記念館広報誌 ニューズレターから龍南へ
戦後の学制改革により旧制第五高等学校が閉校し、熊本大学が創立されて既に六十年が経過している。それにもかかわらず、五高時代の名称がこの二十一世紀になってもなお使われているということは、まさに驚くべきことではあるまいか?
たとえば熊本大学附属図書館の広報誌は「東光原」という。この広報誌の名前はつとに知られているが、平成二十年度からは熊大生を対象として文学賞「東光原賞」も創設された。(註 曾ては図書館が建っている一帯を東光原とよんでいた。)
そして五高記念館の広報誌ニューズレターは、たしか第3号から昔の校友会雑誌の名称「龍南」を用いて発行されている。 また「白草原」の名称を持ったパンフも何時の頃か発行されていたが、現在はなくなってしまったようだ。
最近の教職員・在校生諸子はに知らない方も多いだろうと思われるので、五高時代の名を今に引き継いでいるものを列記してみよう。 学生会館は「東光会館」、熊大グラウンドは「武夫原」、それに北地区の正門は通称「赤門」という。この正門から中門にかけての道路を「サインカーブ」と呼び、さらには「知命堂」という建物もある。
しかし五高時代の「習学寮」、「瑞邦館」、「済美館」、「猫橋」等々の名称は流石に建物がなくなり、関連する遺跡もないので、サインカーブ両側の「植物園」共々いつしかよばれることもなくなってしまった。
馴染み深い五高時代の名称を越える名前はなかなか見つからない様である。(tH)