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境界性パーソナリティ障害やら、非定型うつ病やら・・・
私的見解はあるが、自分なりにゆっくりと記事にしたいので今日は言及を避けておくとして。
症状の違いを一つ一つ病名として分類するのか、一つの病名として括って捉えて理解するのか、
言及を避けるといいながら、
ボーダー?
非定型うつ病?
この二つだけはいろいろな意味で問題があると言っておきたい。
風邪で例えるとして、
風邪は、一般に風症候群といわれる。だから、その原因や病態も様々。
この場合、ある程度絞って考えてみる。
原因が同じウィルスとした場合であっても、風邪は風邪、ウィルスはウィルス
まぁ、何を中心として考えるにもよるが、境界性パーソナリティ障害や非定型うつ病はかなり理解できない。
発達障害やAC、PTSD等から複合的に考えれば、大方その問題点が見えてくるとは思うのだが。
それともうひとつ、
多くの意見交換の場で、
「ボーダーの患者さんで○×△■云々・・・」
こういう話になると、医療従事者は
「あー、わかるわかる」的な反応
あんたらがその患者さんの病態(というか背景というか)を分かってないだけだといいたい。
患者に振り回されるとかなんだとか、毅然とした態度で対応すべきだとか。どこの教科書を読んだのか、先輩から習ったのか知らないが。
その言葉を取り違えて対応した結果、ボーダーであるとレッテルを張られた患者は、陰で自傷行為をして苦しんでいる背景を知るべきである。
そこに不眠や焦燥感があるからと、安易にレボトミンなどを処方され・・・
今の医療レベルでは、境界性パーソナリティ障害と言われているが、その人たちには何の罪もない。
おっと、言い忘れるところ
スペクトラム(連続性)的概念
この表現は、今後(すでに遅いか)中心的・重要概念になることは間違いない。
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私のにぶい頭では難しいことはよくわかりません。医学的に言えばとかいうこともわかりません。
でも、直感としては、「越智さんは私みたいな人を救うような発言をしておられる」ということをびしびし感じます。
人と向き合う仕事はもちろん、日常の場面にも、「こうすればOK」みたいなものはないのでしょうね。
個人差はもちろん、同じ人でも、同じ言葉を聞いてもうれしかったり腹が立ったりと違うかもしれないし。
私の仕事である「子どもと付き合う」ことにも、参考書はあっても教科書はありません。
私の頭は「臨機応変」は苦手なので、一瞬の臨機応変な判断が求められる今の仕事は、私にははっきり言って向いていません。毎日落ち込むし、心はズタズタになるし、心の健康にはかなり悪いです。
でも、変化を好まないはずの私の頭が、子どものことになると、自動的にピコピコ動き出して、ああでもないこうでもないと考え始めます。
ある意味過集中かもしれないし、暴走しているのかもしれません。
今までの経験を記憶したなかから、頭のオンボロコンピューターで答えを探して、それに沿って動くのです。
何しろオンボロなので、しょっちゅうフリーズしたり、煙が出たりします。
毎日、「今日限りで仕事辞めようか」と思いますが、社会の中に居場所がなくなって、心が元気になれるはずがないので、仕事をする苦労と仕事がない絶望を天秤にかけて、もがきながら生きています。
名札を首からぶらさげると、シャキッとするのだけは確かです。
私が学生の時は、教育・保育の世界で、impairment(医学的損傷・疾病)によってdisability(能力障害)がある時に、何とかhandicap(社会的不利)を軽くできないかということを勉強しました。
「ICF」の考え方が普及するより前のことです。
脳の働きの不具合でも、精神的・心理的ダメージの後遺症でも、原因になっているところはすぐに治らないとしても、じゃあ、うまくいかないところを抱えながらどうやって生活していくかということになりますよね。
医学の分野から助けてもらったり、福祉の分野からサポートしてもらったり、周囲の人に助けてもらったり。
私もたぶん基本的に、調子が悪いと「(いわゆる)ボーダー的」に見えるみたい。だから、その状況では、これでもかというぐらい、「ボーダーの人にはこんなふうに」みたいに対応されます。
以前はそれがもとで、
調子が悪くなる→「あなたはボーター」みたいなメッセージを受け取る→私なんて・・・(人に迷惑かけるんだったらいっそのこと・・・)と考えてしまう→「そうやって人の気を引こうとして!やっぱりあなたはボーダーですね」みたいな雰囲気になる→ますます自分を否定するようになる→ますます調子が悪くなる
こういう悪循環に陥ることが何度となくありました。
