人類が月面に足跡を残してから今年で50年。
人類で初めて月面を歩いた宇宙飛行士・ニール・アームストロングの
半生を描いた「ファースト・マン」を観てきました。
次男で実業家のマークさん(55)のインタビュー記事を読むと
彼の人となりが伝わってきます。
――映画で印象に残ったシーンは?
打ち上げ直前、父が自宅のダイニングルームで
家族に「月に行く」と話すシーン。
私は6歳で兄は12歳。
ダイニングは神聖でフォーマルな場所なので、
何か悪さをして怒られるのかと心配だった。
危険性や不安は全く感じなかった。
両親が気を配ってくれたのだろう。
ミッションの大変さを知ったのは、ずいぶん後だった。
――帰還後、取材にも応じず、「沈黙の宇宙飛行士」と言われた。
父は「アポロ計画は携わった40万人のチームワークがあったからこそ成功した」と強調し、
私たちに自慢することもなかった。
自分だけがスポットライトを当てられて、ヒーロー扱いされるのを嫌った。
家庭でも「尊大になってはいけない、常に謙虚でいなさい」と教えられた。
――帰還の2年後、NASAを退官する。
想像できないと思うが、1日平均1万通の手紙が来ていた。
サインや取材の依頼だ。
返事が滞ると「返事が来なくて傷ついた」という手紙が来る。
注目される生活が嫌になり、普通の暮らしに戻りたかったのだろう。
――家庭での様子は?
映画ではシリアスな姿が描かれているが、
普段は冗談を言ったりふざけたりする普通の父親だった。
子育てにも積極的に取り組んでいて、とても感謝している。
「何をするにも全力で努力を惜しむな。
そして謙虚でいなさい」が口癖だった。
――2012年に82歳で亡くなった。
映画を見たらどうだったでしょう。
細部にこだわる人だから、描写の正確さを気にするだろう。
飛行機と航空術を知り尽くしていたから、
映画に飛行機が出てくると
「動きがおかしい。タイヤが違う」と気になって仕方なかった。
今回の映画でも数カ所は間違いを指摘したかもしれないな(笑い)。
――飛行機好きだったんですね。
父から譲り受けた中に、飛行機のスクラップ帳がある。
新聞や雑誌から写真を切り抜いて貼りつけ、
特徴を細かく書き込んだもので数十冊。
10歳から始め、亡くなる直前まで続けていたようだ。
だから、機体の素材や時速、航続距離、銃器の種類を全てそらんじることができた。
空をいつも見上げていたよ。
――映画の見どころは。
技術が進歩した今でさえ月に降り立つことは難しいが、
50年前に原始的な技術で父たちは成し遂げた。
偉業には多くの努力と犠牲が伴う。
若い人はインスピレーションとやる気を感じ取ってほしい。(石倉徹也)
◇
〈ニール・アームストロング〉 1930年、米国オハイオ州生まれ。
海軍飛行士として朝鮮戦争に参加。
空軍のテストパイロットを経て、NASAの宇宙飛行士に選ばれる。
66年、「ジェミニ8号」でデイビッド・スコットと共に初飛行し、
人工衛星と軌道上で初めてのドッキングに成功する。
だが、直後に機体が回転を始めるトラブルが発生。
アームストロングの機転で帰還を果たした。
こうした冷静さが評価され、「アポロ計画」の「アポロ11号」で船長に選ばれた。
69年7月20日、バズ・オルドリンと共に月着陸船イーグルに乗り込み月面に着陸し、
人類で初めて月面に降りた。
その姿は世界中に放映され、
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」と語った。
当時38歳だった。
71年のNASA退官後、故郷オハイオ州に戻り、大学教授や実業家として暮らし、
公の場に姿を見せることはほとんどなかった。
リックとマークの2人の息子がいる。
94年に離婚し、その後再婚している。
2012年、82歳で死去。
月面には今も彼の足跡が残されている。
おまけ。
映画を観たからか、
空を飛べる桃太郎がちょっぴり羨ましい。
人類で初めて月面を歩いた宇宙飛行士・ニール・アームストロングの
半生を描いた「ファースト・マン」を観てきました。
次男で実業家のマークさん(55)のインタビュー記事を読むと
彼の人となりが伝わってきます。
――映画で印象に残ったシーンは?
