五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

日曜日の行事を行う。

2015-04-19 05:51:41 | 日常生活について
久しぶりの日曜日で俺の行事を務める。考えてみるに日曜日はなるべく何をしていたのだろうか?日曜日には朝のNHKの討論会を聴収して耳の自慢をしていたが、たとえ聞いたとしてもどうせ我々のような俗人では何にもならない。そのためかテレビ放映ではやはり面白いものを聴収した方がいいようである。

週に一回は五高記念館に出ている。遠山先生の処世日誌というものを発見したのでそれを転載しているが、現代の俺ではその文章を転載することもなかなか難しい。

処世日誌
鎮西学館に於いて明治二十四年九月十五日より始める

九月二十日 日曜日 晴
夜深い更に少なくして降雨あり、午前如例、会堂に出席、日曜学校を司る。終わりて説教する。題基督信者の成長(彼後三の十八、彼前二の二
    緒言第一 成長 智と徳
      第二 成長の要素 一、生命 二、外物 三、運動
      第三 一、過去の進退如何(その原因)
         二、本学年に於ける決心、旧を去り新を得、過を棄て、徳を積む例偽善を去りて正直誠実となること、猜疑を去りて信任を養うこと精神大に振いたるにあらざるも自家の所感を携え尽くし満足する。是尽し自家今年の決心を以って此の説教換え足るなり。然れどもの疾飛して止むべからざるが如く我が言の口唇を離れて衆耳を貫く能はざるは単に自家の心中やましきところ在りしが為成り、嗚呼自ら潔白無罪なりとの確信意識なきときは人は甚だ弱きものなり。強き人とは自らを深く信じて正義の大道に立つことを意識する人なるべし。

九月三十日 水曜日 晴
朝如例、教授を終わる、広井、河野2氏来崎、河野氏は井上、泉二氏の書状を持参する入湯、祈会に列す、神心清く大に益を蒙る。然りと雖も世俗的の想念を排除し去るに多少の苦痛を要せり。また井上、泉二氏の書に接す。午後七時よりスペンセル氏に事務を執る月給を領収す。宿元への書状を認める男児てふは如何に尊貴なるものぞ之なかりせば余は幾多か女々しき心情に陥りて之遠大の宇宙を牢獄の如く思うに至たらんも知るべからず。常に余が志を牽制して地上に苦渋せんとす魔力は余が身辺に集まれ利、唯々神明の冥助と自家鍛錬の志向を以って之に当らんのみ凡人のなしたることに満足するは凡人成り凡人の負けしものに負けて慷慨の気振るうことなきは凡人成り、蓋し余は宇宙に大なるサークルを描き出さんことを期するが故に区々る私情便利、虚名を糞土の如く放棄し去らんと欲す。嗚呼任大にして途遠ふし、友を想うの念甚切なり 祈祷、就寝