カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」10

2012年01月27日 | メッセージ(その他)
B年 年間第四主日               2012・1・29
「信仰」
多くの人から、キリスト信者の口にあるのは特別に「信仰」という言葉であると聞きますが、実際に「信仰」の意味とその内容が何であるかは理解しにくく、少し考えてみたいと思います。「信仰」という単語がいろんな宗派で使われても、その意味と内容は異なる時があります。実は信じると言うのは人の言葉を受け入れて頼って大切にすることです。キリスト信者は神様の言葉を信じています。さて、具体的に神様は私たちにいろんな方法で話してくださいました。聖書を通して、またいろんな歴史の出来事を通して神様は人間に話してくださいました。その言葉を聞いて、受け入れて大切にした者は信仰を持った者だけです。それはキリスト信者だけではなく、良い心を持った人でもこのような信仰を持って生きています。つまり、まず、聞いた言葉が神様の言葉だとわきまえてから、その言葉は絶対正しい、神様に忠実であると思った人たちは信仰をもった者です。神様の言葉は今でも、いつでも私たちに問いかけています。他人や友人の言葉を通しても神様が話してくださいます。その言葉を信じる者は自分自身をその言葉に投げ込んで委ねています。その言葉はキリスト信者にとってイエス様自身です。言葉は岩のように堅牢なものになり、それだけを握って離さないでいれば、いつも安全な場所になります。イエス様に信仰を持った人はそこに立派な家のように住み、自分の居場所を味わい、その中にゆったり座って安心した生活を過ごしています。信仰から自分の人生の意味、理想と目標も見出すことが出来ます。キリスト信者はイエス様を信じています。イエス様の言葉、イエス様の行い、イエス様の愛、イエス様自身が全てです。自力で、あるいは、才能によって信じるのではなく、神様から贈られた不思議な光によって信じています。イエス様を信じるのは知ること、愛すること、イエス様とまったく同じように生きることです。それがイエス様を信じると言う意味なのです。             
モヨリ神父                                   

参考:「カトリック教会の教え」