きのう『息子の面影』を観ました。
メキシコの貧しい農村に住むマグダレーナ。
アメリカで仕事を見つけるために、息子と幼なじみは国境行のバスに乗りました。
しかし、息子たちからの連絡がなくなったので、
幼なじみの母親と共に行方不明者のための相談室に行きました。
すると、遺体写真の中に幼なじみがいたのです。
ただ、マグダレーナの息子の写真はありませんでした。
たくさんの若者が国境を越えようとして命を落としています。
でも、確実な息子の生死が知りたいマグダレーナは、
自分の息子を探すために村を出ました。
国境行のバス会社の事務所、その近くの難民センターなど、
いろいろな場所で、いろいろな人たちから、息子に関する情報を得ます。
そして、息子と一緒のバスに乗っていた老人を探し当てました。
その老人宅はある町のずっと奥の村にあります。
町に入る道にはカルテルが何台もの車で道を塞いで検問。
その町は市長をカルテルに殺されてから無法地帯になっていました。
アメリカからの国外退去で、故郷に戻ってきたミゲルはその状況に驚きます。
車を降りて家へ向かっている途中、マグダレーナに出会いますが、
夕方だったので家に泊まるようにすすめました。
でも、ミゲルが家に帰るといるはずの母はどこにもいません。
家畜小屋のヤギたちは腐り始めてハエがたくさんたかっていました。
その後、マグダレーナは息子と一緒にバスに乗っていた老人に会いました。
そのバスは強盗団に襲われて、老人以外は殺されたことを聞きました。
息子は死んだんだ・・・と納得します。
独りぼっちになったマグダレーナ、そしてミゲル。
マグダレーナとミゲルはマグダレーナの村で一緒に暮らすことにしました。
しかし、そこへカルテルの強盗団が現れてミゲルは殺され、
マグダレーナにも銃口が向けられました。
銃を向けたその男は、なんと、マグダレーナの息子だったのです。
どうして・・・。
この映画の怖かったところは、
国境近くの遺体収容所が、完全にシステム化され、
たくさんの身元不明の遺体が保管されていたこと。
白タクではないきちんとした会社の定期路線のバスが、
いとも簡単にカルテルに襲われ、乗客たちは金品を奪われて殺されたこと。
一般の人たちの日常がカルテルの影響下にあること。
その怖さは心に深く刺さって、今もなかなか消えようとしません。
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