カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「毎週の公教要理の錠剤」69

2013年06月06日 | 神父様からメッセージ(C年)
C年 復活の第十主日 2013・6・9
 
「み言葉は宝」
現在はいろんな歴史的な事情によって、聖書の新しい発見にも立ち会える恵まれた時だと思います。プロテスタントの兄弟の情熱や、第二バチカン公会議の新しい風によって、聖書は世界的遺産の不思議な本として、皆に身近な書物となり、だれでも読めるような本になりました。豊かな書物である聖書は、いろんな方法や形で読むことができます。不勉強だった人でも、聖書を読んで豊かな思いや知識を得ることが出来るし、研究者でも聖書を読むことによって、豊かな内容を読みとることが出来ます。ましてやキリスト信者にとって聖書は、神様の言葉であり、それを読むといつもどんな時でも神様からの呼びかけとなっています。むしろ愛情を込めた神様との対話、ときによって優しく、また力強く指導される言葉であることを知ることができます。いつも、どんな時でも聖書を読めば、あくまでも神様の言葉ですから、神様のメッセージに触れることができます。しかしその言葉を正確に理解しにくい時が多いものです。当時フィリポが出会った某女王様の司令官は、読んでいた聖書の言葉の解説を願っていた時、イエス様の弟子フィリポに教えを受け大いに喜こんだということです。解読の光を求めることが出来れば、どれほど神の言葉が豊かに心に届くことでしょう。周囲にみ言葉を解説する人があれば、その助けを通して身近に神様の思いを受け取ることができます。実は神の言葉を理解する独特な場があります。それはイエス様が望まれた共同体です。だからイエス様の共同体、あるいはイエス様の教会の典礼の中で使われたみ言葉を深めながら、時と時季にそって、その深い意味を伝えることにしました。それは毎週の日曜日の朗読です。その時適切に選ばれた神様のみ言葉は、その時の為の導き、励ましとなります。
つまりミサの第一朗読は福音書の観点を作り、福音書の分も適切に切り取って、日曜日のテーマを教えてくれます。そして、その流れに沿って教会を通して、私たちは神様の思いを伝えられることになります。                          モヨリ神父

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