1866年8月29日(慶応2年7月20日) - 江戸幕府第14代征夷大将軍・徳川家茂(1846~)没。
1867年(陽暦)1月10日(慶応2年12月5日)、 徳川慶喜が第15代征夷大将軍に就任。
1867年(陽暦)1月30日(慶応2年12月25日)、孝明天皇崩御(発表 慶応2年12月29日)。
1867年(陽暦)2月13日(慶応3年1月9日)、睦仁親王践祚(明治天皇)。
1867年11月19日(慶応3年10月24日)、徳川慶喜が征夷大将軍を辞す。
1867年12月10日(慶応3年11月15日)、坂本龍馬が暗殺される。
1868年1月3日(慶応3年12月9日)、王政復古の大号令。
1868年5月3日(慶応4年4月11日) - 戊辰戦争: 江戸開城
1868年10月12日(慶応4年8月27日) - 明治天皇即位大礼
1868年10月23日(慶応4年/明治元年9月8日) - 元号が慶応から明治に改元(一世一元の詔)
1868年11月26日(明治元年10月13日) - 東幸: 明治天皇が東京入りして江戸城を皇居と治定し東京城と改称
大政奉還前後の西暦と和暦対照、簡略年表
1866年┃慶応02年┃徳川家茂没。
1867年┃____┃徳川慶喜が征夷大将軍に就任。
1867年┃____┃孝明天皇崩御。
1867年┃慶応03年┃大政奉還。
1867年┃____┃坂本龍馬没。
1868年┃____┃王政復古の大号令。
1868年┃慶応04年┃鳥羽・伏見の戦い。
1868年┃明治元年┃グレゴリオ暦1868年10月23日(慶応4年9月8日)、明治に改元。
からくり人血風編(1976~77年)
江戸のクロねこHP
[時代設定を考える]
第1話「魔窟に潜む紅い風」の冒頭にて、
『慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦いに破れた将軍徳川慶喜は、榎本武揚の率いる軍艦開陽丸で江戸へ逃げ帰ったのです。1月4日に慶喜追討令が出て、薩長連合軍は官軍として江戸へ一気に攻め上ろうとしていました。"官軍の江戸総攻撃近し"の知らせに、市民は不安のどん底に叩き込まれたのです。』
というナレーションで幕を開ける必殺からくり人血風編。
その後、官軍となった薩長軍は回を追う毎に江戸に接近します。その行程を劇中の芥川隆行氏のナレーションから追ってみましょう。
第5話「死へ走る兄弟の紅い情念」…『官軍は江戸まで96里、桑名まで迫っていたのです。』
第6話「悲恋を葬る紅い涙」…『慶応4年2月10日、官軍の先鋒隊が名古屋を発し、5日後には討征軍も江戸へ向かって歩を進めていました。』
第7話「恨みに棹さす紅い精霊舟」…『慶応4年3月の初め、倒幕の軍が小田原あたりに差しかかっていた頃、品川宿は妙に静かでした。』
第8話「帰らぬ愛に泣く紅い旅」…今回はナレーションは無く、二度にわたりテロップがインサート。『慶応4年3月6日 山岡鉄太郎、益満休之助 西郷隆盛にあてた勝海舟の親書をもって江戸を出る』・『慶応4年3月9日 官軍先鋒は既に多摩川対岸に到着、そこに布陣する幕府軍は続々と撤収を開始しました。その混乱の中1人の女がまぎれ込み兵士たちの語り草となった と、物の本にありますがそれは多分あのおはつの事はなかったかと思われます。』
最終回「夜明けに散った紅い命」…『慶応4年4月、西郷吉之助と勝安房の会談により官軍は江戸城に無血入城しました。ところが江戸市中には依然として幕臣や彰義隊が居座り、あちこちで小競り合いが起こりました。業を煮やした京都政府は治安回復のため武力で幕府の残党を一掃しようとしたのです。そして今やまさに一触即発、世情の不安もいよいよ頂点に達します。』・『慶応4年5月15日、上野山の彰義隊に対し官軍の攻撃が火蓋を切りました。』
この世の終わりみたいな戦争を目にし、白濱屋一党は解散します。
第1話「魔窟に潜む紅い風」の冒頭にて、
『慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦いに破れた将軍徳川慶喜は、榎本武揚の率いる軍艦開陽丸で江戸へ逃げ帰ったのです。1月4日に慶喜追討令が出て、薩長連合軍は官軍として江戸へ一気に攻め上ろうとしていました。"官軍の江戸総攻撃近し"の知らせに、市民は不安のどん底に叩き込まれたのです。』
というナレーションで幕を開ける必殺からくり人血風編。
その後、官軍となった薩長軍は回を追う毎に江戸に接近します。その行程を劇中の芥川隆行氏のナレーションから追ってみましょう。
第5話「死へ走る兄弟の紅い情念」…『官軍は江戸まで96里、桑名まで迫っていたのです。』
第6話「悲恋を葬る紅い涙」…『慶応4年2月10日、官軍の先鋒隊が名古屋を発し、5日後には討征軍も江戸へ向かって歩を進めていました。』
第7話「恨みに棹さす紅い精霊舟」…『慶応4年3月の初め、倒幕の軍が小田原あたりに差しかかっていた頃、品川宿は妙に静かでした。』
第8話「帰らぬ愛に泣く紅い旅」…今回はナレーションは無く、二度にわたりテロップがインサート。『慶応4年3月6日 山岡鉄太郎、益満休之助 西郷隆盛にあてた勝海舟の親書をもって江戸を出る』・『慶応4年3月9日 官軍先鋒は既に多摩川対岸に到着、そこに布陣する幕府軍は続々と撤収を開始しました。その混乱の中1人の女がまぎれ込み兵士たちの語り草となった と、物の本にありますがそれは多分あのおはつの事はなかったかと思われます。』
最終回「夜明けに散った紅い命」…『慶応4年4月、西郷吉之助と勝安房の会談により官軍は江戸城に無血入城しました。ところが江戸市中には依然として幕臣や彰義隊が居座り、あちこちで小競り合いが起こりました。業を煮やした京都政府は治安回復のため武力で幕府の残党を一掃しようとしたのです。そして今やまさに一触即発、世情の不安もいよいよ頂点に達します。』・『慶応4年5月15日、上野山の彰義隊に対し官軍の攻撃が火蓋を切りました。』
この世の終わりみたいな戦争を目にし、白濱屋一党は解散します。
劇中の時代は慶応4年(西暦1868年)、鳥羽伏見の戦いの後、官軍が江戸に迫っていた時期。
「さよならだけが人生か」 「あした天気になぁれ」
【時代劇の時代設定】からくり人 血風編(放送時期:1976年10月29日~1977年1月14日)
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