オオカミになりたい(遺言)

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新形三十六怪撰より 「三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図」

2018-08-15 | 新形三十六怪撰

~ 頼豪、大なるねずみとなりて山の聖教を食ひ損じける ~

『三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図』

みいでら らいごうあじゃり あくねんねずみと へんずるず

 大蘇芳年筆

 

頼豪(らいごう)は平安時代中期の天台宗の僧

阿闍梨(あじゃり)は天台宗・真言宗の僧の職位

 

『平家物語』によれば平安時代、頼豪は効験があれば

 思いのままに褒美を取らせるという白河天皇との約束のもと

皇子の誕生を祈祷し続け、承保元年(1074年)見事これを成就させた。

頼豪は褒美として三井寺の戒壇院建立の願いを申し出たが

対抗勢力である比叡山延暦寺の横槍のため、叶えられることはなかった。

このことを怨んだ頼豪は、自分の祈祷で誕生した皇子・敦文親王を

今度は祈祷で魔道に落とそうと断食に入った。

やがて100日後、頼豪は悪鬼のような姿に成り果てて死んだが

その頃から敦文親王の枕元に、妖しい白髪の老僧が現れるようになった。

白河天皇は頼豪の呪詛を恐れて、祈祷にすがったが効果はなく

敦文親王はわずか4歳にしてこの世を去った。

 

頼豪の恨みは皇子を取り殺してもなおおさまることはなく

怨念が巨大なネズミと化し延暦寺の経典を食い破ったとされる。

延暦寺は頼豪の怨念に怖れをなし東坂本に社を築いて

頼豪を神として祀りその怨念を鎮めた。

出典先:ウイキペディア