公演名 ゴドーは待たれながら
劇場 ABCホール
観劇日 2013年4月21日(日)18:00
座席 A列
作:いとうせいこう
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:大倉孝二(ゴドー) 野田秀樹(声)
観劇本数は月に2本でいい。
こんな舞台に出会ったらマジそう思う。
そして、観終わった後から始まる余韻、反芻の世界にせめ
て2週間は浸りたい。次の作品をインプットしたくない。
『ゴドーは待たれながら』を観た後そんな気持ちになった。
(キャパシティちっちぇー!)
もともと仮チラシの「大倉孝二」「一人芝居」という2つの
四字熟語(!)で即決。違う出演者なら観なかったと思う。
長年口説き続けてこの舞台を実現させたケラさんに感謝~♪
この作品はサミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待
ちながら』をもとに、待たれている男ゴドーを描いたもの。
2つの作品は同時進行の表裏ということらしい。
ただ私は表のほうを一度も観たことがない。
にもかかわらず、裏のほうにすっかりハマってしまった。
劇場配布のケラさんの挨拶文には「笑いのお陰で今回の公演
がある。それ以外の何かは、各々で感じとってくださればよ
いし、もちろん感じとらなくてもよいのです」とあったけれ
ど、笑いとともにこみあげてきた思いの断片を私なりにメモ
しておきたい。
↓ちょっとネタバレ。
観始めてアレアレ? と思うのは“ゴドーが待たれている”
という確固たる前提が揺らぐところ。
ここを出よう。行かなきゃ。だが行けない。このままだと待
たせてしまうことになる。行かねば。どこへ? いつ? 待っ
ているのは誰? そもそも本当に誰かが待っているのか?
そんな自問自答シチュエーションが延々とつづく。
観ているこちらにも閉塞感が伝染してくる。
一部の観客がもう笑っているけど、私は全然笑わなかった。
が、そのうち男の気持ちとの適度な距離が見つかり、客観
的に見たり、寄り添ったり、突き放したり。
いつしか笑ったり、急激に切なくなったり、身につまされたり、
涙したり、共感、もしくは同化したり。
なぜか羨ましいと思ったり。
台詞の中にこれは2013年版アレンジなのか?と思うものが幾
つかあったが、パンフレットに全文掲載された戯曲をチェッ
クしてみるとどれも1992年当時のオリジナルの台詞だった。
笑いの中には陳腐化したり、古びたり変容したりしてしまう
ものもあるが、この芝居ではほとんどそんなことなかった。
むしろ、今まで感じたことのない可笑しさが時々こみあげた。
待たれているゴドーのことを初めは特殊なシチュエーション
だと感じたのに、実は人間にとって普遍的で切実なテーマを
扱っているのでは?と思うようになった。
生きることは待つことか。待つことは生きることか。
羨ましいと思ったのは、ゴドーが「待たれている」自分につ
いて純粋に突き詰め、自分の価値を見つけたり、待たれてい
ることのありがたさを思ったりするところ。
ふだん「時間」という約束事に縛られ、プロセスを遂行するこ
とに追われていると、その先に「人」や「物事」や「何か」
が待っていることさえ見えなくなってくる。
日々の雑事に追われ、生きる目的を見失うように。
ゴドーの場合、プロセスの遂行に失敗することにより、待っ
てくれる人がいるのはありがたいことだと気づくのだから。
最後、ゴドーは静かに目を閉じる。一幕の終わりと同じあの
ひとことを言うために・・・。
この作品は戯曲がいい。演出がいい。出演者がいい。
『ゴドーは待たれながら』の戯曲全文が掲載されたパンフレッ
トのデザインも気に入った。
<出演者>
●大倉孝二さん
大好きな役者さんの一人だ。冒頭の靴を履こうとする動作が
いかにも大倉孝二だぁ~と、内心ニマニマ。
舞台上の男を見ると、服は明らかに汚れ、言葉の端々からも
生活が困窮しているらしいことがわかる。目は険しく、イラ
イラした表情。頬がいくぶんこけ、目も若干くぼんでいるよ
うに見えるのは役のメイクか?
