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先日、久々に患者の急変を見た。丁度私が日勤でリーダーをしているときだ。
面白い事に、急変直前の夜勤者は、中尾(我がNPO監事:最高財務責任者)だった。申し送りでは、詳細は省くとして
「夜間、せん妄様で」
との旨の申し送り。普段自立している患者で、問題といえばホスピタリズム的な日常生活くらいで、病院で生活する上では特に問題のない人。
(お節介だろうが、この急変後相棒である中尾がきっちり観察をしていたかと看護記録を見直した自分が面白かったが・・・。)
患者の急変は、この1時間後に起こった。心配だったので、私は、主治医の診察時間を待たず、電話で呼び出すことに。なかなか来ないが、私自身も1分・2分を要するような緊急事態だとも思わずにいた。
20分位たって主治医が到着し、診察。患者の様子がやはりいつもと違う。車椅子に座らせていたのだが、亜昏迷に近い状態で振り向いてはくれるのだが、反応は鈍い。
主治医は内服薬の変更も含めて、内科的な疾患のスクリーニングにかけるため、頭部CTの指示を出す。
一刻をようするという感じではなかったが、CT室に電話。こんな時に限って検査技師がつかまらず。
その様な状況にありながらも、私自身も午前中にでも撮影が出来ればとの感覚。
「先生、検査技師つかまりませんわ。」
などといいながら、1~2分おきに時々リダイヤル(当院の通信事情の問題には触れないでいただくことにして)。
と、
急に
痙攣が始まる。間代性の痙攣から、強直性の痙攣に移行。
Dr.「ホリゾン1A」
おお・・・いきなりか・・・
と思いながらも、
「ホリゾン1Aでいいんですね」
半分、嫌味を飛ばしながら淡々と準備を。
1A筋注直後(数秒となく)、軽い舌根沈下程度で呼吸困難に。
エアウェイを挿入するが改善されず、気管内挿管の出来るDr.を呼ぶように師長に要請(失礼ながら、Dr.を名指しで)。
linekeepをし、気管内挿管。すでに呼吸停止していたため、心臓マッサージを行う。心臓マッサージは、救急救命士をもっている師長と、私と、看護学校に通っている准看護士の後輩の3名で。
狭い詰所で、
「○○君!その机どけてスペースくって!」
「酸素ボンベ持ってきて!」
staffはわんさかいたので、申し訳ないが使うだけ使わせてもらった。
モニターの装着にもあたふた。装着の方法以前に、どこにあるのかという問題。私は、心マで必死。しかし、何とか装着可能。幸い、腕の立つDr.が多く精神科には珍しく指示はスムーズ。何分経過したか覚えていないが心臓の拍動も確認され、患者の息が吹き返された。
「おーーーーすげーーー」
もともと精神科の医者ではないDr.からの賞賛(多分、看護技術ではなく、患者自身に言ったのかもしれないが)に私は安堵し。
「ふぅ・・・・」
久々に救急措置をとったわけだが、体は忘れていない事を実感する。
「越智さん、おつかれさまです~。大変でしたね!」
「越智さん、いつも訳の分からない冗談言ってますけど、やる時はやりますね!」
「おいおい、やるときはやるじゃなくて、いつでもやってるよ!!」
と思いながら、若手に最新の救命の説明をした。
もっと詳細を話したいところだが、だらだらと長くなるので割愛するとして、
要は、精神科のみで勤務した事のない看護師でも、救命の技術を身に付けて欲しい。精神科だから不要だという事ではなく、精神科であるからこそ必要なであり、精神科という職場を離れずしてそれを習得する機会を提供したい。
個別の学習意欲に任せていては、学ぶ意欲があっても方法が分からない者も少なくない。だから、
“一度精神科を離れて、他科へ”
もしくは、“アルバイトで経験を”
という風潮が根強い。
これらの方法を否定するわけではないが、逆にもともと他科で働いている者が
“精神科技術を習得する為に一端職場を離れて”
というのが相当稀であることを加味して考えてみると、精神科への認識はまだまだ甘く、社会的な教育環境も
「超自主的」
に任されていると表現するしかなく、どのようにして精神科看護・精神看護技術を学べばよいのかという“機会”をつくらなければならず、同時に、精神科に勤務する看護師が救命措置をはじめ様々な実践技術を習得できるような環境を提供していくことが今後の重要課題であるといえる。
その様な趣旨も含めて設立されたのが、当NPO法人泉州精神看護研究会。
我々の活動が、これからの医療に貢献できれば幸いである。
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※NPO法人 泉州精神看護研究会への寄付金・募金をお願いしております。以下の振込先ですが、お振込みの際は必ずmail@seishinkango.jp宛てにご連絡ください。募金に関しては、使途を明確にし医療の発展に役立てたいと思います。
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普通口座 3624711
口座名義 特定非営利活動法人 泉州精神看護研究会
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私自身、脳神経外科外来ではありますがバイトしています。私がバイトしようとしたきっかけはやはり患者様の急変でした。何も出来ずにただ死後の処置しか出来なかった悔しさがあり今は精神科救急急性期で基本的な事を学んでいます。
専門性も必要だと思いますが、医療従事者として最低限の事身体管理技術は習得する必要があると思います。
結局その患者さんは何が原因だったのでしょうかね?
