10:24:01
春ですね!
公園も人がたくさん
pic.twitter.com/NURxuibwtl
10:31:35
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/Jj18u3DJRa
11:17:36
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
エペソ人への手紙4章から
#churchjp
pic.twitter.com/kFC8Q1rBnB
11:19:05
教会とは建物のことではなく
集う人たちのこと
#churchjp
11:19:45
『さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。』
(エペソ人への手紙 4章 1〜3節)
礼拝とは、神の招きに依って集まる人たちによる集会
#churchjp
11:22:00
『すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。』
(エペソ人への手紙 1章 4~5節)
私たちが気付く前から、神さまは私たちを選び、愛していたとここには書かれている #churchjp
11:27:52
教会は神さまに依って集められた人たちにより、
神さまに依って建てられたものであるけれど、
結果完璧に神さまの思う通りに進んだかというと
そうでもない。
エルサレムでの公会議は、今までのやり方を続けるかどうかで論議されている
#churchjp
11:27:52
『バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。』
(使徒の働き 15章 37〜40節)
この時も激しい論争があった #churchjp
11:32:32
『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。』
(エペソ人への手紙 4章 2〜3節)
色々考えも意見も違うが、一致を保つことが大事である、とパウロは語ってる
#churchjp
11:35:58
『あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。』
(エペソ人への手紙 4章 4〜5節)
神さまは元々人間のために、神さまの思いを成し遂げるためにこの世界を作られたのです #churchjp
11:38:09
『しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
(エペソ人への手紙 4章 7〜8節)
私たちは大きな賜物(贈り物)をもらっているのです #churchjp
11:38:09
『「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。』
(エペソ人への手紙 4章 9~11節)
神さまは一人一人にそれぞれ役割を与えてくれる。
その人の役割はその人だけのもの
#churchjp
11:42:11
『私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。』
(エペソ人への手紙 4章 13節)
そして神さまの導きによって、私たちは成長できる #churchjp
春ですね!
公園も人がたくさん
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10:31:35
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
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今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
エペソ人への手紙4章から
#churchjp
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11:19:05
教会とは建物のことではなく
集う人たちのこと
#churchjp
11:19:45
『さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。』
(エペソ人への手紙 4章 1〜3節)
礼拝とは、神の招きに依って集まる人たちによる集会
#churchjp
11:22:00
『すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。』
(エペソ人への手紙 1章 4~5節)
私たちが気付く前から、神さまは私たちを選び、愛していたとここには書かれている #churchjp
11:27:52
教会は神さまに依って集められた人たちにより、
神さまに依って建てられたものであるけれど、
結果完璧に神さまの思う通りに進んだかというと
そうでもない。
エルサレムでの公会議は、今までのやり方を続けるかどうかで論議されている
#churchjp
11:27:52
『バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。』
(使徒の働き 15章 37〜40節)
この時も激しい論争があった #churchjp
11:32:32
『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。』
(エペソ人への手紙 4章 2〜3節)
色々考えも意見も違うが、一致を保つことが大事である、とパウロは語ってる
#churchjp
11:35:58
『あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。』
(エペソ人への手紙 4章 4〜5節)
神さまは元々人間のために、神さまの思いを成し遂げるためにこの世界を作られたのです #churchjp
11:38:09
『しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
(エペソ人への手紙 4章 7〜8節)
私たちは大きな賜物(贈り物)をもらっているのです #churchjp
11:38:09
『「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。』
(エペソ人への手紙 4章 9~11節)
神さまは一人一人にそれぞれ役割を与えてくれる。
その人の役割はその人だけのもの
#churchjp
11:42:11
『私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。』
(エペソ人への手紙 4章 13節)
そして神さまの導きによって、私たちは成長できる #churchjp
![]() 礼拝の様子はこちらから(動画です) ![]() ・2022年3月13日三好キリスト教会主日礼拝 ・おはなしのじかん「エルサレム入城」 |
10:27:33
風は強いけど、そこまで寒くない
弥生3月
pic.twitter.com/Tg1sT054uZ
11:12:56
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
申命記30章から
#churchjp
pic.twitter.com/Tg1sT054uZ
11:14:22
『それからモーセは行って、次のことばをイスラエル全体に告げて、
彼らに向かって言った。「私は今日、百二十歳だ。もう出入りすることができない。主は私に『あなたはこのヨルダン川を渡ることはできない』と言われた。』
(申命記 31章 1〜2節)
申命記はモーセの最後の言葉が語られている箇所 #churchjp
11:15:44
モーセは最後の言葉としてユダヤ人に
『見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。』
(申命記 30章 15節)
と語られた
#churchjp
11:16:25
『もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、あなたは生きて数を増やし、あなたの神、主は、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
