45年も前の話しである。
ナイトラリーでの話しだ。(このブルーバードで参戦した)
饗庭がドライバー、高橋がナビゲーター、私ともう一人が計算と4人で一チームを組んで出場。
各大学のチームが50台くらい、各車並んでスタートを待つ。
1分ごとのスタートである。今日はどのコースか?島根を周るのか??それとも鳥取か??山口か??
心臓がパクパク言っている。
もちろん舗装された国道を選んでのラリーではない、田舎道を中心にひたすら中国道を走り周る恒例の当時は過酷のラリーであった。
計算の私にとっては薄暗いライトの元で目を凝らしてひたすら読み続ける最悪のナイトラリーだ。
当時の大学生が考えるひねりにひねったコースだった。(特に商大のナイトラリーは思いがけないひねりに定評があった)
浜田道にしても、今のような道路ではなく未舗装でガタガタ道であったのだ。
スタート台に上がる。
スタートは18時37分ジャスト。
さあ、カウントダウン10・9・8……3・2・1、フラッグが振られた!
商大(今は沼田にある修道大学だが、当時は観音の広島空港と三菱造船の間にあった)正門をスタートして、メタコン(メーターコントロールという)までは安全運転!主催者の計測車とのメーター誤差を調整する区間だ。
高橋が次の交差点を2時方向!速度42.6。
右の〇〇商店が見えたら5本目の駐禁標識がパスコン(パスコントロールという。速度変更地点のことをいう)だ、そこから速度38.4と指示がとぶ。
パスコン指示のあと、メタコン(メーターコントロール)が見えてきた。あとわずか!通過!
距離28.63Km、主催者発表29.23Km。あくまでも主催者の計測車と合わせるのがタイムラリーの醍醐味である。補正値0.979だ。大学のコンピュータで作成した補正表をだし、0.979の表を取り出す。
速度42.6指示は、自車に直すと速度41.71となる。
速度が変わった変更点の自車距離を補正して速度を計算し主催者の測定車に合わせた走りをするのが鉄則だ。メタコンまでの通過時間をひたすらタイガー計算機でガシャガシャ計算する。私が主計算、もう一人が検算の副計算者となる。
タイガー計算機とは、こんな形である。電卓の無い時代の唯一の卓上計算機がこれだ!
左右25cm、奥行き15cm、高さ15cmくらいだったと記憶する。重さも結構重たかった。
その間も、速度変更点のパスコンが何か所も通過する。
計算しながら高橋の通過距離を控える。
でた!メタコンを18時56分28秒!
饗庭は主催者指示の速度で走っている。
メタコン以降の速度を早く補正をしなければ間違った走りをする。急いで現在の位置を計測する。
でた~!
距離18.46Km地点で10秒遅い!副計算者との検算結果も合致。
高橋に指示を出す。100mごとの通過時間を予測する。18.56Km地点19時〇〇分〇〇秒!12秒遅れだ!
饗庭は速度をゆっくり上げる、急激に上げるとタイヤとの空転誤差が生じるのであくまでもゆっくりだ。
18.66Km19時〇〇分〇〇秒!5秒遅い!
18.76Km19時〇〇分〇〇秒!よっしゃ戻った。
これで補正が済んだ主催者測定車のスピードにあった走行になったのだ。
その角を5時に曲がる、左に人、右に自転車……ゴー、ストップと高橋の指示が飛ぶ。
おおっ、最初のチェックポイントだ。曲がり角を曲がり切ったら見える意地の悪い場所にある。
どうだ!距離は、時間は!
高橋から、19時17分32秒、距離〇〇キロと大声で叫んで、
ドアのバタンとする音と同時にチェックポイントの主催者ブースまで高橋走るは走るは猛ダッシュ!通過証をもらって。息が治まらないままスタート!
この停車時間ロスは大きい!〇〇秒遅れ!
すこし立つと挽回して安全運転に!
100mごとの予測計タイムを出すために何秒か置きに、ガシャと1回タイガー計算機を回す音。予測タイムを通過ごとに、〇秒早い遅いの声が車内に響く。
順調!順調!チェックポイントも何回か済んだ深夜2時ごろ。
あれ~?
パスコンが見つからない?行けども行けども、ないのである。
コースミス!高橋痛恨の極み!
