岡山県議会議員 森脇ひさき

2023年の岡山県議選で5期目当選させていただきました。
「命と暮らし、環境が最優先」の県政へがんばります。

第56回自治体学校 2.被災地からトーク

2014-07-28 | 各種集会など
話をされたのは、福島県浪江町長の馬場有さん、岩手県大槌町保健師の岩間純子さん、河北新報社の小島直広さん。
馬場町長は、原発事故について国・県・東京電力のどこからも事故の連絡がなく 、テレビ(自家発電)で知り、翌朝6時に町独自で10㎞圏域の住民に避難指示を出した。町では、地震と津波による被害状況を掌握し、避難所解説や救助の手だてなど、その対策に追われていた。原発の電源喪失が明らかになったのは地震発生・津波の第1波到達の頃であり、なぜその情報を届けてくれなかったのかと話されました。
また、最初の避難から4日間、多くの住民は原発から27㎞離れた津島地区方向へ避難し、町の災害対策本部も津島支所へ置いたこと、ところが後にそこが放射線量が高いホットスポットであり、子どもたちや多くの住民が避難した地域で被曝してしまったことを話し、SPEEDI の情報が届けられなかったことに怒りをもって訴えられました。
そして、何よりも反省すべきは「原発の安全神話にどっぷり浸かってしまっていたことだ。反省してもしきれない」と話しました。最後に、県外への避難も含め、長期の広域避難いなっていることを紹介し、くらしの安全、ふるさと再生のために頑張る決意を述べるとともに、政府の原発再稼働方針に対し、「再稼働なんてとんでもない。事故の原因究明も終わっていないなかで再稼働することは、福島の教訓を生かさないという宣言だ」と述べ、会場は大きな拍手に包まれました。



保健師の岩間さんは、地震直後の様子と、多数の職員が津波の犠牲になってしまったこと、そのなかで4ヶ月にもわたり我が子にも会うことなく職員としての支援活動に追われた毎日を振り返りました。そして、保健師としてどのような役割が求められるのかについて、話されました。
当時は、大地震の時は職員はすべて災害対策本部(役場)に結集することと規定されていたため、津波が来ることを覚悟しながらも、海岸線を車で走り役場に向かったとのことでした。途中、行動をともにしていた3人の方が津波の犠牲になったとのことでした。
避難書では、地域の医師や看護師も避難しており、怪我をした方も避難されており、救護所が自然発生的にできた。しかし電気も毛布もなく、津波に襲われた体を暖めることもできず、命を見送るだけになったことに「無力感に襲われた」と話されました。
自治体職員として、これまで経験したことのない仕事の責任を果たさなければならない重圧、弱音を吐けない苦しさ、これらのことが「心の闇を大きくしていった」と語られました。
保健師としての役割についても言及。地域で住民の生命を守ることを使命としている保健師でありながら、多くの職員が犠牲になり、多くの住民が避難を余儀なくされ、役場機能の復旧に追われるなかで、地域での保健活動ができなかったことに「歯がゆく辛い日々」だったと振り返りました。そして、平常時から災害に備える力と体制を構築すること、保健師の役割と専門性について理解を得ることなど今後大切にしなければならない課題について言及しました。



河北新報社の小島氏は、岩手、宮城、福島の3県を取材してきました。震災、津波、原発事故、風評被害の「4重苦」に加え、小島氏は「風化被害」をあげ、気に止めてもらえなくなる、教訓が生かされなくなるなどの問題を指摘しました。
そのうえで、復興の現実に触れ、自治体間の格差、被災者間の格差が生じていることを告発し、「復興が遅れるなか、沿岸部から人口が流出し、過疎化はすすむ。漁業や水産加工業、農業など再生が喫緊の課題。このままでは沿岸部の地域コミュニティーが失われてしまう」と指摘し、地域の実情に応じた支援策をと訴えました。
また、風化被害が全国的にすすむなか、次なる大地震・大災害への備えが疎かになることを懸念しました。
最後に、被災した地域では人々の日常は一瞬にして奪われる、何気ない日常にも人々の幸せがたくさんつまっていることを実感したと語り、「日常を失わないでほしい。今すぐ備えをしてほしい」とよびかけられました。


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