しかし、もしあなたが心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、
今日、私はあなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅び失せる。あなたがヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことはない。』
(申命記 30章 16〜18節)
11:18:50
「約束の土地」を目前にした時にモーセは
神さまにつながる喜びの道と、そうでない滅びの道がある、
とイスラエルの民に語ったのです。 #churchjp
11:23:35
約束の土地に入った後のイスラエルの民は、
物語のような「めでたしめでたし」になる
わけでは無かった。
現実として
「命の道」と「死の道」とが待っていた
#churchjp
11:24:12
『私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、』
(申命記 30章 19節)
モーセはイスラエルの民に命令しているのではなく、
『あなたはいのちを選びなさい。』
命の道を選ぶことを推奨している。
#churchjp
11:27:12
そして、神さまは、私たちのために
その「命に至る道」を用意してくださる方
#churchjp
12:21:46
そして、教会の礼拝のなかで
聖餐式です
#churchjp
pic.twitter.com/Fka0DUO68s
12:53:15
日曜日の教会の礼拝が終わって
子どもたちの集会「じぃざすきっず」が始まりました
#churchjp
pic.twitter.com/NaVk82fOxE
風は強いけど、そこまで寒くない
弥生3月
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11:12:56
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
申命記30章から
#churchjp
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11:14:22
『それからモーセは行って、次のことばをイスラエル全体に告げて、
彼らに向かって言った。「私は今日、百二十歳だ。もう出入りすることができない。主は私に『あなたはこのヨルダン川を渡ることはできない』と言われた。』
(申命記 31章 1〜2節)
申命記はモーセの最後の言葉が語られている箇所 #churchjp
11:15:44
モーセは最後の言葉としてユダヤ人に
『見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。』
(申命記 30章 15節)
と語られた
#churchjp
11:16:25
『もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、あなたは生きて数を増やし、あなたの神、主は、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
しかし、もしあなたが心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、
今日、私はあなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅び失せる。あなたがヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことはない。』
(申命記 30章 16〜18節)
11:18:50
「約束の土地」を目前にした時にモーセは
神さまにつながる喜びの道と、そうでない滅びの道がある、
とイスラエルの民に語ったのです。 #churchjp
11:23:35
約束の土地に入った後のイスラエルの民は、
物語のような「めでたしめでたし」になる
わけでは無かった。
現実として
「命の道」と「死の道」とが待っていた
#churchjp
11:24:12
『私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、』
(申命記 30章 19節)
モーセはイスラエルの民に命令しているのではなく、
『あなたはいのちを選びなさい。』
命の道を選ぶことを推奨している。
#churchjp
11:27:12
そして、神さまは、私たちのために
その「命に至る道」を用意してくださる方
#churchjp
12:21:46
そして、教会の礼拝のなかで
聖餐式です
#churchjp
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12:53:15
日曜日の教会の礼拝が終わって
子どもたちの集会「じぃざすきっず」が始まりました
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![]() 礼拝の様子はこちらから(動画です) ![]() ・2022年3月6日三好キリスト教会主日礼拝 ・おはなしのじかん「ザアカイさん」 |
10:27:29
やっと、春が来た、かな
pic.twitter.com/ziRceM7ta9
11:03:43
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、マタイによる福音書20章から
#churchjp
pic.twitter.com/jUy33rVGLp
11:05:25
『さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。』
(マタイの福音書 20章 17節)
いつもガリラヤ湖のそばで活動していたキリストは弟子たちを伴ってエルサレムに上っていった。
十字架にかかるために #churchjp
11:07:09
『そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。』
(マタイの福音書 20章 20節)
十二弟子のヤコブとヨハネの母親がキリストのもとへやって来た
#churchjp
11:09:46
もう自立した生活を送っていたいい歳した息子たちの為に、母親はキリストにすがり、
『イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。
「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
(マタイの福音書 20章 21節)
#churchjp
11:11:41
その前のやり取りとして
『そのとき、ペテロはイエスに言った。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。それで、私たちは何をいただけるでしょうか。」
そこでイエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます。』
(マタイの福音書 19章 27、28節)
というやり取りがあったのに
#churchjp
11:13:53
キリストは弟子たちによる要求に対して
『イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。』
(マタイの福音書 20章 22節)
#churchjp
11:15:09
キリストの杯とは、
『目覚めよ、目覚めよ。エルサレムよ、立ち上がれ。あなたは主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した。』
(イザヤ書 51章 17節)
それだけ苦しみの中にあるものであったのに、それをわかっていなかった
#churchjp
11:16:43
『ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。』
(マタイの福音書 20章 24節)
ひょっとしたら、他の弟子たちも、同じことを考えていたのかもしれない。
他の弟子たちより、自分が優れていると
#churchjp
11:18:08
『そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。』
