下京原発ゼロネット

大飯原発が強引に再稼動され、関電への抗議行動に下京区からも合流するため、「下京原発ゼロネット」立ち上げました。

「ナージャの村」とテニスのシャラポア

2012-11-27 | 原発ゼロをめざす運動

  ナージャ当時8歳

 シャラポア

「ナージャの村」とテニスのシャラポア

 ドキュメンタリー映画「ナージャの村」を観ました。本橋成一監督の1997年作、15年も前の映画です。春にはりんごの花が咲き乱れ、牧歌的で自然あふれる村がチェルノブイリの原発事故で立ち入り禁止になってしまいました。その村には避難していない6家族が住んでいて、8歳のナージャもくらしています。

そのナージャの村ベラルーシゴメリ州ドゥヂヂ村は、すでに地図から消されていますが、おおよその見当でみるとチェルノブイリから北東120~130km離れていると思われます。(大飯原発から120kmというと京都市内はすっぽりと入ってしまいます。)6家族しかいなくなった村でも季節のいとなみがあります。そして、避難していた村人がぽつぽつと村に帰って来ます。それは棺に入って…。

 この映画に出てくるドゥヂチ村をあれこれ探していると、テニスで有名なシャラポアの記事に出会いました。2011年3月、福島第一原発の爆発事故のニュースが世界をかけめぐった時、アメリカで開かれていたBNPパリバ・オープンに出場していたシャラポアが記者会見場にチェルノブイリ原発事故から25年目となることを記したシャツを着て現れ、福島原発事故に思いを寄せ、「日本には素晴らしい思い出がある。そこで起こっていることを見ると、とても悲しい。(チェルノブイリの)事故はかなり前でも、今も影響が残る。特にそこで生まれた人々には、放射能汚染による障害がある人が多い」と話した。

 シャラポワの両親は1986年のチェルノブイリ原発事故が起きた時、ベラルーシのゴメリ州に住んでいたが、事故直後に脱出。翌年シャラポワが生まれた。ナージャとはほぼ同年齢ではないのだろうか。いま、シャラポアは25歳、ナージャは23歳~25歳。ナージャは今健康で過ごしているのだろうか。福島でも多くの子どもたちが汚染地域にくらしている、「ナージャの村」が私たちに語りかけるメッセージは、そして今私たちに出来ることは…。


11.11行動

2012-11-13 | 原発ゼロをめざす運動

11日 国会周辺などで行われた「反原発1000000人大占拠」行動は雨の中10万人が参加しました。               

           

         

         (しんぶん赤旗記事より)

この行動に呼応して46都道府県で集会やデモが行われ、京都でも16ケ所で取り組まれました。

 関電京都支店前では750人がアピール、傘をさしてのスタンディンアピールやデモを繰り広げました。冷たい小雨が降り続く中、それぞれの思いを持ち寄っての抗議行動。ご参加本当にご苦労様でした。

 京都新聞は全国で繰り広げられた「原発ゼロ」の様子は写真も記事もまったく載せませんでした。


24年前にも起こっていた福島原発の事故

2012-11-13 | 今こそ原発ゼロの日本を!

 23年も前に作られた「あしたが消える」というドキュメンタリーの映画で、チェルノブイリ原子力発電所の事故から3年後の1988年6月に福島原発で事故が起こったことについての語っています。

電力会社は製造当時から原子炉の欠陥があったにも関わらず、事故が起こりうることを知りながら運転し続けていた。原子炉設計技師だった田中三彦さんがそうした電力会社に対して告発された時の様子などを語っておられる。

映画の中の一部分ですがユーチューブからアップしました。