1992年の5月・・・「PKO関連」の中央動員。
会場は日比谷野音・・・
行く先は東京。
早速,見良津健雄氏に連絡をした・・・
二つ返事で「夜,仲間を集めて待ってるから・・・」
彼はいつもそうだった・・・
忙しい身ではあるが,必ず待っていてくれた。
あれから,彼が大分に帰郷するときは・・・
再会を喜んだ。
今でも「明日,大分やから・・・会えるかなぁ?」
・・・って電話がありそうな気がする。
あの夜も仲間と痛飲した後・・・
彼のマンションに泊めてもらった。
「明日は帰るまで時間ある?何かアレンジしようか?」
酩酊する頭を擦りあいながら・・・
僕のデモテープを聴いてくれた。
一曲一曲,控えめなコメントが入る・・・
これも酔いのなせる業か・・・
呟きを拾い上げながら・・・
今の僕のギターアレンジも存在する。
そんな付き合いだった。
次の朝,二日酔いが沁みこんだままアレンジが始まった。
彼が選んだ唄は,「新しい唄を今」
昨夜,メロディを追っていたかと思うと・・・
重たい歌詞を選んできた。
彼は「言葉」を大事にするアレンジャーだとも思う。
「新しい唄を今」
あなたの夢は何でしたかと 尋ねてみても苦笑いだけ
叫び続けたあの日の声は 若さのせいと時にごまかす
時代が違う 世代が違う 人の心はそんなに易く
変ってゆくか 変われるものか
答えてくれよ 信じたくはない
何処へ消えた友だちよ 不器用は俺たちの
取柄じゃないか 新しい唄を今 歌っておくれよ
男と女 暮しをはじめ 子供が生まれ仕事も増えた
他人のせいにするなよ命 精一杯は昔も同じ
流れ流されひとごみの中で 自分の姿見失っても
気休めだけの つきあい酒は
答えてくれよ 苦い酒だと
口を開け友だちよ 飾りなしは俺たちの
生き方なのさ 新しい歌を今 歌っておくれよ
愚痴は言いまい 空しくなるから
背伸びはしまい 苦しくなるから
のろくてもいいじゃないか
新しい雪の上を歩くようなもの
ゆっくり歩けば 足跡はきれいに残る
何処へ消えた友だちよ 口を開け友だちよ
飾り気なしの新しい唄を今唄っておくれよ
飾り気なしの新しい唄を今唄っておくれよ
・・・編曲中,僕は彼の背中ばかり見ていた。
彼は仕事をしていた。
「僕に何を見せようとしているのか?」と・・・
あの時思ったが,きっと彼は・・・
そんなことは考えていなかったに違いない。
ミキサー卓とタイプライターみたいな機械を器用に操っていた。
1992年当時,はじめてみる打ち込みの作業だった。
CDの音からのサンプリングも始まった。
地味な作業である。
作業卓の右側に「マック」があった・・・
「最近買ったんだけど,まだ勉強中・・・マウスでできるから・・・」
とかなんとか?言っていた気がする。
彼の作業を横目で見ながら・・・
ラックにあったCDを手にとって眺めていた。
彼のなまえがすべてにクレジットされたあった。
「結構仕事してるんだ・・・」
彼の返事はなかった・・・(彼は僕以上に照れ屋である)
音が聞え出した・・・
これがまた「良い音」である。
機械音とばかり思っていたが・・・
サンプリングで作った音は「アコスティック」である。
間奏の作業に入る・・・
リアルタイムでメロディを弾き始めた。
・・・実はこの作業が長かった・・・(^^;)
小節数にしたら8小節か16小節程度であるが・・・
繰り返し,繰り返し・・・やり直す。
この辺が彼らしい・・・
人間味が出る部分をいつも大事にする。
そんな気がする。
「今度の金曜の夜,仲間集めて・・・
大分市のカンタループで飲んでるから,出てこれるかな?」
・・・彼の声が聞こえた・・・
「また夢の話しますか・・・んじゃ行きましょう・・・」
・・・ではでは・・・ほいほい・・・