(マタイの福音書 20章 25〜27節)
力を権力として用いるのではなく、みんなの為に使うように諭している
#churchjp
11:18:08
『人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」
(マタイの福音書 20章 28節)
キリストが生まれて来たのも、そのようにみんなに仕えるためであったと
#churchjp
11:26:46
キリストは全ての人のために、全ての人の身代りとして十字架にかかった。
私たちは身代りになったキリストのためにも、今いる場所で精一杯生きるべきなのです。
#churchjp
やっと、春が来た、かな
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11:03:43
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、マタイによる福音書20章から
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『さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。』
(マタイの福音書 20章 17節)
いつもガリラヤ湖のそばで活動していたキリストは弟子たちを伴ってエルサレムに上っていった。
十字架にかかるために #churchjp
11:07:09
『そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。』
(マタイの福音書 20章 20節)
十二弟子のヤコブとヨハネの母親がキリストのもとへやって来た
#churchjp
11:09:46
もう自立した生活を送っていたいい歳した息子たちの為に、母親はキリストにすがり、
『イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。
「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
(マタイの福音書 20章 21節)
#churchjp
11:11:41
その前のやり取りとして
『そのとき、ペテロはイエスに言った。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。それで、私たちは何をいただけるでしょうか。」
そこでイエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます。』
(マタイの福音書 19章 27、28節)
というやり取りがあったのに
#churchjp
11:13:53
キリストは弟子たちによる要求に対して
『イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。』
(マタイの福音書 20章 22節)
#churchjp
11:15:09
キリストの杯とは、
『目覚めよ、目覚めよ。エルサレムよ、立ち上がれ。あなたは主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した。』
(イザヤ書 51章 17節)
それだけ苦しみの中にあるものであったのに、それをわかっていなかった
#churchjp
11:16:43
『ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。』
(マタイの福音書 20章 24節)
ひょっとしたら、他の弟子たちも、同じことを考えていたのかもしれない。
他の弟子たちより、自分が優れていると
#churchjp
11:18:08
『そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。』
(マタイの福音書 20章 25〜27節)
力を権力として用いるのではなく、みんなの為に使うように諭している
#churchjp
11:18:08
『人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」
(マタイの福音書 20章 28節)
キリストが生まれて来たのも、そのようにみんなに仕えるためであったと
#churchjp
11:26:46
キリストは全ての人のために、全ての人の身代りとして十字架にかかった。
私たちは身代りになったキリストのためにも、今いる場所で精一杯生きるべきなのです。
#churchjp
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10:23:22
風は強いけど、日射しは暖か
南風だったりするのかしら
pic.twitter.com/8qgxmS78yK
10:38:12
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/qmRHDrazLG
11:05:10
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ヨハネによる福音書6章から
#churchjp
pic.twitter.com/A2UdMJFp3R
11:05:59
この箇所は、一般的にも有名な奇跡をキリストがおこした箇所
#churchjp
11:06:58
『その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、ティベリアの湖の向こう岸に行かれた。
大勢の群衆がイエスについて行った。イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからであった。』
(ヨハネの福音書 6章 1〜2節)
キリストはいつもガリラヤ湖のそばで神さまの言葉を伝えていました
#churchjp
11:08:21
『その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。
彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。』
(ヨハネの福音書 1章 43〜44節)
ピリポはキリストが声を掛けて弟子にした人
#churchjp
11:09:27
『ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
(ヨハネの福音書 1章 45節)
しかも、弟子になって知人にすぐキリストを紹介した人でもある
#churchjp
11:10:18
そのピリポに
『イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」
(ヨハネの福音書 6章 5節)
とキリストは問いかけた
#churchjp
11:12:09
『イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。
ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
(ヨハネの福音書 6章 6〜7節)
ピリポは目の前の現実を見て、素早く計算したのです。
どうあがいても、5000人以上の人たちを満足させられる食事を提供出来るわけがないと
#churchjp
11:14:15
同じ記事が載っている平行箇所には
『夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください。」
(マタイの福音書 14章 15節)
ともある
#churchjp
11:17:10
『弟子の一人、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」
(ヨハネの福音書 6章 8〜9節)
5000人以上いる群衆に対し、食事杜なるものは、それしかなかった
#churchjp
11:19:46
弟子たちは、その前に
『そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。』
(ヨハネの福音書 5章 5節)
長く病気にかかっているものを癒された奇跡をみていた。
けど、今回も、
キリストを見ずに、目の前の現実だけをみて絶望していた
#churchjp
11:21:00