すぐ元の道に戻らなければならない。
まず、現在地点の距離、256.56Kmチェック記載。
多し急ぎで戻る。饗庭は飛ばす飛ばす!
見覚えのある交差点まで来ると、高橋「すまん、ここを見逃していた!」とあせり声。
素早く距離を伝達。260.23Km記載。
往復7.34Kmのロスである。
このロス分を取り戻さなければならない。いわゆるこのロス距離を時間0で走った計算だ。
正常なコースをブッ飛ばす饗庭!
曲がり角をクュニュっと曲がったとたん、あっ!
このタイミングでなんでだ!
あ~っと。落胆の声が漏れる。
チェックポイントだ。チェックポイントの距離と時間を高橋が読む、走る、戻る、落ち着いてスタートを切る。
気を取り直して、この加点はあきらめてあとは0点で行くぞと激を飛ばす。
もはや上位入賞はあきらめなくてはならないくらいの点数となった。
あとは、沈黙の中のひたすらタイガー計算機を回す音と私の〇秒遅い早いの声が響く車内であったことは言うまでもない。
※ラリーでの車内は計算チームは後部座席に机を置き、タイガー計算機を載せて、ひたすら景色も見ず計算のみであった。大体において1回生のころには全員計算のものは車酔いを乗り越えていっぱしの計算となったものである。よく窓を開けゲーゲー吐いたのを思い出す。
明け方、商大のゴール地点に到着。距離と時間をチェックして、高橋がゴールチェックポイントへ走る。
さあ、これからが計算の出番。ドライバーの饗庭とナビの高橋は疲れてお休み。
各チェックポイントの通過時間を記入する。副計算者と、検算である。
ここで間違えると大変!
合致!
よし!
高橋を起こし、主催者に申請する。
各チェックポイントの主催者の通過時間と照らせ合わせてプラスマイナスの秒を1点として合計が点数となる。
この点数が少ないほど忠実に走ったこととなり順位が決まる。同点の場合は秒での計測。
気になったのか、饗庭も起きた。
どうや?
〇点じゃあ!
あ~、ミスコースが痛かったのう!
どっと、疲れがでて発表までの時間は爆睡であった。後輩が起こしてくれて発表に聞き入る。
商大が優勝、我が工大のもう一チームが二位、広大が三位、一般の方が四位と次々に発表となった。
悔しいのう!
部室に帰って、反省会。
主将にどうしたんや?と聞かれる。返す言葉もない!
痛恨の極みのラリーであった。
我がチームは残念ながら4年間入賞経験のないチームとして学生時代を終えた。
ちなみに、ナンバーは全日本学生自動車連盟だったと思うがその取得ナンバーで我が校は232、広大が230、商大が231であった。
卒業してから、中国が一つのブロックとなり、503になったのではと思う。
あまり言っていないのが事故である。
仙台で15年前に高橋にあった時に楽しく語り合ったのがこの事故のこと、麻雀のこと。
自動車部時代はラリー事故2回……。 (もはや時効だし、饗庭も高橋も星になったし・・・・・ここら辺でもういいよな)
1回目は、センターラインオーバーの正面衝突。私は鞭打ちで1か月入院、ドライバーの饗庭はハンドルで前歯一本欠けた。ナビの高橋はなんともない。
正面衝突と言えば大事故を想像するが速度が出ていなかったのか、車が頑丈だったのか小さい事故で済んだ。
2回目は、田舎の未舗装のカーブでの出来事であった。
ラリー車ブルーバードがカーブを曲がりきれずに1回転。
そのまま田んぼに。
計算最中の私は、車が飛んだ、回った、逆さになったと感覚だけの世界であった。刈取り後の田んぼがクッションとなりペッちゃんこ状態にならなかった。(田んぼの持ち主へのお詫びは先輩たちが)
気が付けば、逆さになったブルーバードのドアを開け、這いずり出た自分がいた。
後続車に事故を伝え、大急ぎで牽引して帰った記憶がある。これも奇跡的にけが人が全く出なかったのは幸いであった。
このころから、なにか守られている気がしたのである。
この2件の事故は、学校や世間に公になることもなく、我が部も大学からきついお咎めもなく卒業まで部活が続けられたのは不思議でならない。