よしGの百歳イブまで

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止められない止まらない!シケモク狂想曲。新品煙草ごとゴミ箱へ!

2016年01月20日 | 日記

人は、意識が強いという禁煙である。

親父は、何十年も吸っているので止められるか!と癌になっても、病棟のベランダで吸っていた。(何十年も前の話)

吸い始めは、映画のかっこいいしぐさから、口パクの一本で始まった。

次は、肺に吸い込む。あたまクラクラ!飛んだ。この状態が欲しくてまた一本。ついには毎日4箱のヘビースモーカーになった。

悲しい沙我か、ないときには山盛りになった灰皿を漁ってシケモク狂想曲。ジャジャジャジャ~ン、ちょっと苦くヤニ臭いがリズムに乗って1本2本。

人生3度、煙草を止めた。

1度目は、1か月止めようと期限を切った。3日目で1本くらいならと……。元の木阿弥、倍になった。

2度目は、絶対3か月は吸わないと決めた。3か月頑張った。人の吐く煙草の煙を吸っていた。それでも頑張った。たしか願掛けをしたから(なんの願掛けかは忘れた)。3か月過ぎた初日に、ご褒美に1本吸った。また2倍になった。

3度目は、子どもが煙草を食べる手前までいった。これはやばい!止めようと禁煙したが、残念ホタル族となった。

痰は出るわ、肌シャツは黄色くなるわ、家じゅうの白いところはヤニで黄色くなるわ、窓ふきをすると雑巾はヤニ色!なんじゃこりゃ!である。

4度目は煙草を止めたというより、思いを捨てたかな。(だから止めるに入れないのである)

仕事で外回りをしているとき、事件は起こった。

今なら、胸に入れている煙草を捨てれば俺は一生吸わない。と声がした気がした。

迷わず、吸い殻のくすぶった煙漂う街頭灰皿付の近くのごみ箱へすべて捨てた。

あれだけ、止めようとして止められなかった煙草が、

吸いたい思いを捨てただけで、内なる神聖なる神の意志なのか、あれから吸いたいというかつれた意識もなく現在に至っている。

(※みなさんお気を付けください、なんとヤニ付の黄色い痰は5年にわたって出続けました。呼吸器系の壁につきまくっていたのですね)

89歳のおばあちゃんのことからいろいろ振り返ってみると、今までも見えない世界かなにかが私を司っている気がする。

思えば、止めようと期限を切ったり願かけたりする行為は、意識が「終わったら吸ってもいいよ」ということでスケジュール化していたということですよね。

一生止めるでは無く、期限まで止めるだったのです。都合のいいご褒美で再開のスイッチが入るのも当たり前です。

私の場合、徹底して気持ちが悪くなるまで家族に徹底的に嫌われる喫煙になるまで極限吸い続けたので、内なる神が声を発してくれたのではと思っています。

参考になるかはわかりませんが、徹底してやってみてるとそのうち答えが出るかもわかりませんね。

内なる声で私は助けられ、産声を上げた時のから傷つけといた授かった体をとりあえず一つ捨てたという答えが出ました。今思えば一つ幸せになったのですね。

今日思うことでした。