日本はポツダム宣言を受託し昭和20年8月15日終戦を迎えた。五高ではこの間の3日間だけを休業とし、9月10日から早速に2学期を開始した。
以下は昭和20年8月15日の寮務日誌を転記する。(原文のまま)
昭和20年8月15日 水曜 晴 宿直者 藤田繁一、和田勇一
記事 午後1時大詔について学校長よリ発表あり悲痛極まりなく暗涙を催す者あり
寮内は静粛にして謹慎せるものの如し学校は取りあえず3日間の休養を与え外泊を禁じ
1部を以って校内の警備にあたらしむ
昭和二十年八月十五日無条件降伏
午后一時より講堂にて詔書奉読式である。その入場を知らす鐘と共に講堂へ急ぐ二年生が泣いていた、男泣きに嗚咽しながら歩も遅かった。ぎょっとした。恐怖に似た在る物が胸を貫いた。予感はまさに実現したのだ。上級生の泣声に我々は全てを知った。だが誰もそれを口に出そうとはしなかった。出すべく余りに恐ろしい余りに信じられない事だったのだ。講堂に入場した時大半の者がすすり泣いていた。やがて本島校長は放送の写しを持って壇上に、そして静かな悲痛な声は堂を圧した。「朕深ク世界ノ大勢・・・・・・・」に始まるしの詔書「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ共同宣言ヲ受託スル旨通告セシメタリ」(十五日に掲載した召書)ここに至って堰を破って迸り出た涙。むせび泣き。講堂が泣いていた。空を行く雲のみ徒に白かった。殆どその後の校長の声は聞き得なかった。読み終得られて我々はそれぞれ寮へ帰った。うなだれつつ、泣きつつ運ぶ足の重さ、寮へ帰りつくとたんに耐え兼ねて破裂するように泣き伏した机上、願はくは夢なれ、もしくは謀略なれと願う心を冷たく押えてそれはいつまで経っても覚めもせず、取消もなかった。宿命の日、八月十五日、それはこうして暮れた。・・・続習学寮史から転載・・・・・