『イエスは言われた。「人々を座らせなさい。」その場所には草がたくさんあったので、男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。
そうして、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。』
(ヨハネの福音書 6章 10、11節)
キリストはゼロから人々を満たすことも出来たかもしれない。だがそうはしなかった
#churchjp
11:24:16
『イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた。』
(ヨハネの福音書 6章 15節)
キリストは人々の必要を満たしたいと願われる方。
しかし、人々の言いなりになられる方ではない。
#churchjp
風は強いけど、日射しは暖か
南風だったりするのかしら
pic.twitter.com/8qgxmS78yK
10:38:12
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/qmRHDrazLG
11:05:10
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ヨハネによる福音書6章から
#churchjp
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11:05:59
この箇所は、一般的にも有名な奇跡をキリストがおこした箇所
#churchjp
11:06:58
『その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、ティベリアの湖の向こう岸に行かれた。
大勢の群衆がイエスについて行った。イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからであった。』
(ヨハネの福音書 6章 1〜2節)
キリストはいつもガリラヤ湖のそばで神さまの言葉を伝えていました
#churchjp
11:08:21
『その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。
彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。』
(ヨハネの福音書 1章 43〜44節)
ピリポはキリストが声を掛けて弟子にした人
#churchjp
11:09:27
『ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
(ヨハネの福音書 1章 45節)
しかも、弟子になって知人にすぐキリストを紹介した人でもある
#churchjp
11:10:18
そのピリポに
『イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」
(ヨハネの福音書 6章 5節)
とキリストは問いかけた
#churchjp
11:12:09
『イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。
ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
(ヨハネの福音書 6章 6〜7節)
ピリポは目の前の現実を見て、素早く計算したのです。
どうあがいても、5000人以上の人たちを満足させられる食事を提供出来るわけがないと
#churchjp
11:14:15
同じ記事が載っている平行箇所には
『夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください。」
(マタイの福音書 14章 15節)
ともある
#churchjp
11:17:10
『弟子の一人、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」
(ヨハネの福音書 6章 8〜9節)
5000人以上いる群衆に対し、食事杜なるものは、それしかなかった
#churchjp
11:19:46
弟子たちは、その前に
『そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。』
(ヨハネの福音書 5章 5節)
長く病気にかかっているものを癒された奇跡をみていた。
けど、今回も、
キリストを見ずに、目の前の現実だけをみて絶望していた
#churchjp
11:21:00
『イエスは言われた。「人々を座らせなさい。」その場所には草がたくさんあったので、男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。
そうして、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。』
(ヨハネの福音書 6章 10、11節)
キリストはゼロから人々を満たすことも出来たかもしれない。だがそうはしなかった
#churchjp
11:24:16
『イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた。』
(ヨハネの福音書 6章 15節)
キリストは人々の必要を満たしたいと願われる方。
しかし、人々の言いなりになられる方ではない。
#churchjp
10:26:27
今朝も、まだ結構暖かい
日曜日の公園
pic.twitter.com/CFb4gNps2r
10:32:07
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/tFz5D5j9ke
11:11:28
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
テモテへの手紙第二 4章から
#churchjp
pic.twitter.com/6v2qRklVeM
11:13:14
『神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
愛する子テモテへ。』
(テモテへの手紙第二 1章 1〜2節)
パウロから弟子であるテモテへ送られた手紙
#churchjp
11:14:53
『私たちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼と一緒にあなたがたに会えるでしょう。』
(ヘブル人への手紙 13章 23節)
テモテも、パウロのように
囚われていたことがあった様子
#churchjp
11:15:52
『それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。』
(使徒の働き 16章 1節) #churchjp
11:17:29
『パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。』
(使徒の働き 16章 3節)
パウロはテモテを見いだし、一緒に伝道をするようになった #churchjp
11:18:38
『そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました』
(テモテへの手紙第二 1章 6〜7節)
パウロだけでなく、テモテにも何かあった様子
#churchjp
11:20:49
『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。』
(テモテへの手紙第二 4章 2節)
テモテは元々、それらの事は行っていたはず。
しかしパウロは、さらに決意するように促している
#churchjp
11:25:26
『神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。』
(テモテへの手紙第二 4章 1節)
いわゆる「この世の終わり」を思い浮かべながら
神さまの言葉を伝えることの大切さを語っている
#churchjp
11:26:21
『というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。』
(テモテへの手紙第二 4章 3〜4節)
#churchjp
11:32:09
パウロは、
ひょっとしたら自分が死ぬのかも?と言うときに
どうしても伝えたい言葉として
愛弟子のテモテに語ったのでした