はじめまして^^
アルバイトも一つの方法論としては、あってもよいと思います。ですが、公務員の看護師などでアルバイトを禁じられている場合等、やはりそのほかの方法も必要で、その人に合った学習方法を選ぶことのできる一つの選択枝でを提供することは必要ですよね。
私が問題としているのは、精神科の看護師が特にそのインセンティブに欠けている所です。Naokoさんのように自主的に学ぼうとするようなレディネスを兼ね備えていれば危惧する事はないのですが、往々に逆の傾向が見られます。それを解消する為にも活動を頑張っていけたらと思います。
まさにそこです。ですから、今、BLSとICLSなどの研修と我々の活動がリンクできればとの構想も考えています。色々な方向に学ぶ必要性を感じた人が学ぶという機会を得ることが出来るような環境を提供することもNPOの役割だと考えています。
越智さんの批判精神にはいつも感心しております。批判は主体的でなければできないし、問題意識を持った生き方の上に成り立つと思っていますので・・。また、物事を見つめるとき、固定概念にとらわれない視野を広さには、読ませていただいて教えていただくことも多々ございます。
批判精神ということを、私自身がどのようにとらえるかという問題もありますが、「批判」という言葉を「否定的に批評する」という意味でとらえますと、それは、私個人としてもNPOの活動趣旨でもありませんね^^
病院理念に関してですが、一つの病院が、理念を掲げるということはとても大事なことだと思います。ところが、各病院その理念を遂行されているかといえるのかどうか。遂行できているのならば、インセンティブや技術・知識格差という問題はさほど起こらないと思います。
各病院の理念を実践させる方法が、ほかにあるならNPO以外の方法論であってもよいと思います。むしろ、わたしはNPOと他方の方法論も必要だと考えていますから、そちらの方法も絡めて検討しております。
私自身も、精神科をやりたいと思いつつも、他科をいろいろ経験してからにしようかなと言う思いでいまして、実際そうしました。それは、やはり精神科は一般の科に比べて処置が少ないだろうという考えからです。できるからどうだってこともありますが、実際、いろいろな処置を経験していなければ、いざというときに、動けないと思いますから。
はじめから精神科をやっている方はその辺の不安もあるみたいです。
精神科って本当はすべての科が関わっている科だと思いますので、ある意味オールマイティを求められる、求める科だと思います。
精神科単科にお勤めの方は他の科のある病院などに研修に行けるといいと思います。まあ、そんなこと実際には難しいと思いますが。
私としては、精神科の患者さんとの関わりが今とても勉強になる毎日です。
精神科を問わず、何処まで習得すれば良いのか答えは尽きないように思います。
確かに、精神科は手技技能の習得の機会も少なく、他科と比べると、手技技能が無さそうな印象を受けますね。
自分も精神科しか実務経験がなく、他科への転職をする自身はないです。
昨年頃、日精看だったかが、精神科看護師の技能習得の遅れを何とかしようと、2週間程の一般科(呼称が正しいかわかりませんが)実習を提供したようですが、2週間じゃ、得られる技能も知識も、経験もたかが知れていると思います。
しかしながら、自主性ってのも、少なからず大切だと思います。勉強する場が限られている現状では…。
>精神科は一般の科に比べて処置が少ないだろうという考えからです。できるからどうだってこともありますが、実際、いろいろな処置を経験していなければ、いざというときに、動けないと思いますから。
↑この辺の心配はすごくわかります。看護系の教授でさえこのように言います。決して無駄なことじゃありませんが、もう一つの視点で考えても見てほしいのです。
他科で数年、いえ、15年ほど働き、最後に精神科で集大成をと考えていたとして、精神科に就いてから5年が過ぎました。この時点で、当時最先端だと思っていた技術はもう古いものになっています。その時に精神科で働いている看護師たちはどのようにその技術を身につけるのか。また精神科をやめて他科に技術を学びにいくのかどうか。そう考えると、自己満足的な部分も否定できません。技術なんて何年もすれば、緊急時すぐに動けなくなるものですよ。人は、すぐ忘れますからね。
精神科で働いていない15年分の精神科看護的技術は、習得できず他科での技術が主に身につくのですから、精神科看護技術があまり重要視されていないという現実を認めざるを得ないでしょう。それに、オールマイティを求められるのはどこの科でも同じで、精神科が特別なものでもないことは多くの人に理解してもらいたいですね^^
その辺の考え方も、私の本にちょろっと書いたりしてますが(笑
本当にそうですよね。数年間他科で働いていても数愚に忘れるものを、2週間でどうにかしようというのは、あまりにも短絡的すぎますね。ま、無駄そのものでしょうね^^
自主性 この言葉も難しいですよね。すべてに求めたいが、そこにばかり頼っていると議論が進まない。そう考えると、NPOや職能団体が一つの開拓のポイントにはなるのかもしれませんね。