろいろな所へ行きました。
主人はパソコンは全くしません。事務的なことはすべて私がしました。
会員住所・連絡網・山行案内などです。宿の手配は主人の仕事です。
交通手段はマイクロバスやタクシーを使いました。自家用車は万が一のことを
考えて一度も使いません。ご夫婦で入られた方がおられたのでとても助かりました。
計画書には何月と日にちまできめました。
穂高連峰が大好きだった私達はなんどもいきました。
計画を作る前には主人と私は必ず一度はいってます。
わたしは帰って来るとノートに参加者とレポートを書いておきました。
3000m級の山は初めての人が多かったのですが、みな頑張ってザイテングラードを
のぼりきり涸沢岳を登りました。疲れた人は穂高岳山荘で待っています。正直言って
ザイテングラードは危険で下りは本当に心配しました。
八方尾根
出掛ける時は殆ど3泊4日でした。
日本一の紅葉で知られた涸沢カールにはみなで2度行きました。
お天気も最高で燃えるような紅葉が見られました
涸沢カールの紅葉
山小屋は涸沢小屋でなく涸沢ヒュッテを使いました。(涸沢小屋は主人と行った
時食事が美味しくなかったのです.というよりはまだ最初の頃で私が
高山病になってしまったのです。
礼文島
ここも私達には2度目です。ほとんどの方が参加してくれてレブンアツモリソウの
花が見事でした。ここの食事はさいこうです。一番年配のご夫婦には
とても喜ばれて何度も話に出ました。
主人の歩き方はゆっくりで、高山植物を観察しながらあるくのです。
私がレポートを作るのは毎年12月に入ってからワードを利用してつくりました
表紙は月の催行で一番気に入った所を表紙に使いました。
雲取山の縦走は兎に角よく歩きました。秩父側~東京側に入りました。
鹿も近くで見ました
この時は皆ばててしまい「もういいわ」と口をそろえていってました。
穂高岳連峰は(西穂高・奥穂高・北穂高・前穂高・涸沢岳)の5山を言います。
山の食事も以前と比べるととても良くなり美味しかったです。何しろ
真夏の山小屋で冷たいお豆腐がでました。燕岳にも行きました。
ここは山の途中にスイカが売っています。
北穂高岳(この時は4人でいきました)ここの山小屋は八王子出身の人が
自分たちで作った山小屋です。当時はまだうんぱんするてだ手もなく兄弟で
材料をかつぎあげてつくったそうです。
部屋の中にクラシック音楽が流れて
いました。小屋に近くには滝谷があります。
頼んだお弁当が3色おにぎりでとても美味しく頂きました。
10年近くやっていましたが、山野草にも目を向けて高尾山にも何度も皆と
一緒に行って花の名前を憶えさせられました。スミレも殆ど見分けられたの
ですが今は全く覚えていません。
雲取山へ行った頃から主人の足が痛くなり、その後手術をし、
結果的に解散しました。その時の仲間が苦楽をともにした
仲間です。絆も深まっていまでも親しいお付き合いがあります。
今年の忘年会も女性全員参加です。今後生涯にわたって
お仲間でお付き合いしてゆきます。
沢山の思い出を残してくれた山草ウオークは私達に最高の
プレゼントを残してくれました。秋田駒ケ岳も楽しかったです
一面に咲き乱れたチングルマの中を歩きました
登れなくなった今は、上高地が大好きです。
河童橋から見る穂高連峰を見ると
当時のことが思い出され胸が熱くなります
*レポートはワードで作りましたが、文章の中に画像を
入れることなどまったくできなくなりました。