もろじいさんのひとりごと

なんでもありの、ひとりごと

現在とは

2010年10月23日 11時17分50秒 | 読書
「モモ」 作家はミヒャエル・エンデ、ドイツの児童文学作家
邦訳は大島かおり.岩波書店より発行された(1976)小学校5、6年生以上対象
71歳の私には一読では理解できず、再々読
副題は「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間に取り返してくれた女の子のふしぎなものがたり」
過去・現在・未来の関係に特に興味があった。
現在が存在するから過去や未来がある、現在が存在しなくなったとき、未来も過去も存在しなくなる。
現在は留まらない、瞬時に過去に蓄積され、それと同時に未来の領域に入っていく
だから、現在がなくなったとき(死亡)、もう未来へ向かうことはできない。過去とは自身の残像(思い出)であるからそれも無くなってしまう。過去については、他者の過去の思い出(他者無意識の意志によるものだけ)に残される。
だれが私に時間を与えてくれたのか?わたしは選ばれた者か?、たれが私の時間を取り上げるのか?。
わたしには、その時間の管理はできない。できないからいいのだろう。
それでは、何者がわたしの「いのち」を管理しているのか?それもさだかでない。
仮にその者を偉大なる創造主((この世界のすべての生きとし、生けるものの時間管理者)大文字のA(ただひとつ))その存在を無意識に認知し、それを認知したことも忘れ去って日常を生きている。
この地球という物体に住み着いて70余年、地球の年齢と比べたら、限りなくゼロに近い、このゼロに近い時間をあくせくせずに自分の思うままに生きても、A様はゆるしてくれるだろう。
少し硬く暗くなってしまいました。おゆるしを