春休みに帰った時に百五十年住み慣れた家の写真を撮ってきました。
各部屋の半分ずつを左右から写したり、広間の入り口の中央の柱が背比べの記録場所として傷をつけて楽しんできたのでそれを大写しで撮ったり、家の全景を遠近で撮ったりと名残を惜しんできたのです。
もう2度と百五十年の慣れ親しんだ家を見ることはないと思うと、遠く千葉・川崎・吹田にいる妹たちにも見せてやりたいと記録に留めておきました。
写真が出来上がってみると、やはり感慨一入でした~
「できるだけたくさん記録は撮ったほうがいいですよ。
どうしても思い出せない部分が出てきますから。」とメル友さんに教えていただき、二重三重と繰り返し撮ったのでした。
が、今解体して更地の作業車のエンジン音を聞きながら、もっともっと撮っておけばよかった!
失ってみて初めてかけがえのない思い出がたくさん詰まっていた家だったとしきりに胸が痛みました。
新しいものを得ようとすれば、古いものはあきらめないといけません。
そのためのやむをえない過程だと自分に言い聞かせていますが、本当に親孝行だったのかどうだかわからなくなりました。
お父さん!
家の横手に大きくて古い柿の木があったでしょ?
あの柿の木も「切っていいですか」と聞かれたのです。
全く想定外だったし、古い大きな家を解体することだけでも取り返しのつかないことをしているのでは~?と言う自責の念もあり、嫌だ~~と驚きました
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次郎柿に富有柿を接いだ珍しい種類で毎年とても大きくて甘い自慢の柿がたわわに実っていました。
「故郷のもので欲しいものはあの柿だけ~!」と、千葉の妹が言っていた柿の木を切ることに私は反対だったのです。
しかし、とうとう同意してしまいました。
新しい家の屋根を傷める恐れがあると言われたからです。
母が宅急便にして届けてくれていたけれど、これからは送ることができなくなります。
楽しみが一つなくなりました。
楽しみを奪ってしまったのは私のようで申し訳なく済まなく感じています。
甘いものがない時代のおやつとしてずいぶん柿の実は楽しませてくれました。
女ばかりの長女だったので、木登り上手になり、お転婆になったのもこの柿の木のおかげでした。
幹の太いところに左右に大きく横にのびた枝があり、そこが私の格好の読書の場所でした。
誰にもみつからず用事もいいつけられず、私の秘密の隠れ場所でもありました。
私の祖母が嫁にきた時からあったというから、百年以上のながきに渡って、渡部の家の推移を見守ってくれていたのです。
古い家屋も柿の木も長かった勤めを終え、第二幕へと舞台は移っていきます。
裏山の岩肌が坂道を上ったら直に見えるというのも初めての景観で、これも妹たちに見せてあげたいと記録写真に収めています。
淋しいという感傷もやがて新しく生まれ変わって7月末に完成したときには、大きく百八十度の喜びに転じてくれることでしょう!!
あれこれと相談相手がいなかったから独断で取り決めないといけないし、私にはやや荷の重い毎日でした~
あれから5年、次郎柿に富有柿を接いだ珍しい種類というのをカタログ販売で見つけ、注文して裏の畑に植えました
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陽豊と言う名前がついた種類でした。
また何年か後には楽しみが復活するし、お供えさせていただきますから待っていてくださいね~
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