2011年3月僕は原発爆発放射能汚染が恐ろしくて日本を脱出した。日頃東南アジアへの格安航空券は4万5千円程度で往復が買えたのに原発爆発以後は高騰し一週間目には20万円をこえてなおキャンセル待ちでしか航空券が手に入らない状態になっていた。僕は仕方なく上海まで定期航路の客船に乗ることにした。大阪から上海までは丁度二泊の旅程で3日目の早朝には上海に到着する。30年前には上海バンクスの眺めがまるで西洋に来たようでとても感激したものだけど、今はモダンな高層ビルが乱立する超モダンな景色に変容している。僕は前に来ていたので少しは土地勘が働き目的の外人用ホテルまではタクシーで30元以下だと踏んでいた。ところが船内で知り合ったカナダ人が正規のタクシー乗り場から乗車せず別の場所で客待ちをしているタクシーに乗り込んだ。おかげで運転手は随分と遠回りをして150元を超える運賃になってしまった。このカナダ人と同行したことを後悔したが後の祭りだった。ホテルに到着後は僕は絵を描いたり画材店を毎日数軒漁ったり、各国のツーリストと仲良くなって街を見物して過ごした。30年前に泊まった外国人ホテル(旧日本陸軍青年将校館)を訪ねてみると今は五つ星の高級ホテルに様変わりしていた。30年前には45元で泊まれたのにという感慨と、このホテルの窓から見る上海バンクスの景色が絶品だったのを懐かしんだ。
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