やはり一人芝居は相当消耗するんじゃないだろうか。
このお芝居は、長い台詞を覚えさえすれば誰にでもできるも
のではなく、また、巧いだけでもこんな味わいは生まれない
と思う。悲惨な状況下で生まれてくる笑い、おかし味をたっ
ぷり楽しめたのは、大倉孝二さんの醸す独特の魅力に負うと
ころが大きいと思う。
風貌、雰囲気、体の動き。台詞の間のみならず、縦に長い
体躯から生まれる動作の間、独特の造形。声。口調。
そんな目に見える大倉孝二的なものが総動員でゴドーを作
り上げていて感動的でさえある。そして、今までに見たこと
のない大倉孝二がそこにいることにも!
ほとんど終わりに近づいた時、顔の中が「ハ」の字になって
いた。本当にこのひとはなんという顔をするのだ。
●野田秀樹さん(声の出演)
トーンの高い子どもの声を野田さんが担当。まるでその場に
いるような臨場感があった。
戯曲を読んでもどうってことのない台詞なのに、ゴドーとの
やりとりの中では無邪気に聴こえたり、からかっているよう
に聴こえたりするのが面白かった。
野田さんだけに本人が絶対にそこにいないことは明らかで、
そこを逆手にとったような会話のシーンにドキドキ。
<アフタートークから>
1日2回公演のあとのアフタートーク。
大倉孝二さん、ケラさん、そして、大阪の別の劇場で公演を
終えた、いとうせいこうさん、きたろうさんが加わり、ゴー
ジャスな4人のトークだった。
(以下、なぐり書きのメモを見ながらまとめてみる。)
まず、いとうさんが「ナイスファイト!」と大倉さんへのね
ぎらいのことばをかけていた。いとうさんの話では「長い鬱
病から解き放たれた感じ。ずいぶん練れてる感じがした」と
のこと。「一時は狂人めいてうかつに声をかけられなかった」
そうで、大倉さんは本当に大変な状態だったようだ。
初演でゴドー役を演じた、きたろうさん。
大倉さんが登場するまでに時間があり、さっき大阪で「生ま
れて初めて」買ったというジージャンを着ているのを、みん
なからチクリチクリいじられているのが可笑しかった。
きたろうさんによれば「自分と比べて、大倉くんのほうがス
テキだね。外国の演劇を見てるみたいで、飽きなかった」と。
「自分の初演時の地獄を思い出した。その時はお客さんが
退屈しないだろうかと考えていた」とも話していた。
ケラさんによれば、今回の上演にあたりオリジナルの戯曲の
二幕の前半の台詞をかなりカットした。どうしても2時間以
内におさめたかったから、とのこと。
いとうせいこうさんの話からわかったことだが、二幕では
ケラさんが独自の演出をしていたらしい。
二幕の途中でゴドーが客席を見渡しながら話すシーン。
戯曲では特に客席に語りかけるように書いていないらしい。
(客席にいた者としては、あの場面でゴドーがこっちを見て
くれたおかげで、気持ちにメリハリがつき、芝居に参加して
いる感じがして、よりいっそうゴドーに寄り添うことができ
たと思う。あの後、ゴドーがすわって目を閉じ「世界の音を
聞いてみよう」と語り始める、その音の中に私たちが参加し
ているような錯覚があり面白い体験だった。あとから戯曲を
読んで全然違うイメージなので驚いた!)
遅れて入ってきた大倉さんは、きたろうさんのジージャンと
自分のデニムがよく似た色なのを盛んに気にしていた。
いまは地獄のまっただ中にいるそうで、口をついて出るのは
「1日2回もやるか!」「キツイ」「ほんとに途中でイヤに
なったと思ったことがある」等々。
それでもいとうさん、ケラさん、きたろうさんからは
「海外に打って出たら?」「なぜやらないの?」「大倉劇場
を作ったら?」などと言われていた大倉ゴドー。
ワタシも個人的に賛成ですよー。
ほんとにいいお芝居でした。再演してほしい!
●ケラリーノ・サンドロヴィッチ × 大倉孝二(関連記事)
犯さん哉 観劇メモ
奥さまお尻をどうぞ 観劇メモ
劇場 ABCホール
観劇日 2013年4月21日(日)18:00
座席 A列
作:いとうせいこう
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:大倉孝二(ゴドー) 野田秀樹(声)
観劇本数は月に2本でいい。
こんな舞台に出会ったらマジそう思う。
そして、観終わった後から始まる余韻、反芻の世界にせめ
て2週間は浸りたい。次の作品をインプットしたくない。
『ゴドーは待たれながら』を観た後そんな気持ちになった。
(キャパシティちっちぇー!)
