今日の会合では色々な交流が見られた。職種でいうと、医療従事者はわずかであったが、その中でも特に印象的だったのが、脳外科医との出会いであった。
その脳外科医をしばらく傍で観察(話をするまで外科医であるとは知らなかった)していると、明らかに医師の雰囲気を醸し出していた。
医師の雰囲気とはどういうものかといわれると私もわからないのであるが、明らかに医師の雰囲気であった。確かに医師独特の態度の大きさが、私の目に付いたのかもしれないが、理由はそれだけではなかったように思う。
ある状況から、1分間のスピーチをする事になったのだが、その時の私の自己紹介で同じ医療従事者であるということがわかったからか、「看護師をしてるんですよね」との言葉かけ。
私のNPO活動について、何をしたいのか等々根掘り葉掘り聞いてくるわ、態度は大きいわ、固定観念を持ってはいけないと思いつつ、やはり医者とはこういうものかと感触を持った。
だが、そこで話を終わらせては、何の得も無い。
医師と看護師の格差の問題。精神科と他科との医師の違い。また、私のNPO活動の正当性(少し批判的見解も混じっていたので)まで一気に話をした。遠慮するだけ勿体無いし、そこに出席した意味も無いので思うことを伝えた。
なんと、驚いた事に、話をすればするほど、その医師は根は優しい人である事がわかり、話をしていると楽しくなってくる。医師は『看護師にいじめられるんや』と、砕けた会話まででてきて、打ち解ける一方。その中で看護とはどういうものかという話題で盛り上がった。
その話の中で気付いた事は、
※“看護”というものを看護師以外が語ると、全く違った見解を語るということ。
当たり前といわれるかもしれないが、この感触が新鮮であった事には違いない。
話は更に続き、私が看護は『こういうものだと』と思い込んでいたものを、話を進めるうちに、『そういう風に見てたのか』と驚かされる場面も。途中で、『看護師は、患者の話を聞く必要があるのか』という面白い話にもなった。もちろん、私の見解はyesであるが、『何故』と聞かれたとき、医者にそれを説明する自分に対して妙に違和感を持ち面白くなった。医師は、もっと深い部分を問うていたのだろうが、どちらにしろ、私達が疑問に思っていないことを疑問に思う医師の視点は新鮮であった。
特に、脳外科医とは交流する機会がなかったので、もっと話をした気持ちであったが、こういう時の時間の経過は早いものである。名刺に書いているメールアドレスにメールをしていただくよう伝えて、解散をした。
今回は、ビールを飲みながらの雑談・歓談であったので、医療や看護についての核心に触れるものではなかったが、こういう機会でも看護師以外の医療従事者と看護の事を話してもよいものだという感想をもった。いや、むしろ積極的にそういう機会を持たなければならない。そう思わされた会合であった。その外科医とは、縁があればNPOの講師としていずれお招きできればと思っている。実に医師らしい医師であり、尊敬できる方であった。
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その脳外科医をしばらく傍で観察(話をするまで外科医であるとは知らなかった)していると、明らかに医師の雰囲気を醸し出していた。
医師の雰囲気とはどういうものかといわれると私もわからないのであるが、明らかに医師の雰囲気であった。確かに医師独特の態度の大きさが、私の目に付いたのかもしれないが、理由はそれだけではなかったように思う。
ある状況から、1分間のスピーチをする事になったのだが、その時の私の自己紹介で同じ医療従事者であるということがわかったからか、「看護師をしてるんですよね」との言葉かけ。
私のNPO活動について、何をしたいのか等々根掘り葉掘り聞いてくるわ、態度は大きいわ、固定観念を持ってはいけないと思いつつ、やはり医者とはこういうものかと感触を持った。
だが、そこで話を終わらせては、何の得も無い。
医師と看護師の格差の問題。精神科と他科との医師の違い。また、私のNPO活動の正当性(少し批判的見解も混じっていたので)まで一気に話をした。遠慮するだけ勿体無いし、そこに出席した意味も無いので思うことを伝えた。
なんと、驚いた事に、話をすればするほど、その医師は根は優しい人である事がわかり、話をしていると楽しくなってくる。医師は『看護師にいじめられるんや』と、砕けた会話まででてきて、打ち解ける一方。その中で看護とはどういうものかという話題で盛り上がった。
その話の中で気付いた事は、
※“看護”というものを看護師以外が語ると、全く違った見解を語るということ。
当たり前といわれるかもしれないが、この感触が新鮮であった事には違いない。
話は更に続き、私が看護は『こういうものだと』と思い込んでいたものを、話を進めるうちに、『そういう風に見てたのか』と驚かされる場面も。途中で、『看護師は、患者の話を聞く必要があるのか』という面白い話にもなった。もちろん、私の見解はyesであるが、『何故』と聞かれたとき、医者にそれを説明する自分に対して妙に違和感を持ち面白くなった。医師は、もっと深い部分を問うていたのだろうが、どちらにしろ、私達が疑問に思っていないことを疑問に思う医師の視点は新鮮であった。
特に、脳外科医とは交流する機会がなかったので、もっと話をした気持ちであったが、こういう時の時間の経過は早いものである。名刺に書いているメールアドレスにメールをしていただくよう伝えて、解散をした。
今回は、ビールを飲みながらの雑談・歓談であったので、医療や看護についての核心に触れるものではなかったが、こういう機会でも看護師以外の医療従事者と看護の事を話してもよいものだという感想をもった。いや、むしろ積極的にそういう機会を持たなければならない。そう思わされた会合であった。その外科医とは、縁があればNPOの講師としていずれお招きできればと思っている。実に医師らしい医師であり、尊敬できる方であった。
