こんばんは。もふペディアです。今回は、廃道の話です。
明治のごく初期に作られ、有料道路として、2年だけ営業して廃道になった。幻の北アルプス越えの道の話です。
糸魚川から、塩を取り寄せをしていた、江戸時代の信州松本藩は、その品質の問題や価格の問題から、糸魚川とは別ルートで、取り引きしたいと思い、北アルプス横断ルートで、北陸から取り寄せる計画を立てていました。しかし、当時山を超えた富山越中は、加賀藩で力関係など問題があり道路の開拓が出来ず。明治維新の廃藩置県後に、工事を始め。明治3年に、大町から、北アルプスを超えて富山側へ抜けるルートが開通しました。
しかし、標高2500を越え、冬は10メートルの豪雪地帯のため、道路はボロボロになり、2シーズンで、営業終了して廃道になり。踏み跡が、登山者だけに使われる事になりました。
現在は、大町から標高2500の針ノ木峠まで。
黒部川を渡る部分は、黒部湖に水没して、渡し船で渡り、立山の稜線のザラ峠に登る。そこまでは、ルートを辿れますがハードです。
ザラ峠から、麓の立山町までは、カルデラ内でなおかつ豪雪の雪崩により、道がボロボロに不明瞭になり、通行止めになっています。
一番のおすすめの区間は、大町から、針ノ木峠までの区間です。長い雪渓を登りますが、途中まで林道を歩けます。標高2500の針ノ木峠からは、北アルプスの大パノラマが広がります。日本三大峠のひとつです。南アルプス三伏峠、奥秩父雁坂峠、北アルプス針ノ木峠。です。
針ノ木峠から先は道が荒れ難路で、ザラ峠からの、富山側が通行止めなのであまり、針ノ木峠より先はおすすめしません。
こんな所に通した古道、あまり有名では、ありませんが、すごい事ですね。