ちょうど3年ぶりに尾羽打ち枯らした風体で元の4畳半一間の木賃住宅に舞戻ることになった。何やってんだろう、と言われかねないので古い友人には連絡を取らなかった。一年分の生活費は持っていたのですぐにはタクシー稼業に戻らず、近隣の市の市展に応募してその賞金を狙おうと考えた。ところが驚いたことにどこの市展でも予選にも入らず選外で片づけられた。それでどんな作品が展示されているのかを確かめに行ったら愚にもつかないものばかりだった。このことを後にある画廊の主人に話したら、市展程度では審査員がみんな自分の絵画塾の生徒の作品に一票を投ずるのが常套だから、審査員に繋がっていなかったらまず入賞は無理でしょう、と言われた。どうでしょう、その審査員の一人をご紹介させてもらいましょうか、とも言われた。僕はもう日本で創作活動をするのが馬鹿馬鹿しくなったので年金受給資格があればそれを申請して再び海外へ飛び出そうと考えた。それで年金事務所に行くと、もう一年国民年金を払い込めばぎりぎりの線で年金受給者になれると言われたので、その暮れからタクシー稼業に復帰した。そしてその翌年の2011年から超零細の年金受給者となった。その時にもう一つの転機が訪れた。昨年応募していた市営住宅の抽選に当選してしまったのだ。当選しなかったら当然ポルトガルに戻るつもりでいた。友人の画廊の従業員にしてもらって就労ビザを手に入れるつもりだった。友人にはたとえそのような形になっても給料を払う必要はない、年金があるし、そちらで絵を描けば売れるに決まっているから迷惑は一切かけないと話した。ところが市営住宅に当選してしまったから計画が頓挫した。家賃は2DK 15、800円である。今まで風呂なしの4畳半に25,000円払っていたのと比べると、この家賃は非常に誘惑的であった。ままよ日本脱出はいつだってできる。まずはこの団地に入居してみてはどうか。ということになり、すぐに転居をすることになった。荷物は少ないし運転手稼業なので仕事中に引っ越しは簡単に済ませることができた。
2011年2月11日、市営住宅へ引っ越す直前の写真。
毎朝起き掛けに30分warming up体操と称して毎日一絵15x20㎝の小さなキャンバス生地に絵を描いた。
運動不足解消のために自転車を買った。
その夏家守が現れたのでとても嬉しかった。まだこんな都会で生き延びていてくれたかと思うと感無量になった。このアパートでは毎夜僕が就寝した後にきっと現れる大きなネズミがいたので、僕は寝る前に彼が現れる押し入れの穴の横にビスケットなどを置いておいた。カナダでは毎日小さなリスがやってきていたがここではネズミに変わった。