僕にとってマレーシア国民食の極極め付きはバナナリーフランチになるだろうか、インド人経営の店なら4RMから5RMで大抵食べることができる。大体がてんこ盛りのライスにカレーシチュウ、日替わりの総菜が3種類ついてこれで4RM 日本円でたったの120円なのだ。日本で食べれば千円は絶対にくだらないだろう。この安くて豪華な食事を今でも夢に見ることがあるが、これについては絵に描いてもいず、実作の経験もない。ただただ頭の中で懐かしがるばかしだ。
油彩 15x20cm 2021年
ロティチャナイ(マレー語:roti canai)は円くて平たいパンで、マレーシアでよく食べられている。 朝、昼、夕、夜の食事として食べられる。多くの場合、テータリックやアイスティーといった飲み物とともに食べられる。通常、ダールやパルプ、カレー、サンバル、イカンビリスのつけ汁と一緒に出される。
上はWikipediaによる解説だが、自分で実際に食べてみないことには誰だって実感できない。これが僕の記憶では一枚60セント約18円程度だったからアイスコーヒー1.2RM約36円と一緒に食べても合計54円程度の散財だ。しかしこれは僕が最後にマレーシアを訪問した2014年のプライスであって、今は二倍程度高値になっているようだ。それにしても日本円で100円程度でこんなに豪華な軽食を楽しめるのは嬉しい限りだ。いまだに僕がマレーシアにこだわっている理由が分かっていただけるだろう。それで恋しさ余ってとうとうこれも自作してみた。
初めての経験なので完璧とは言えないが、まずます満足のいく結果が得られた。案ずるより産むがやすし、である。このマレーシア国民食にまつわる話はいっぱいあるのだけど、おいおい聞いていただこう。そして我が恋愛史上最後の相手となったドイツ女性と一緒に食べたときの写真をここに貼り付けておきたい。いずれもロティチャナイ目的で入った店である。
油彩 15x20cm 2021年
Wikipediaによれば、「ナシレマは、マレーシアの日常的な食事として、朝食や昼食に食べられています。ココナッツミルクの甘い香り、唐辛子の辛み、ピーナッツや煮干しの香ばしさなど、さまざまな味と食感が特徴です」と、AI がこたえている。
初めてこれを食したのはマレーシアのマラッカから高速船でインドネシアのスマトラ島に移動した時船内食として支給されたことによる。その時は大変シンプルで粗末な食事だと感じただけだったが、その後マレーシア滞在時、これが一番の好物となりよく朝食にいただいた。マレーシアのローカルなコーヒーショップではこれをバナナリーフと新聞紙で包装したものが各テーブルにに乗っているので、コーヒーを注文しこのナシレマを一つとればそれで立派な朝食になるのだ。
ナシレマ1RM, ローカルコーヒー1RM, 合計で2RM, 日本円で60円だ、安いことこの上ないので貧乏旅行者の僕はこれを大変寵愛した。 日本でいえばコンビニで売られているおにぎりの気安さだろうか。マレーシア滞在中はかく親しんだので帰国後もその味が忘れられず、とうとう2021年には自作してみた。
これが大成功で、現地で食べるのと少しも遜色のないマレーシアの国民食が我が家で楽しめることになった。万歳、万歳、という気持ちだった。
油彩 26x36cm 2016年
僕は東南アジアのあちこちの国で仏像を見て来たが、日本の仏像に関してはこの像に非常な愛着を覚えた。それで一気に描いてしまった。毎日見ているが一向に飽きが来ない。30年も前に中国を訪問した時は文化大革命の後遺症で上海市内の仏教寺院は修復がたいへんだったようだ。蘇州の有名な古寺寒山寺を訪ねたら本堂が土産物売り場になっていて興ざめしたのを覚えている。そのころ喫茶店に入っても汽車に乗ってもお茶を頼めば、ガラスコップに茶葉を一つかみ入れて大きなやかんから熱湯を注ぎ入れただけのものを提供された。もちろん有料である。驚いたのは南京の最期の夜同行の中国娘三人を連れてカラオケに入ったら、これがみなこのお茶をすすりながらカラオケを楽しんでいたことだ。少しもアルコールがなかったように思う。同行の中国娘から中国に残って日本語の教師にならないかと打診されたが、聞いてみれば彼らの一か月のサラリーの平均は自分の年齢の日本人サラリーマンに比べて60分の一しかならないのだった。30数年前まではどこへ行っても日本人の境遇はだんとつであって、お隣の韓国なども最貧国の一つであり、若者の男性たちはみな停戦下ということで迷彩服を着ていたし、自分が宿泊した外国人用ホテルのすぐ隣ではまだ七輪を使って朝晩の煮炊きをしていた。ところがそれから30数年経過してみれば、それらの貧しかった国々が日本を追い越しているのだから全く諸行無常、明日のことはわからないという気持ちにさせられる。
昨日は気になっていた絵に加筆を始めた。あるTVドラマをYouTubeでみて昔描いた女優の絵が気にかかったからだ。2021年に二つとも描いているのだけどどちらも似てないなあと思って修正を思いついた。この頃はなぜか昔描いた絵の90%が未熟に見えてきて加筆修正しなくては気がすまなくなっている。修正しても前より良くなる保証がないし、またいつ仕上がる当てもない未完成品ばかりをどんどん増やしているようにも思えて、気もそぞろの状態になっている。こんなことではならぬ、後期高齢者になった以上はもう少しのんびりしようと決めていたにも拘わらず、今年はどうしたことかまた忙しくしている。何をしても中途半端に終わりそうな心配が多いにも拘わらず、しかしやりたいことはやらずにいられない毎日を送っている。今年はいちにち一日を大切にしたいと思って大奮発をして大きな日めくりカレンダーを買ったにも拘わらず、いつも二日分三日分を一度にめくるという羽目になっている。2024年は仕事の量を大いに減らしたので本がたくさん読めたが今年はどうなるのだろう。ときどきはすべてが無駄なあがきと見えて空しくなることもある。根気がなくなったのでこの二つの絵もいつ完成するか見当もつかない。
1月23日午後3時25分、高峰秀子の『わたしの渡世日記』上、346頁を読み上げたところだ。実に面白い、下手な直木賞受賞作より面白い。これから下の部分360頁も一気に読みたい。昨日までの予定では今頃人口温泉につかって週二回のくつろぎの時間を楽しんでいるところだったのに、予定が変わってしまった。これから昼寝をして6時ごろ目覚めたら家の風呂に入ることになるだろう。今日は一日一時間の絵の時間も取れずに終わるようだ。あんなに夢中で読書を愉しんだのだから仕方がないだろう。