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東日本大震災で障害者手帳を持っている方の死亡割合は、障害者手帳を持っていない方(いわゆる健常者)の2倍以上だったというデータが明らかになっています。分科会「『災害』弱者と地方自治」では、その原因について考えるため、あの日、障害のある方々がどのような状況だったのか話をうかがうとともに、障害者権利条約にもとづいて普段から施策を充実させる必要があることが一致した見解となりました。
宮城県聴覚障害者協会の小泉正寿会長は、亡くなった会員さんの状況について、避難所が混雑しており車のなかで待っているときに津波に襲われた方、仕事を終えて自転車で帰宅している途中に津波に巻き込まれた方、集まる場所がわからず逃げ遅れた方、病気のために家にいたが助けがなく逃げることができなかった方、などの例を示しました。どなたも、津波が来るという情報が届いていなかったのではないかということでした。
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きょうされん宮城支部の鷲見俊雄さん(車イス利用の肢体障害者)は、10階建マンションの2階に住んでいます。何度かの余震で停電になってしまい、寒さと暗闇の中、誰とも連絡がとれず不安な夜を明かしたとのことでした。避難指示が出されていることも知らなかったということでした。鷲見さんは、「防災対策で自助が強調されるが、障害者は自分では何もできない」と、公助の必要性を強調しました。
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仙台市視覚障害者福祉協会の高橋秀信会長は、宮城県の聴覚障害者は68名が犠牲になったと報告しました。他の障害の方とも共通した問題ですが、避難所生活での不便を強調しました。酷いところは、盲導犬を拒否されたり、掲示板の案内は読むことができないため情報がなく、食事にも並べなかったり、トイレに自由に行けなかったり…等々でした。
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てんかん協会宮城県支部代表の萩原せつ子さんは、電話相談を実施し支援のとりくみをすすめたことを話されました。薬の問い合わせ、病院の問い合わせ、眠れない、避難所では落ち着いて居ることができない、など多岐にわたったと言います。しかし、どれも震災によって生じたものでなく、普段からあった困難が震災によって顕著になっ0たものであり、普段からのとりくみがいかに大切かよくわかったと語られました。
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山元町社会福祉協議会の職員で共同作業所「工房地球村」の田口ひろみ施設長は、震災直後は施設の利用者の方と一緒に過ごさざるを得なかったが、各家庭に送ることができた後は、町や他の社協職員と一緒に避難所やボランティアの受け入れ等に従事することを余儀なくされ、障害のある方への直接支援ができない状況が長く続いたことを話されました。一方、作業所を普段から応援してくれた地域の方々の支援おに支えられ、ようやく施設再開にこぎつけることができたと語られました。 (つづく)
宮城県聴覚障害者協会の小泉正寿会長は、亡くなった会員さんの状況について、避難所が混雑しており車のなかで待っているときに津波に襲われた方、仕事を終えて自転車で帰宅している途中に津波に巻き込まれた方、集まる場所がわからず逃げ遅れた方、病気のために家にいたが助けがなく逃げることができなかった方、などの例を示しました。どなたも、津波が来るという情報が届いていなかったのではないかということでした。
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きょうされん宮城支部の鷲見俊雄さん(車イス利用の肢体障害者)は、10階建マンションの2階に住んでいます。何度かの余震で停電になってしまい、寒さと暗闇の中、誰とも連絡がとれず不安な夜を明かしたとのことでした。避難指示が出されていることも知らなかったということでした。鷲見さんは、「防災対策で自助が強調されるが、障害者は自分では何もできない」と、公助の必要性を強調しました。
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仙台市視覚障害者福祉協会の高橋秀信会長は、宮城県の聴覚障害者は68名が犠牲になったと報告しました。他の障害の方とも共通した問題ですが、避難所生活での不便を強調しました。酷いところは、盲導犬を拒否されたり、掲示板の案内は読むことができないため情報がなく、食事にも並べなかったり、トイレに自由に行けなかったり…等々でした。
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てんかん協会宮城県支部代表の萩原せつ子さんは、電話相談を実施し支援のとりくみをすすめたことを話されました。薬の問い合わせ、病院の問い合わせ、眠れない、避難所では落ち着いて居ることができない、など多岐にわたったと言います。しかし、どれも震災によって生じたものでなく、普段からあった困難が震災によって顕著になっ0たものであり、普段からのとりくみがいかに大切かよくわかったと語られました。
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山元町社会福祉協議会の職員で共同作業所「工房地球村」の田口ひろみ施設長は、震災直後は施設の利用者の方と一緒に過ごさざるを得なかったが、各家庭に送ることができた後は、町や他の社協職員と一緒に避難所やボランティアの受け入れ等に従事することを余儀なくされ、障害のある方への直接支援ができない状況が長く続いたことを話されました。一方、作業所を普段から応援してくれた地域の方々の支援おに支えられ、ようやく施設再開にこぎつけることができたと語られました。 (つづく)