涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

法華寺からふろ:光明皇后の徳を偲ぶ

2008年03月22日 | 外出・旅行

 


お寺の入り口から右側にはからふろ(浴室)があります。
これまた桃山時代に再建された重文です。
その前には山茱萸(サンシュ)の黄色い花が咲いています。


 


和辻哲郎氏は「古寺巡礼」にこのからふろについても記述しています。
氏の説明によると、今の様な湯船を備えたものではなく、蒸し風呂だそうです。



浴室は本堂の東方に当る庭園のなかにあって、三間四方(?)ぐらいの小さなものであるが、内部の構造はわたくしの予期しないものであった。床は瓦を敷き詰め、中央にはさらに三尺ほどの高さの板の床を作り、その上に屋根もあり板壁もあるちいさい家形が構えられている。いわば入れこにした箱のように、浴室のなかにさらに浴室があるわけである。その側面は西洋建築の窓扉と同じやり方のもので、全体の格好が測候所などの寒暖計を入れる箱に似ている。だから中は暗い。それへはいるには三、四段の梯子をのぼり、身をかがめて、狭い入り口から這い込んでゆくのである。中には五、六人ぐらいなら、さほど窮屈でもなくしゃがんでいられるらしい。これがつまり浴槽であって、そのなかへ、床板の下から湧出する蒸気が、充満する仕掛けになっている。純然たる蒸し風呂である。
(カラ風呂-光明后施浴の伝説-蒸し風呂の伝統より)


今は内部を見ることができないので氏の文章を見て内部を想像するしかありません。
このからふろで光明皇后の行った徳について、和辻氏も会津八一氏も著書に記述しています。
会津氏の「自註鹿鳴集」によると、次のように書いてあります。



からふろ 光明皇后は仏に誓ひて大願を起し、一所の浴室を建て、千人に浴を施し、自らその垢を流して功徳を積まんとせしに、九百九十九人を経て、千人目に至りしに、全身疥癩を以って被はれ、臭気近づき難きものにて、あまつさへ、口を持ってその膿汁を吸ひ取らむことを乞ふ。皇后意を決してこれをなし終わりし時、その者忽ち全身に大光明を放ち、自ら阿上ゥ如来(アシクニョライ)なるよしを継げて昇天し去りしよし、「南部巡礼記」「元亨釈書」その他にも見ゆ。
(法華寺温室懐古より)


そして、次のような短歌を詠んでいます。



ししむら は ほね も あらはに とろろぎて
ながるる うみ を すひ に けらし も


からふろ の ゆげ たち まよふ ゆか の うへ に
うみ に あきたる あかき くちびる


からふろ の ゆげ の おぼろ に ししむら を
ひと に すはせし ほとけ あやし も


当時の仏教に対する信仰の熱さにおどろかされる伝説です。


からふろの奥には華楽園があって、多くの椿をはじめ、多くの花木が植えられています。
今はまだその姿を見ることができませんが、その中にある池は季節が来ると美しい蓮やかきつばたが咲くそうです。


 
 
 
 
 


また季節が変わったら来てみたいと思わされたお寺でした。



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2 コメント

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ずっと誤解していたのかも (shzizi)
2008-03-23 17:06:08
僕はずっと茱萸というのは秋に咲く花だと思いました。

というのは唐の王維に「九月九日憶山東兄弟(九月九日山東の兄弟を憶う)」という詩があります。

独在異郷為異客、毎逢佳節倍思親、遥知兄弟登高処、遍挿茱萸少一人、

独(ひと)り異郷(いきょう)に在(あり)て異客(いかく)と為(な)る、
佳節(かせつ)に逢(あ)ふ毎(ごと)に倍(ます)ます親(しん)を思(おも)ふ、
遥(はるか)に知(し)る兄弟(けいてい)高(たか)きに登(のぼ)る処(ところ)、
遍(あま)ねく茱萸(しゅゆ)を挿(はさ)むも一人(いちにん)を少(か)くならん

重陽(旧暦9月9日=秋)の日に、高いところに登るみなが茱萸を頭に挿すというので、秋に咲くものと思ったわけです。

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Unknown (やじ)
2008-03-23 17:52:18
>shziziさん
この山茱萸は春には黄色い花が咲きますが、
実が生るのは秋だということです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sanshuyu.html
春に花を咲かせ、実は秋に。
不思議な植物ですね。
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