もともと仮チラシの「大倉孝二」「一人芝居」という2つの
四字熟語(!)で即決。違う出演者なら観なかったと思う。
長年口説き続けてこの舞台を実現させたケラさんに感謝~♪
この作品はサミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待
ちながら』をもとに、待たれている男ゴドーを描いたもの。
2つの作品は同時進行の表裏ということらしい。
ただ私は表のほうを一度も観たことがない。
にもかかわらず、裏のほうにすっかりハマってしまった。
劇場配布のケラさんの挨拶文には「笑いのお陰で今回の公演
がある。それ以外の何かは、各々で感じとってくださればよ
いし、もちろん感じとらなくてもよいのです」とあったけれ
ど、笑いとともにこみあげてきた思いの断片を私なりにメモ
しておきたい。
↓ちょっとネタバレ。
観始めてアレアレ? と思うのは“ゴドーが待たれている”
という確固たる前提が揺らぐところ。
ここを出よう。行かなきゃ。だが行けない。このままだと待
たせてしまうことになる。行かねば。どこへ? いつ? 待っ
ているのは誰? そもそも本当に誰かが待っているのか?
そんな自問自答シチュエーションが延々とつづく。
観ているこちらにも閉塞感が伝染してくる。
一部の観客がもう笑っているけど、私は全然笑わなかった。
が、そのうち男の気持ちとの適度な距離が見つかり、客観
的に見たり、寄り添ったり、突き放したり。
いつしか笑ったり、急激に切なくなったり、身につまされたり、
涙したり、共感、もしくは同化したり。
なぜか羨ましいと思ったり。
台詞の中にこれは2013年版アレンジなのか?と思うものが幾
つかあったが、パンフレットに全文掲載された戯曲をチェッ
クしてみるとどれも1992年当時のオリジナルの台詞だった。
笑いの中には陳腐化したり、古びたり変容したりしてしまう
ものもあるが、この芝居ではほとんどそんなことなかった。
むしろ、今まで感じたことのない可笑しさが時々こみあげた。
待たれているゴドーのことを初めは特殊なシチュエーション
だと感じたのに、実は人間にとって普遍的で切実なテーマを
扱っているのでは?と思うようになった。
生きることは待つことか。待つことは生きることか。
羨ましいと思ったのは、ゴドーが「待たれている」自分につ
いて純粋に突き詰め、自分の価値を見つけたり、待たれてい
ることのありがたさを思ったりするところ。
ふだん「時間」という約束事に縛られ、プロセスを遂行するこ
とに追われていると、その先に「人」や「物事」や「何か」
が待っていることさえ見えなくなってくる。
日々の雑事に追われ、生きる目的を見失うように。
ゴドーの場合、プロセスの遂行に失敗することにより、待っ
てくれる人がいるのはありがたいことだと気づくのだから。
最後、ゴドーは静かに目を閉じる。一幕の終わりと同じあの
ひとことを言うために・・・。
この作品は戯曲がいい。演出がいい。出演者がいい。
『ゴドーは待たれながら』の戯曲全文が掲載されたパンフレッ
トのデザインも気に入った。
<出演者>
●大倉孝二さん
大好きな役者さんの一人だ。冒頭の靴を履こうとする動作が
いかにも大倉孝二だぁ~と、内心ニマニマ。
舞台上の男を見ると、服は明らかに汚れ、言葉の端々からも
生活が困窮しているらしいことがわかる。目は険しく、イラ
イラした表情。頬がいくぶんこけ、目も若干くぼんでいるよ
うに見えるのは役のメイクか?
やはり一人芝居は相当消耗するんじゃないだろうか。
このお芝居は、長い台詞を覚えさえすれば誰にでもできるも
のではなく、また、巧いだけでもこんな味わいは生まれない
と思う。悲惨な状況下で生まれてくる笑い、おかし味をたっ
ぷり楽しめたのは、大倉孝二さんの醸す独特の魅力に負うと
ころが大きいと思う。
風貌、雰囲気、体の動き。台詞の間のみならず、縦に長い
体躯から生まれる動作の間、独特の造形。声。口調。
そんな目に見える大倉孝二的なものが総動員でゴドーを作
り上げていて感動的でさえある。そして、今までに見たこと
のない大倉孝二がそこにいることにも!
