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結語として五高の終焉から感じた事を掲げる
五高卒業生の殆どが鬼籍の人であるが、壮健者でも齢は大半が80を越えている。果たして彼等にとって五高での生活、特に習学寮の生活とは何であったろうか?ある者は青春の象徴であったと述懐し、またある者は自分の人生を赤裸々に見つめる時期であったという。今においてさえ同窓会でも行えば、オールドパワーを発揮し「おい、お前」と60余年昔の五高時代を思い出しそのままの姿で語り合う光景に接すると改めて旧制高等校の持っていた教育精神について考えさせられるものがある。それ故に五高に於ける習学寮を中心とした剛毅木訥の生活は忘れられない、懐かしいとする卒業生が多いのだろう。五高60余年の歴史は波乱に満ちたものであったが、この学校から幾多の日本の柱石となった人材を輩出したことは熊本の誇りであったと思う。ここでの五高の60年に亘る歴史を調べた理由は昭和十二年に開校50周年記念祭が行われ色紙の蒐集が行われているが、この資料について感じたことがあったのでこれが直接の引き金で、それは五高が国立(帝國)大学への登竜門としての大学予備校としての制度が確立されて来た時期とあいまって、特に色紙の資料から見えた事が、この俺を知らないか!と言う思いにかられた思いがしたからであった。(tH)