#churchjp
11:57:29
教会の礼拝が終わって、
みんなでゆっくりしています
バレンタインのチョコが登場しています
#churchjp
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今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
テモテへの手紙第二 4章から
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『神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
愛する子テモテへ。』
(テモテへの手紙第二 1章 1〜2節)
パウロから弟子であるテモテへ送られた手紙
#churchjp
11:14:53
『私たちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼と一緒にあなたがたに会えるでしょう。』
(ヘブル人への手紙 13章 23節)
テモテも、パウロのように
囚われていたことがあった様子
#churchjp
11:15:52
『それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。』
(使徒の働き 16章 1節) #churchjp
11:17:29
『パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。』
(使徒の働き 16章 3節)
パウロはテモテを見いだし、一緒に伝道をするようになった #churchjp
11:18:38
『そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました』
(テモテへの手紙第二 1章 6〜7節)
パウロだけでなく、テモテにも何かあった様子
#churchjp
11:20:49
『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。』
(テモテへの手紙第二 4章 2節)
テモテは元々、それらの事は行っていたはず。
しかしパウロは、さらに決意するように促している
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11:25:26
『神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。』
(テモテへの手紙第二 4章 1節)
いわゆる「この世の終わり」を思い浮かべながら
神さまの言葉を伝えることの大切さを語っている
#churchjp
11:26:21
『というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。』
(テモテへの手紙第二 4章 3〜4節)
#churchjp
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パウロは、
ひょっとしたら自分が死ぬのかも?と言うときに
どうしても伝えたい言葉として
愛弟子のテモテに語ったのでした
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教会の礼拝が終わって、
みんなでゆっくりしています
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![]() 礼拝の様子はこちらから(動画です) ![]() ・2022年2月13日三好キリスト教会主日礼拝 ・おはなしのじかん「マルタとマリヤ」 |
10:21:20
寒い寒い朝。
雪は降ったり止んだり
雪だるま作るほどは降ってないけど
pic.twitter.com/BLDmLaT06Q
10:48:04
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/58vjM55Say
11:13:07
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ヨナ書1章から
#churchjp
pic.twitter.com/A9zh3yCwpm
11:14:49
『彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。』
(列王記第二 14章 25節)
この聖書箇所にヨナは出てくるので、この時代の人だとおもわれる
#churchjp
11:16:46
そのヨナに
『アミタイの子ヨナに、次のような主のことばがあった。
「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
(ヨナ書 1章 1〜2節)
外国に行って預言するようにと #churchjp
11:18:11
『しかし、ヨナは立って、主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、主の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。』
(ヨナ書 1章 3節)
ヨナは神さまに反旗を翻した #churchjp
11:20:45
『私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。』
(コリント人への手紙第一 9章 16節)
神さまのお仕事をすることを拒否したヨナと対照的に、積極的に神さまを語ろうとしたパウロ
#churchjp
11:22:54
かといって、ヨナはニネベの人たちを説得する術が無かった(能力が無かった)訳では無かった様子。
#churchjp
11:24:03
『ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、主に祈った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです』
(ヨナ書 4章 1〜2節)
災いが無くなったことを喜ばす悔やんだヨナ #churchjp
11:27:44
『そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
ヘロデが死ぬまでそこにいた。』
(マタイの福音書 2章 14〜15節)
生まれたばかりのキリストとその父母もエジプトへ逃げた
逃げるという行為が全て悪い訳ではない
問題は、その背後の神さまの考えはどうなっているのかと #churchjp
11:29:56
『ところが、主が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。』
(ヨナ書 1章 4節)
神さまからの罰というよりは、神さまがそちらに行かないようにするための意思表示であったと
#churchjp
11:31:07
『水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。』
(ヨナ書 1章 5節)
ヨナの逃避は、ヨナだけでなく、船に乗っていた他の人にまで影響を及ぼした
#churchjp
11:31:34
しかし、当の本人は
『一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。』
(ヨナ書 1章 5節) #churchjp
11:32:40
『人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。』
(ヨナ書 1章 7節)
神さまの意思から逃れることは出来なかった
#churchjp
11:33:31
『人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼が主の御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。』
(ヨナ書 1章 10節) #churchjp
11:34:07
『ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
(ヨナ書 1章 12節)
#churchjp
11:35:06
でも、同乗者たちは
『それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。』
(ヨナ書 1章 13節)
言われたからと言って、ヨナを海に投げ込むことはしなかった
#churchjp
11:35:37
『そこで彼らは主に向かって叫んだ。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。主よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」"
(ヨナ書 1章 14節) #churchjp
11:37:24
『こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。』
(ヨナ書 1章 15節)
ヨナの選択は、周りの人たちを巻き込んで終了した。
私たちの毎日の生活も、神さまからの選択があり、周りの人たちを巻き込むことがある
#churchjp
11:46:31
そして、教会の礼拝の中で、聖餐式です
#churchjp
pic.twitter.com/tf5ZklDaC6
13:35:09
教会の礼拝が終わって、
子どもたちの集会「じぃざすきっず」が始まりました
みんなで「教会のカルタ」を作っています
#churchjp
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ヨナ書1章から
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『彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。』
(列王記第二 14章 25節)
この聖書箇所にヨナは出てくるので、この時代の人だとおもわれる
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11:16:46
そのヨナに
『アミタイの子ヨナに、次のような主のことばがあった。
「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
(ヨナ書 1章 1〜2節)
外国に行って預言するようにと #churchjp
11:18:11
『しかし、ヨナは立って、主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、主の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。』
(ヨナ書 1章 3節)
ヨナは神さまに反旗を翻した #churchjp
11:20:45
『私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。』
(コリント人への手紙第一 9章 16節)
神さまのお仕事をすることを拒否したヨナと対照的に、積極的に神さまを語ろうとしたパウロ
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11:22:54
かといって、ヨナはニネベの人たちを説得する術が無かった(能力が無かった)訳では無かった様子。
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11:24:03
『ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、主に祈った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです』
(ヨナ書 4章 1〜2節)
災いが無くなったことを喜ばす悔やんだヨナ #churchjp
11:27:44
『そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
ヘロデが死ぬまでそこにいた。』
(マタイの福音書 2章 14〜15節)
生まれたばかりのキリストとその父母もエジプトへ逃げた
逃げるという行為が全て悪い訳ではない
問題は、その背後の神さまの考えはどうなっているのかと #churchjp
11:29:56
『ところが、主が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。』
(ヨナ書 1章 4節)
神さまからの罰というよりは、神さまがそちらに行かないようにするための意思表示であったと
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11:31:07
『水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。』
(ヨナ書 1章 5節)
ヨナの逃避は、ヨナだけでなく、船に乗っていた他の人にまで影響を及ぼした
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11:31:34
しかし、当の本人は
『一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。』
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11:32:40
『人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。』
(ヨナ書 1章 7節)
神さまの意思から逃れることは出来なかった
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『人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼が主の御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。』
(ヨナ書 1章 10節) #churchjp
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『ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
(ヨナ書 1章 12節)
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11:35:06
でも、同乗者たちは
『それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。』
(ヨナ書 1章 13節)
言われたからと言って、ヨナを海に投げ込むことはしなかった
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11:35:37
『そこで彼らは主に向かって叫んだ。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。主よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」"
(ヨナ書 1章 14節) #churchjp
11:37:24
『こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。』
(ヨナ書 1章 15節)
ヨナの選択は、周りの人たちを巻き込んで終了した。
私たちの毎日の生活も、神さまからの選択があり、周りの人たちを巻き込むことがある
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11:46:31
そして、教会の礼拝の中で、聖餐式です
#churchjp
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教会の礼拝が終わって、
子どもたちの集会「じぃざすきっず」が始まりました
みんなで「教会のカルタ」を作っています
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![]() 礼拝の様子はこちらから(動画です) ![]() ・2022年2月6日三好キリスト教会主日礼拝 ・おはなしのじかん「タラントのたとえ」 |
10:21:56
風は冷たいんだけど、
このところマイナス気温が続いていたせいで
そこまで寒さを感じ無くなった日曜日
公園にも人が
