五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

時の経過は早い

2011-07-30 03:02:34 | 五高の歴史

 

 

                            

                                                毎日開けられている五高記念館の玄関

 

明治23年の創建以来殆ど開けられたことがなく、開かずの玄関と言われた五高記念館の玄関を平成5年10月より一般公開を始めたことに伴い開けてから既に18年、時の経つのは早いものである。

 

記念館の玄関と寮の入口とは、一直線上にあるので開けると冬などは北西の風が吹き通ってぞつとするように寒かったに違いなかったろう。

 

玄関が不開戸になった理由は開校直後は生徒も少なく校長室、図書室なども本館の階下にあった。やがて3室とも図書館の事務室に移り、校長室、事務の2室は事務所建てに移ったので本館は純然たる教室だけになった。寮はこの裏にあったし、この西側に事務室、事務所建てにあって、東側に実験室等はあった。そのため正面玄関からの出入りは必要なかったので東、西、北の出入り口の石段は磨耗して中央が凹んでいるが、未だに正面の石段は殆ど凹みが見られない。

 

明治30年11月4日には小松宮殿下をこの玄関から迎えている。

 

日毎の出入りには東、西、北の三方の入口で十分に事足りて正面玄関まで開ける必要を感じなくなり不開門となってしまったのである.

 

 昭和12年10月10日の開校五十周年記念式の時、開けられた記録があるがその後はまた不開門となった

 

平成5年10月より五高記念館として一般公開を始めたことに伴い正面玄関を開ける必要になった。東、西、北の出入り口の石段は磨耗して中央が凹んでいるが、未だに正面の石段は殆ど凹みが見られない