五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

不敬事件の文部省出頭の様子中川元日記より

2012-03-14 03:38:46 | 五高の歴史

不敬事件の文部省出頭の様子    中川元日記より
明治32年2月22日
至急文部大臣より上京を命ぜられ出発せんとす
本日は暴風に付門司より出船覚束ならんと云うに由て一日延引の筈暁方風止む

23日木曜日9時8分池田を発す。仙川余田両氏来る、新橋迄上等切符を買う、山陽線は半額割引あり故、拾七円四十銭許にて東京まで、門司本町茶圧に引入れられたり、伊藤へは病気の為三津け濱へ参り居よし、夜十時春日丸に乗込む、海上静穏、船中客多くして上等室に入るを得す、中等室の一隅に独り身を容る小雨

25日快晴、静岡には5時半なり、冨嶽の白芙蓉を望む快々吉々、午前11時30分頃新橋に着す、荷物到着せす閉口す。夫より人車を馳せて榎本館に投す九郎来る、田総来る。
樺山秘書官に問合せを発す、不在故柳田次官を訪問して彼独逸人事件を細話して帰る、夜11時大臣は高田の自邸に於いて10時に面会すると云う。

26日晴8時半頃人車にて高田に趨く、大臣に面会して彼事件を詳細に語れり、大臣大に安堵して種々教育上の談話をなせり、帰途寺田を訪ふ、あらす久保田を訪ふ在宅不図、寺田にも面会す。狩野を訪ふて松本氏のこと等談合す、久保田氏を訪ふたるも松本氏の事、第一,二在り 帰来気分悪敷臥在処銕弥来たれり、今朝も来たりたれとも、出発にして一挨拶なしたりのみなり、此夕は晩餐を共にせり、熊本の桜井中川へ電報書状差出したり
電信文  ミコミノトオリアンシンセヨ アトテガミ
銕弥来訪す晩食を共にし種々物語す、今宵は頗る疲労を覚えたれば食後寝に就く柏田氏へ書状を差出たり

28日曇 本省に到り寺田、沢柳等に面会す夫より大臣次官を其官邸に訪ひ一旦帰舎す高嶺氏来訪松本氏を懇望せられる断然謝絶せり 夫より食事をなし貴族院に到り上田万平氏に面会例のことを語り、且つまた松本氏を周旋する事を断然謝絶せり 本日銕弥来たり、昨日海軍技師の辞令書来たりと云う 明日出発の電報を桜井教授及び宅又七郎方へも出す宅より書状来たれり直ちに返書出す 夜来狩野氏来訪せらる、田総夫婦来訪真綿を送らる雨来る