pic.twitter.com/GDd59mPChd
10:29:44
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/zZtspr2h8u
11:08:41
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
エレミヤ書31章から
#churchjp
pic.twitter.com/mHrVJg1xFx
11:11:17
エレミヤ書が書かれた時代は、
ユダの人たちがバビロニアに連れていかれた時代。
『ベニヤミンの地、アナトテにいた祭司の一人、ヒルキヤの子エレミヤのことば。』
(エレミヤ書 1章 1節)
その異教の土地に住むユダヤ人の祭司で預言者であったという
#churchjp
11:13:47
『このエレミヤに主のことばがあった。ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことである。』
(エレミヤ書 1章 2節)
偶像崇拝が続く中、ヨシヤ王は神さまに立ち返ろうと「宗教改革」を起こした王でした
#churchjp
11:15:46
ヨシヤ王の宗教改革があったものの
『あなたの悪があなたを懲らしめ、あなたの背信があなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたがあなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、いかに悪く苦いことかを。』
(エレミヤ書 2章 19節)
結局ユダの人は神さまを大切にしなかった #churchjp
11:17:41
ユダの人が神さまから遠く離れていく過程を全て見ていた預言者エレミヤ。
やがて神さまの元へ戻っていくであろうと預言をしていました
#churchjp
11:22:22
『また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。』
(マタイの福音書 26章 27〜28節)
この箇所は、エレミヤが預言した「新しい契約」が実現したことが語られている #churchjp
11:23:05
『神は人々の欠けを責めて、こう言われました。「見よ、その時代が来る。──主のことば──そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との新しい契約を実現させる。』
(ヘブル人への手紙 8章 8節)
この箇所もエレミヤのことばを引用している
#churchjp
11:25:12
『見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。』
(エレミヤ書 31章 31節)
書かれている時には北王国イスラエルはとっくに消えている。しかし神さまはそのイスラエルを忘れていないのです
#churchjp
11:26:18
『その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った』
(エレミヤ書 31章 32節)
モーセに与えた約束は、人には守られなかった #churchjp
11:27:04
『これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』
(エレミヤ書 31章 33節)
神さまの言葉は、文章よりも心に書き記される #churchjp
11:28:42
『彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ』
(エレミヤ書 31章 34節)
そしてついに全ての人が神さまを親しく知るようになる、と #churchjp
11:31:34
キリストが生まれ、十字架にかかったことで、新しい契約の時代に入った。私たちはその「新しい契約」の時代。
エレミヤはバビロニアで、暗闇の中にいた人。でも神さまにあって「新しい希望」を抱いていた。 #churchjp
11:31:58
私たちも新しい希望を抱いて毎日過ごすことは大切です
#churchjp
風は冷たいんだけど、
このところマイナス気温が続いていたせいで
そこまで寒さを感じ無くなった日曜日
公園にも人が
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10:29:44
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
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11:08:41
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
エレミヤ書31章から
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エレミヤ書が書かれた時代は、
ユダの人たちがバビロニアに連れていかれた時代。
『ベニヤミンの地、アナトテにいた祭司の一人、ヒルキヤの子エレミヤのことば。』
(エレミヤ書 1章 1節)
その異教の土地に住むユダヤ人の祭司で預言者であったという
#churchjp
11:13:47
『このエレミヤに主のことばがあった。ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことである。』
(エレミヤ書 1章 2節)
偶像崇拝が続く中、ヨシヤ王は神さまに立ち返ろうと「宗教改革」を起こした王でした
#churchjp
11:15:46
ヨシヤ王の宗教改革があったものの
『あなたの悪があなたを懲らしめ、あなたの背信があなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたがあなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、いかに悪く苦いことかを。』
(エレミヤ書 2章 19節)
結局ユダの人は神さまを大切にしなかった #churchjp
11:17:41
ユダの人が神さまから遠く離れていく過程を全て見ていた預言者エレミヤ。
やがて神さまの元へ戻っていくであろうと預言をしていました
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11:22:22
『また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。』
(マタイの福音書 26章 27〜28節)
この箇所は、エレミヤが預言した「新しい契約」が実現したことが語られている #churchjp
11:23:05
『神は人々の欠けを責めて、こう言われました。「見よ、その時代が来る。──主のことば──そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との新しい契約を実現させる。』
(ヘブル人への手紙 8章 8節)
この箇所もエレミヤのことばを引用している
#churchjp
11:25:12
『見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。』
(エレミヤ書 31章 31節)
書かれている時には北王国イスラエルはとっくに消えている。しかし神さまはそのイスラエルを忘れていないのです
#churchjp
11:26:18
『その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った』
(エレミヤ書 31章 32節)
モーセに与えた約束は、人には守られなかった #churchjp
11:27:04
『これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』
(エレミヤ書 31章 33節)
神さまの言葉は、文章よりも心に書き記される #churchjp
11:28:42
『彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ』
(エレミヤ書 31章 34節)
そしてついに全ての人が神さまを親しく知るようになる、と #churchjp
11:31:34
