☆某SNSで拡散された某ショート動画を見てしまって、今現在、めちゃくちゃどんよりしています。
本当に心底めっちゃ心がしんどい。
どんな動画かというと、
「名古屋で女性仕掛け人がホームレスの老女に声をかけ、コンビニで食料を買ってあげると誘導し、お会計間際で逃げ出してどん底の気持ちになる老女を笑う」
というもの。
普通に見える若い女性が、こんなショート動画を面白いと思ってSNSで流す神経に唖然とする。
しかも顔出しして。
ゲスの極み過ぎて腹が立つ以上に悲しくなった。
そして騙されたと知った老女の立ち尽くす様子に、もう声も出ない。かける言葉も浮かばない。
これは私の生活する土地とは遠く離れた場所で、完全に赤の他人同士のやり取りなので、どれだけ心を乱されようとどうにもできないこと。
それはわかってる。
これを自分の問題と思う部分を冷静に考えてみる。
「食べるものに困る生活をする老女の姿」
「その生活を嘲笑されて傷つけてもいい存在だとみなされた」
「傷つけられた姿が笑いになると判断された」
ホームレスの老女にめちゃくちゃ共感して同情して、自分のことのように哀しくて仕方なかった。
ホームレスという現状はその老女の人生の果てに辿り着いたものなので、それも私には関係ないしどうしてあげられるものではない。
それでも、こんな仕打ちをされねばならないとは思わない。
特に「食べるもの」関連だから、特に辛い。
「お金がない」
だから「食べられない、ひもじい」
「ひもじい」っていうのは、本当に惨めで辛い。
なぜだろう?人生で一度も飢餓状態に陥ったことはないのに、とてつもない恐怖を感じる。
全世界が滅んで草木一本生えていない状況で飢餓るのと、満ち足りた文明社会の中でホームレスになってひもじいのと、全然違う。
私が一番怖い状況がわかった。
「ひもじい」「寒い」が「惨め」で怖い。悲しい。つらい。
そうして振り返れば、今の自分はどれだけ幸せかと改めて思った。
電気水道ガスのインフラの整ったマンションで暮らし、電化製品を揃えて食材も確保している。
衣食住と定職があり、健康である。
これ以上何を望むのか?
こう言ってしまうと、騙されて惨めな思いを味合わされたホームレスの女性に、心の中でマウントを取ることになってしまうのか?
そういうつもりはないけれど、ただただ身につまされた。
毎日、屋根のある部屋で暮らしている。
蓄えもある。衣食住に困っていない。
寒くない。ひもじくもない。
定職もある。健康である。
誰かに虐げられてはいない。戦う気力も知識もある。
娯楽に興じる余裕もある。楽しいと思う趣味もある。
心を大事に、身体の健康も大事に、平穏に生きいるだけでいい。恐怖に駆られない生活ができる。
本当に心底それだけで十分幸せだから、これでいいから。
ひたすらに感謝に感謝を重ねて生きようと思った。
(だけれども、自己犠牲とやりがい搾取は別問題なので徹底的に戦うけれども)
そして、他人が絶望する姿を楽しいと思うような、超絶ゲスの極みな人間には絶対ならない。
そんな性根を持つ人間が存在することが、一番辛くてショックなのかもしれない。
性善説ではないのに。それでも。