打ち上げ直前、父が自宅のダイニングルームで
家族に「月に行く」と話すシーン。
私は6歳で兄は12歳。
ダイニングは神聖でフォーマルな場所なので、
何か悪さをして怒られるのかと心配だった。
危険性や不安は全く感じなかった。
両親が気を配ってくれたのだろう。
ミッションの大変さを知ったのは、ずいぶん後だった。
――帰還後、取材にも応じず、「沈黙の宇宙飛行士」と言われた。
父は「アポロ計画は携わった40万人のチームワークがあったからこそ成功した」と強調し、
私たちに自慢することもなかった。
自分だけがスポットライトを当てられて、ヒーロー扱いされるのを嫌った。
家庭でも「尊大になってはいけない、常に謙虚でいなさい」と教えられた。
――帰還の2年後、NASAを退官する。
想像できないと思うが、1日平均1万通の手紙が来ていた。
サインや取材の依頼だ。
返事が滞ると「返事が来なくて傷ついた」という手紙が来る。
注目される生活が嫌になり、普通の暮らしに戻りたかったのだろう。
――家庭での様子は?
映画ではシリアスな姿が描かれているが、
普段は冗談を言ったりふざけたりする普通の父親だった。
子育てにも積極的に取り組んでいて、とても感謝している。
「何をするにも全力で努力を惜しむな。
そして謙虚でいなさい」が口癖だった。
――2012年に82歳で亡くなった。
映画を見たらどうだったでしょう。
細部にこだわる人だから、描写の正確さを気にするだろう。
飛行機と航空術を知り尽くしていたから、
映画に飛行機が出てくると
「動きがおかしい。タイヤが違う」と気になって仕方なかった。
今回の映画でも数カ所は間違いを指摘したかもしれないな(笑い)。
――飛行機好きだったんですね。
父から譲り受けた中に、飛行機のスクラップ帳がある。
新聞や雑誌から写真を切り抜いて貼りつけ、
特徴を細かく書き込んだもので数十冊。
10歳から始め、亡くなる直前まで続けていたようだ。
だから、機体の素材や時速、航続距離、銃器の種類を全てそらんじることができた。
空をいつも見上げていたよ。
――映画の見どころは。
技術が進歩した今でさえ月に降り立つことは難しいが、
50年前に原始的な技術で父たちは成し遂げた。
偉業には多くの努力と犠牲が伴う。
若い人はインスピレーションとやる気を感じ取ってほしい。(石倉徹也)
◇
〈ニール・アームストロング〉 1930年、米国オハイオ州生まれ。
海軍飛行士として朝鮮戦争に参加。
空軍のテストパイロットを経て、NASAの宇宙飛行士に選ばれる。
66年、「ジェミニ8号」でデイビッド・スコットと共に初飛行し、
人工衛星と軌道上で初めてのドッキングに成功する。
だが、直後に機体が回転を始めるトラブルが発生。
アームストロングの機転で帰還を果たした。
こうした冷静さが評価され、「アポロ計画」の「アポロ11号」で船長に選ばれた。
69年7月20日、バズ・オルドリンと共に月着陸船イーグルに乗り込み月面に着陸し、
人類で初めて月面に降りた。
その姿は世界中に放映され、
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」と語った。
当時38歳だった。
71年のNASA退官後、故郷オハイオ州に戻り、大学教授や実業家として暮らし、
公の場に姿を見せることはほとんどなかった。
リックとマークの2人の息子がいる。
94年に離婚し、その後再婚している。
2012年、82歳で死去。
月面には今も彼の足跡が残されている。
おまけ。
映画を観たからか、
空を飛べる桃太郎がちょっぴり羨ましい。