絵日記

不定期更新・・・気ままな絵日記・・・

期末PTAも終わり・・・

2008-12-08 10:26:18 | 教育
師走も中旬へ・・・

昨日は日曜PTA・・・
・・・午前中、自由参観。
・・・午後は、講演会と学年PTA。

今年の講演会は「宮里新一」さんのコンサートである。

器材搬入から設営・・・ミキサー・・・
久しぶりに裏方に徹した気がする(^^ゞ

長年、kimiさんが扱ってきた器材。
単独で使用させて頂くのは初めて・・・

不安を抱えながらセッティング・・・
一人で組むと結構時間がかかる。







7時30分頃から車から器材を下ろして・・・
体育館へ搬入・・・設営。
約束どおり10時にリハーサル開始・・・







ギターは「タカミネ」・・・
ラインとエアーでギターの音を作ってみる。

会場が体育館の割にはクリアーな音・・・

とは言っても対面の壁にぶつかって音が跳ね返ってくる。







kimiさんにお願いして・・・
借りてもらったモニターが大活躍。


そして、午後1時に本番スタート・・・
その後、引き続いて学年PTA・・・







宮里新一プロフィール

1955年沖縄県生まれ。8歳でハンセン病を発症し沖縄愛楽園に入所。大学時代に障害者支援コンサートなどに参加するが、無理がたたって体調を崩し、愛楽園入退所を繰り返す。音楽を離れ病歴を隠して就職するが、音楽への夢を捨てきれず、2002年に病歴を公表してライブ活動を再開。感動の輪を拡げている。

●職歴・経歴
13歳の時、沖縄愛楽園退所の際に「この病気のことは誰にも話してはいけない」と入所者に言われ、この言葉がその後の彼の心を縛り続ける。16歳の時に歌作りを始め、17歳の時に同級生が白血病で死亡したことを機に本格的に詩を書き始める。その後、大学に入学。勉強とアルバイトと音楽活動を続け、その無理がたたって神経痛が悪化。学業半ばにして卒業を断念し、23歳で愛楽園に再入所。3年間の療養後愛楽園を出て、社会での生活を試みる。以後、具合が悪くなれば愛楽園に戻るという生活を繰り返す。その後、結婚し家庭生活に入るが音楽への思いを断ちがたく仕事を辞め音楽活動を再開。しかし、自信のなさから大きく踏み出すことができないまま空回り。家庭生活にも破れ、すべてを失い沖縄愛楽園にこもる。そこで熊本判決を知り、原告団に入りハンセン病全面解決への闘いに参加。同年9月、厚労副大臣との交渉で「私はハンセン病から解放されたい。ハンセン病の中の歌ではなく、ハンセン病から出ていく歌を作りたい」と訴える。2002年正式に退所。ライブではハンセン病から解放されたいという強い思いの丈を込め、生きることのせつなさ、確かなものへの希求、失意の中から再び生きること、そして歌うことを求め続ける。


体育館につながる廊下から見える由布岳・・・
・・・綺麗だった。




コメント
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