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ミクシイのほうには早々とお返事させていただきましたが、こちらは相当お返事が遅くなってしまいました・・・
色々と意義のある意見・情報交換が出来そうな方だと印象を持ちました。よろしくお願いします。
私のmixiのprofile見て、職種わかりますか。。。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=1080418
このような私を活用しない手はありません。。
適当に、足跡落書き版にでも、コメントいただければ、お答えします。。。。
一応有資格者。
専門学校で、発達心理学の教鞭一年とった経験あり。宜しくお願いいたします。。。
指摘ありがとう。でも、オレムアンダーウッド理論を看護では使用しているので…患者対看護婦関係も大切にしていますが…ついつい、ヒト対ヒトを私は強調しすぎる傾向も事実です^^
理論をベースにしすぎるのも私の問題点ではあると受け取っています。
単に自己分析すると…知性化の防衛なんですけどね^^
まってました。ブログ復活。
我がNPO役員death_scythe3さん。じっくり方策を練っていきましょう。
コメントありがとうございます。
この関係が、日常できないのは、医療体制の問題が大きく影響しているように思います。一つずつ列挙して掘り下げると、コメントが長くなってしまいますので、端折ますが、医師も看護師も打ち解けたいと思っている者は沢山おります。ですが、それをなかなか実行に移す事が出来ない。プライベートに持ち込むことは出来ても、仕事でそれを生かすことが出来なかったりと、結局医療の場面ではなんら展開されない事が合ったりもします。
できれば、このての啓発活動も講演をとおして、訴えて行ければと思っていますが。
リクエストくださった、「性癖」についてですが、実はつい先月、その件に関して少し学びだしたところでありまして、認知行動療法を通した関わりと実際、mた、その評価をして行ければと思っている段階で、まだ私なりの見解も出ていない状況です。とくに最近、閲覧されている方も少なくなく、適当な事を書きますと一気に突込みが入りますので(汗)いくらか学んで、私なりの評価ができれば、このブログにそれに関することを書こうかなどとは思っておりますが。
が、今回のニュースは、私の学びがそこに達するまでもなく、色々書けそうな事はありそうですね。なにか、触発された部分があれば、書いてみます。
そう、この間のナイチンゲール誓詞について、どのような見解をもたれましたか?できましたら、ご一報ください。
誰だかわかりますが、一応統一した名前で名乗るように。
一応、今日もきつめにコメントしましょう。
サリヴァンがいう「人間対人間」は、おっしゃるように関係の本質を突いたものではありますが、それと同時に、医療者対患者関係を取り去ってはいけないものだと考えております。
これは、「人間対人間」と「医療者対患者」という概念双方が重要なものであることをいっているのですが、一方、多くの医療従事者は本質の人間対人間の関係を忘れているということは下さったコメントの通りだと思います。
ただ、あなたの場合は、サリヴァンの人間対人間にこだわりすぎ、方向性を見失い、医療者対患者という視点でみる医療者側の背景を見失いがちであることが、多々あるはずです。その辺を、あえて、このコメント欄で公に指摘しておき、明日の話し合いで打ち合う事としましょう(笑)。きつい??一応愛情込めましたが・・・。
わかっているようなことでも、あえて自分で強調して振り返るという事はとても重要な事だと思いますね。当たり前だという事は簡単ですよね。ただ単に得意げに批判する人々にはなりたくないものです。
前作とはURLが違うので、よろしくお願いします。
ただ、どうしてこれが日常的にできないのか、と素朴な疑問を感じます。社会的地位やなんやらを超えて、どうしてフランクになれないのか。
バングラデシュの孤児院通いをしていたころ、たまたまアメリカの公使と出会いました。簡単にうち解けて、おまえは面白い、今度は東京でビールでも飲もう、ということになりました。ああ、アメリカ人だな、と思いました。
日本人だとこうはいかない、ということでは必ずしもないと思いますが……。
ついでに、越智様にお願いです。
今度は特殊な性癖で逮捕された小学校教諭のピョーキについて書いていただけませんか。
たまにね。ヒトを超えて神になる医師も存在するけど…お互いの職種の誤解とか色々存在すると思う。
コムルの勉強会に参加して…そこのディスカッションで…私も色々話て来たんだけど…「患者ー医師」間…「患者ー看護師」間も…「医師ー看護師」間「ヒト対ヒト」なんですよね。それが大切に出来ない時に…問題が生じやすい…。(「疾患対ヒト」や「病んでいるヒト対〔病んでいるヒト〕を救ってやらなければならない上の立場にいる医療者」などの変な関係性は…凄く問題がこじれることがあるよね。)
私が対人関係論を大切にする由来かもしれないけど…全て人間関係は「ヒト対ヒト」
職種間を超えて…また、社会的立場を超えて…「ヒト対ヒト」であることが出来れば…それはすばらしいことであり…お互いが分かり合えるのでしょうね。
我々ももっと…もっと…人間的に成長していかないといけないね。お互い頑張ろうね。
…
そういった、様々な視点を知ったりその視点からの感じ方や考え方を知ることで自分自身の考えも豊かになりますよね。。。