人間賛歌・もっちゃん4649

青春の門の前に

小学校のころ、青年団活動が活発で憧れの兄さんが何人もいました。
多感でおませな文学少女だったので、大きくなったら私も青年団に入ってお話ができるわって、幼いくせに勝手にワクワクときめいていました。

隣村にユキアンカ・ハルアンカ・ノブアンカと呼んでいた青年がいました。
アンカっていうのは若者を呼ぶ敬称です。
故郷に帰省するたびに消息を知りたくて、チラッとでもその後の安否を確かめたくって隣村を通ったものです。

みんな跡取りなので、消防署や電話局・九電に勤めていて、いつも会えました。

この中で一人、サトちゃんと呼ばれるハンサムな色男がいて、ヨン様くらいに近隣の娘に持てる若者がいたのでした。

仕事も何をしていたのかも定かではないし、格好よく遊び、調子のよい人だという印象でした。
軍需工場の社長の一人娘と駆け落ちしたということは聞いたことがあり、謎がたくさんあって小説を見るような面白さを感じていました。

幼いころの憧れの若者たちは75歳以上になって、ハルアンカだけは今も散歩しているのを見かけますが、後の人はもう亡くなったということでした。

昨日の朝、もうとっくに忘れていたサトアンカが大分で亡くなったので、今夜会館でお通夜だという連絡が入りました。

とたんに、なんともいえない青春の門の前に立っていた頃の自分を思い出したのです。

サトちゃんは怖くて声をかけた覚えもないくらい眩しい人でした。
別格の気になる若者だったのです。

顔も思い出せないけど名前を聞くとあのプレイボーイだ~とすぐにドキドキしてくるから不思議なものです。

よほど憧れが強かったのでしょうねえ~

急性白血病で4日くらいの入院だったという話でした。
奥さんは何年か前に亡くなり、淋しい晩年だったと聞きました。

お通夜に参列してきました。
強烈なドラマのような生涯を駆け抜けたサトちゃんだったことでしょう。

祭壇の写真は全く何の見覚えもない76歳の初めて見る人でした。
いろんな夢を与えてくれてありがとう~とお礼を述べて、ご冥福をお祈りしてきました。

盆踊りや運動会や村祭りで威勢のよかった頼もしい青年団の若者は、私の青春の門だったのです。

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コメント一覧

もっちゃんです
とても楽しみ
さとちゃん、こんにちは~

うれしいなあ~
信用してくださったのですね~

ぜひ連絡お待ちしています~
見せていただくだけで満足です。

うまく手入れが出来なかったらもったいないですからね~
ほしがりませんからご安心を~

奥様と2年前にお目にかかっていたかもしれませんねえ~
私もとても楽しみです~
もっちゃんへ
風蘭の花
もっちゃん おはようございます さとうです

 風蘭の件、早く返信したかったのですが
遅くなりました。

 結論を言いますと
今年、花が咲いた時私の家へ来て下さい。
今年の花が終わった後、少しですが
株分けしてもっちゃんへ
あげたいと思っています。

 風蘭はこの竹田でも自生していますが
あまりありません。ないものねだりで
たくさんあるものには目を向けない
人の習性です。だいぶん集めました。
この風蘭の花はとても
いい匂いがします。別名香り花ともいうそうです。
山野草ですからじみで可憐です。
洋ランのような華やかさはなく
観賞価値はありませんが
山野草のいいところです。
とても私の性質そのもので純白そして控えめです。
(ここんところの文章は自称表現とみて下さい)

人知れず咲く花に、声をかけ、私もそうだよと
そう声をかけてやりたくなる様な、それが
山野草です。そんな気持ちに
させくれます。私が一人山歩きをするのは
とても寂しがり屋かも知れませんね。

 我が家にあるものはお店で
購入したものではなく山から
採ってきたものです。よかったら
今年の6月花が咲いた時教えますから
ぜひ我が家に来てくださいね。
もっちゃんと会えるのも楽しみです。
私の妻共々歓迎します。
もしかしたらもっちゃんは
私の妻を見たことがあるかもしれませんね。
私の妻は長いこと○々居に努めていました。
もっちゃんは悠々○子供デーにボランティアーに
行っていたんですから、もしかして!

    では きょうはここまで失礼します。
                
        もっちゃんへ   さとうより
 
もっちゃんです
石原裕次郎に
青春の門の前に佇み、中の様子を垣間見ていた時期でしたね~

今から思うと・・・

青年団の男女が映画の中の人のように輝いていましたからね~
それから石原裕次郎に変わって行ったのです
tuyosi
青春の門
思い出は何時までも
けれど現実は今そこにある
もっちゃん、こんばんは

遠い日の思いは何時までも大切にしまっておきたいもの
でも時間は残酷にまでも形を変えてしまう
幼き日に憧れていた人のご不幸の知らせは
もっちゃんの青春の門の思い出がよみがえった一日だったんですね。
もっちゃんです
フウランの花
さとちゃん、こんにちは~

紘子って名前だけど、教え子のコウちゃんが私の名前を”ひよこせんせい”って聞こえるのか、呼ばれていたのです。彼はダウン症児だったから耳が聞こえにくくって”もんたひよこ先生”と覚えてくれました。