キリストが生まれ、十字架にかかったことで、新しい契約の時代に入った。私たちはその「新しい契約」の時代。
エレミヤはバビロニアで、暗闇の中にいた人。でも神さまにあって「新しい希望」を抱いていた。 #churchjp
11:31:58
私たちも新しい希望を抱いて毎日過ごすことは大切です
#churchjp
![]() 礼拝の様子はこちらから(動画です) ![]() ・2022年1月30日三好キリスト教会主日礼拝 ・おはなしのじかん「花婿を待つ10人の娘たち」 |
10:24:23
今にも雪が降ってきそうなお天気
pic.twitter.com/UwT0a3IuBg
11:08:55
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
マタイによる福音書5章から
#churchjp
pic.twitter.com/WhzYpUlzU4
11:10:32
『イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。』
(マタイの福音書 4章 23節)
多くの人たちがキリストのもとに集ってきました
#churchjp
11:11:57
『こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。』
(マタイの福音書 4章25節~5章 1節) #churchjp
11:13:38
『そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 2〜3節)
心の貧しい人に『blessed(幸いである)』とキリストは語っています
#churchjp
11:14:28
同じような言葉でパウロは
『祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、そうなのであって、私はその福音を委ねられたのです。』
(テモテへの手紙第一 1章 11節)
と語っている
#churchjp
11:15:32
つまり
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
心の貧しい者は、祝福に満ちていると
#churchjp
11:18:44
『あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。』
(テサロニケ人への手紙第一 5章 23節)
ここで"霊"と書かれている箇所が、マタイでは"心"と書かれている
#churchjp
11:21:14
『神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書 4章 24節)
この"霊"も、マタイの"心"と同じ言葉を使われてる
#churchjp
11:23:40
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"貧しい"とは、文字通り貧困に喘いでいる人。
神さまからの霊が乏しいことに喘いでいる人は"幸いである"と
#churchjp
11:29:10
似たような箇所で
『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』
(ルカの福音書 6章 20節)
"心(霊)が貧しい"とは書いていない。
また"神の国"と"天の国"とが異なる。
聖書記者の違いに依るものかと
#churchjp
11:32:07
聖書の中で"国"とは
『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』
(マタイの福音書 6章 10節)
にもあるように、主権者である神さまの支配領域がこの場所に及ぶ範囲をさしている
#churchjp
11:33:14
『パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』
ルカ 17章 20〜21節 #churchjp
この箇所は
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"心の貧しい者"が、やがて死んだ時に天国に入ることが出来る、という意味ではなく、
今神さまの力が働かれているという意味です #churchjp
今にも雪が降ってきそうなお天気
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11:08:55
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
マタイによる福音書5章から
#churchjp
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11:10:32
『イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。』
(マタイの福音書 4章 23節)
多くの人たちがキリストのもとに集ってきました
#churchjp
11:11:57
『こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。』
(マタイの福音書 4章25節~5章 1節) #churchjp
11:13:38
『そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 2〜3節)
心の貧しい人に『blessed(幸いである)』とキリストは語っています
#churchjp
11:14:28
同じような言葉でパウロは
『祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、そうなのであって、私はその福音を委ねられたのです。』
(テモテへの手紙第一 1章 11節)
と語っている
#churchjp
11:15:32
つまり
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
心の貧しい者は、祝福に満ちていると
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11:18:44
『あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。』
(テサロニケ人への手紙第一 5章 23節)
ここで"霊"と書かれている箇所が、マタイでは"心"と書かれている
#churchjp
11:21:14
『神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書 4章 24節)
この"霊"も、マタイの"心"と同じ言葉を使われてる
#churchjp
11:23:40
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"貧しい"とは、文字通り貧困に喘いでいる人。
神さまからの霊が乏しいことに喘いでいる人は"幸いである"と
#churchjp
11:29:10
似たような箇所で
『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』
(ルカの福音書 6章 20節)
"心(霊)が貧しい"とは書いていない。
また"神の国"と"天の国"とが異なる。
聖書記者の違いに依るものかと
#churchjp
11:32:07
聖書の中で"国"とは
『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』
(マタイの福音書 6章 10節)
にもあるように、主権者である神さまの支配領域がこの場所に及ぶ範囲をさしている
#churchjp
11:33:14
『パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』
ルカ 17章 20〜21節 #churchjp
この箇所は
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"心の貧しい者"が、やがて死んだ時に天国に入ることが出来る、という意味ではなく、
今神さまの力が働かれているという意味です #churchjp
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