今だって、調子が悪くなったら、また悪循環にはまらないとは限りません。
でも、なぜ以前に比べて悪循環に陥りにくくなったかと言えば、
「ドクターや看護師さんは、私のことが嫌いだから冷たくそっけなくするわけじゃなく、私の調子をよくするによかれと思ってそうしている」
とわかっている時が多いからです。
でも、いつもわかっているわけでなく、わからなくほど調子が悪い時もあります。
たぶん、たとえ話にすると、ボーダーとレッテルを貼られて苦しんでいる人は、言葉も生活習慣も社会常識も違う外国に突然一人ぼっちで置き去りにされたようなものなんだと思います。
コミュニケーションが成り立つまでは、周囲がどんな素晴らしい助言をしても、助言には聞こえないでしょう。
医学的にはどんな定義とかをするのかわかりませんが、「2次障害」もかなりしんどい問題だと思います。
impairment(医学的損傷・疾病)やdisability(能力障害)に対して、適切な治療や支援を受けられれば、handicap(社会的不利)は軽くてすむのに、そこがうまくいかなくて、重い2次障害をかかえ、重いhandicap(社会的不利)を負う、そんなしんどい状況。
私は幸いなことにそこから脱出しているところですが、まだその真っ只中で苦しんでいる人はたくさんいると思います。
元々、状態を示した用語で…診断とは本来異なる形で使われていました。
この概念が輸入されたのは1970年から80年代…
ボーダー…理解されているようであまり理解されていないことが多いです。
ボーダーとは元来「境界例」のことで「精神疾患」と「人格障害」や「神経症圏」の中間を示すものなんですよね。
仮説だけど、私なりにメカニズムを考えたら…
自己を自分で身を守ろうとする本能を人は持ち合わせている…
即ち…物心つき…対処行動が取れる状況なら…行動で対処を取る。それは人格へと組織化されすい。
しかしながら…自己の身を守ることすら許されない環境で育った家族背景(脳の器質や…とらえ方など…歪ませていかなければ…自分自身が自己崩壊になる状況)においては…精神病になりやすいと考えられる。
で、そういったメカニズムが仮説的に立証されるのであれば…おそらく、境界例とは「精神病」と「人格障害」との間の次期…
自分自身の身をある程度自分で守りながらも…完全に守ることが出来ない状況下の環境にさらされた可能性があったのではないだろうか…
ってね。
私個人は…ボーダーも人格障害も否定的には捉えていないけど。(私自身…自己分析すると…人格障害的な側面があるからかもしれないけど)
医療者においては非常に否定的にとらえられる用語の一つになってしまっているようですね。
何か…っ最近疲れました…
昔のようにエネルギーがでなくなってきている…
動機に息切れ…ついでに時折の不整脈。心の臓あたりの調子?が良くないようです…(病院に入ってませんけどね ^^v)
(++;)年かな…メタボかな…
両方ですね~♪
寝ておきましょう…(><)
嬉しい記事です。温かくなりました。
ボーダーって正直、面倒なイメージあります。
でも逆に参考書をめくると
私にもたくさん当てはまるのではって思う。
ボーダーと診断名を付けるDr.は自身がボーダー的気質を持っている場合が多いとか。
勤務先には最近BPD患者さん少ないですが
なんだか切なくなるのです。
患者さんの話を聞いてアドバイスを求められても、自分自身がそんなことできる立場なのかって考えてしまうんです。
私はここにいて、何かの役に立っているのかな。
最近躁患者が多いせいか魂抜けかけなせいでしょうか。
話をすると、確かに要領を得ない、しかし、pitaさんは文面で表現されていますように、頭の中は上にシャープで繊細でわれわれよりもはるかに奥が深い。
いつもコメントが遅れて申し訳ありませんな、コメントをくださったときはまっさきに拝見していますから^^
ときどき悩みのスパイラルに落ちていることもあるかもしれませんが、ひとまず元気そうで安心しました
先日はゆっくり話ができてよかった。
また、適当に連絡するのでお酒の相手でもよろしく
本当に思っていることを書いたまでですよ^^
綺麗事で取り繕って自分の行動を正当化しようというのではありませんからね。
私の活動は規模は大きくはありませんが、いつか、いえ、近い将来みのると信じています。
コメントありがとうございます。
まゆぺちさんのように、いろいろな角度から看護を考えようとする人がどれくらいいるのか、
看護についてゆっくり語り合いたいものです。
NPOでは時々懇親会があり10月にも懇親会がありますので、会員に入らずともそういう話を楽しくできればと思っています。
懇親会のみならず、日本の精神科についてメール等々でも情報交換をしましょう。
日本の精神科を変えるのは、個人プレーではなく、一人ひとりの意思が重要になってくると思ってますから^^