ほとんど終わりに近づいた時、顔の中が「ハ」の字になって
いた。本当にこのひとはなんという顔をするのだ。
●野田秀樹さん(声の出演)
トーンの高い子どもの声を野田さんが担当。まるでその場に
いるような臨場感があった。
戯曲を読んでもどうってことのない台詞なのに、ゴドーとの
やりとりの中では無邪気に聴こえたり、からかっているよう
に聴こえたりするのが面白かった。
野田さんだけに本人が絶対にそこにいないことは明らかで、
そこを逆手にとったような会話のシーンにドキドキ。
<アフタートークから>
1日2回公演のあとのアフタートーク。
大倉孝二さん、ケラさん、そして、大阪の別の劇場で公演を
終えた、いとうせいこうさん、きたろうさんが加わり、ゴー
ジャスな4人のトークだった。
(以下、なぐり書きのメモを見ながらまとめてみる。)
まず、いとうさんが「ナイスファイト!」と大倉さんへのね
ぎらいのことばをかけていた。いとうさんの話では「長い鬱
病から解き放たれた感じ。ずいぶん練れてる感じがした」と
のこと。「一時は狂人めいてうかつに声をかけられなかった」
そうで、大倉さんは本当に大変な状態だったようだ。
初演でゴドー役を演じた、きたろうさん。
大倉さんが登場するまでに時間があり、さっき大阪で「生ま
れて初めて」買ったというジージャンを着ているのを、みん
なからチクリチクリいじられているのが可笑しかった。
きたろうさんによれば「自分と比べて、大倉くんのほうがス
テキだね。外国の演劇を見てるみたいで、飽きなかった」と。
「自分の初演時の地獄を思い出した。その時はお客さんが
退屈しないだろうかと考えていた」とも話していた。
ケラさんによれば、今回の上演にあたりオリジナルの戯曲の
二幕の前半の台詞をかなりカットした。どうしても2時間以
内におさめたかったから、とのこと。
いとうせいこうさんの話からわかったことだが、二幕では
ケラさんが独自の演出をしていたらしい。
二幕の途中でゴドーが客席を見渡しながら話すシーン。
戯曲では特に客席に語りかけるように書いていないらしい。
(客席にいた者としては、あの場面でゴドーがこっちを見て
くれたおかげで、気持ちにメリハリがつき、芝居に参加して
いる感じがして、よりいっそうゴドーに寄り添うことができ
たと思う。あの後、ゴドーがすわって目を閉じ「世界の音を
聞いてみよう」と語り始める、その音の中に私たちが参加し
ているような錯覚があり面白い体験だった。あとから戯曲を
読んで全然違うイメージなので驚いた!)
遅れて入ってきた大倉さんは、きたろうさんのジージャンと
自分のデニムがよく似た色なのを盛んに気にしていた。
いまは地獄のまっただ中にいるそうで、口をついて出るのは
「1日2回もやるか!」「キツイ」「ほんとに途中でイヤに
なったと思ったことがある」等々。
それでもいとうさん、ケラさん、きたろうさんからは
「海外に打って出たら?」「なぜやらないの?」「大倉劇場
を作ったら?」などと言われていた大倉ゴドー。
ワタシも個人的に賛成ですよー。
ほんとにいいお芝居でした。再演してほしい!
●ケラリーノ・サンドロヴィッチ × 大倉孝二(関連記事)
犯さん哉 観劇メモ
奥さまお尻をどうぞ 観劇メモ
面白かったです。
もうどう表現していいかわかりませんし言葉に表せないけれど、ムンパリさんの書かれている表現そのものと言ってもよいです。
ゴドーを演じた大倉孝二さんはホント大変だったろうけど、また演って欲しいですね。
たった一人なのに音や声などで、その世界に入り込めました。
観劇してホント良かった、最高です。
ケラさんは前にも関西人に笑ってもらえるかどうかを
気にしてましたけど、ドッと笑わなくても、ヨシモトの
笑いとは違っていても、面白いものは面白いですよね~。
大倉くんには喉元すぎて熱さを忘れた頃に(笑)また
やってほしいなあと思います。
次回はもう少し楽しみながら・・・ってムリかなあ(笑)。