九州のお土産がいつもひよこ饅頭だったせいかもしれません。
だからヒヨコのマークは私のしるしだと思ってくださいね~

アドバイスを失礼な~!とお怒りを受ける覚悟でお伝えしたのですが、大変喜んでいただけて安心しました。
誰が見てくれるか分からないから、正しくしないといけませんし、世界中に公開しているのですものね~

変換する時に機械が間違って次のを表示することも多々ありますから、あまり神経質に言ってはいけないと息子に教わっていたのです。
忙しいビジネス社会では誤字脱字は当たり前だからって~

でも、さとちゃんがお望みならこれから気をつけてみますね~

こんにちは~(お元気ですか~)
こんばんは~(ごきげんいかが~)
さようなら~

すべて挨拶言葉はひらがな表示が良いと思います。
わと言う表示は私たちの子供の時は習ったように思うけど、現在の表記では改正されています。

さとちゃんにして欲しいことは、フウランの花が咲いたら画像掲示板に写真を貼って見せてほしいと思っていました。
もし無理なら、家に見に来ていいよ~と言ってくれるとうれしいです~
もっちゃんへ
誤りの指摘どうも
今日は4月24日私の誕生日です。
連れ合いに「今日は何の日」と朝
訪ねると「暦を見ればわかるやろ」といい
私は食卓のテーブルの壁にある
暦を指差してわざわざ教えてやると
やっと「あぁーそうか」それで会話
終了でした。
 今日はお礼の投稿をしょうとブログgooを
開けたら残念珍しくメンテナンスで
だめでした。9時30分以後だったら
いいとメッセージがあったので
今投稿中です。
 あらためてこんにちは
先生何時も思うんですが今日は
とこんにちわはどっちがいいのか
教えて下さい。もしかしたらと迷うことがあります。
「こんにちわ」とひらがなで書いた時
これでもいいのではないかと思うことがあります。
ホームページを見て頂き有難うございます。
学のない者がこんなことに挑戦するのも
いいかもしれません。
「学のない者がもしこんなことに
挑戦した場合」というテーマでかるく拝見して
頂く事をお勧めいたします。
 ペンは暴力という言葉がありますが
この点に注意して人に迷惑をかけない配慮で
行くとすれば何の弊害はない様に思っています。
60を過ぎこれから老人仲間入りとなりますが
老後のライフスタイルの一つとして
ボケ防止につながり、周りの人の
ご理解を願うところであります。今後切磋琢磨して
 結論は学のない者でも努力すれば
出来ますということを証たい気持ちです。
 学歴コンプレックスを持っている私だから
でしょうね。一時、ホームページ作成に
あたってはHTMLファイルの特殊言語習得に
悩みました。でもそんな人のために
ソフトが開発され私の悩みの解消となりました。
当初のホームページはソフトを使っていなく
簡単なものでした。・・・・・
 結論が最後になりました。誤字の
変換しました。こんなことが
多くありますので教えて頂いたことにつき助かります。
本当に有難うございます。
出来たら今後もぜひ指摘して下さるよう
重ねてお願いします。
   もっちゃんこの件頼みたいです。
     その代わり必ず貴方のしてもらいたい
       ことがあったら遠慮なく
         いって下さい。
           私ので出来ることだったら
             します。約束します。

   親愛 もっちゃんへ
               佐藤より


もっちゃんです
雪だるまを
さとちゃん、おはよう^^

片思いは中学校2年の時でしたから、青春の入り口です~
青年団の若者は心ときめく憧れの存在で、まだまだ門の前といった感じです。

さとちゃんの場合は初恋の人とはっきり言えそうですねえ~
同窓会で会うことなんてなかったのですか~?

久住の大船山で雪だるまを発見~
大きな立派な作品でしたよ~
車の中の爆睡はそのお疲れのせいかも~?

「米は通貨と同様に」と変換ミスを訂正ください~

君ヶ薗・矢倉井路が1672年完成もとても大きな喜びの発見でしたよ~

さとちゃんは歴史学者さんなんですねえ
すごい勉強家にオドロキで~す
もっちゃんへ
片思い
もっちゃん、こんにちは。
今日は連れ合いと大分に午後行きました。
昼ご飯をとった後だったので
眠たくなっていました。
先に助手席に乗って極端に
眠った振りして連れ合いの
運転に期待、作戦成功。・・・・。
もっちゃんも小学生のころから
片思いの人がいたといいますね。
なんといい話じゃないですか。
でも亡くなられて残念ですね。
ご冥福をお祈りします。
愛は奪い取るものと誰かが
いっていますがたった一度の
人生ですからもっともな話です。
そんなことをしないのが普通の人です。
でもたまにふーッと思い出すことが
何回もあったことと想像します。
淡い純粋な気持ちを持ち続ける
絶好のひと時ですね。
実は私にもあって病院の一人娘でした。
小学校に入る前からよくどうしてか
その病院にいってひろみチャンと何時も
一緒でした。手術室の冷たい部屋もひろみチャンとは
少しも怖くならなかった記憶があります。
それから小学校中学校ずーつと一緒でした。
中学校で離れあれから約50年
一度も会うことはありません。
ひろみチャンに会いたいです。
どうしているのかな。
ひろみチャンも私のことを
忘れてはいないと思うのですが?。
もし会えることが叶えられたら
離れてから今日までのことをお互いに
話してみたいですね。
   では又 さようなら もっちゃんへ
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